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坊ちゃん刈り・七三希望・坊主頭

丸刈り回避

 中学生になると男子は坊主刈りにするのが当たり前だった。というか、坊主刈りを強制された。日本中がたいていそうなっていたと思う。丸刈りを強制する校則は人権侵害だと訴訟を起こした中学生も後にいた。すごいなあと思った記憶がある。
  
 ふたつ上の兄が坊主刈りになるのを見て、坊主頭は嫌じゃと思った。長髪オッケーの中学が市内にたぶん1校だけあった。丸刈りを逃れるためにわしはその私立中学を受験し、めでたく合格した。

MG5とバイタリス 

 初めは、小学校時代のまま坊ちゃん刈りにしていたと思う。だが中学~高校時代に変革の波がわしの頭に押し寄せた。男の整髪料といえばそれまで、髪をべったり固めるポマードばかりだったのに、「バイタリス」とか「MG5」とかサラリときまる(はずの)液体整髪料が売り出された。CMもがんがん打って、同級生の間で「お前、どっち?」などと話題になった。

 わしはMG5派だった。値段がたぶん安めだったことと製造元が資生堂で社名を知っていたこと、そしてパッケージの銀色の市松模様がかっこよく思えたことが要因となった。

大人の髪型 断念

 近所の散髪屋で七三の髪型に整えてもらったわしは、MG5と櫛を買った。テレビの中の若者たちのようにシャキッと大人びて見えるはずだった。学校で会う級友たちもそれぞれビシッときめていた。

 なのにわしの頭はどうもうまくいかない。整髪料を付けて七三に髪を分けても長く保たない。すぐに分け目がなくなり、坊ちゃん刈りみたいになってしまう。いくら挑戦しても髪型がきまらない。これでは小学生のままではないか。

 よくよく見るとわしの頭は、髪の毛がぜんぶ前向きに生えていて、液体整髪料ていどの強制力では言うことを聞かず、形状記憶金属のごとく坊ちゃん刈りへ後戻りしてしまうのだった。整髪料を買うのをたぶん1回でわしはやめたと思う。

電気バリカン

 おとなになっても散髪屋ではいちおう七三にしてもらったが、帰宅して洗髪したら元の木阿弥となるので、分け目を入れる髪型をあきらめた。歳とともに短髪傾向が強まり、あれほど嫌がった坊主頭に今はしている。風呂上がりにすぐ乾くのと、電気バリカンを使って自分で散髪できるという点が気に入っている。

 丸刈りを嫌ったのは、髪型そのものが嫌だったのではなく、「あれはだめ、これはだめ」と強制されるのが嫌だったからかもしれない。高度経済成長まっさかりの日本にマッシュルームヘアのビートルズが来たのは1966年。わしは中3だった。

パーマの告白

 ちなみに、MG5もバイタリスもとっくの昔に終わった商品だろうと勝手に思い込んでいたら、1960年代から続くロングセラーとして今も売っている。

 ついでに告白。ハタチのころ、パーマをかけたことがある。けれど1回きりでやめた。カネがかかるし、なにより男前路線への狙いがはずれてオカンヘアになってしまうからだった。


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