映画『樹海村』を観て
最近、自分の中でのオカルト、都市伝説、フォークロアブームが止まらない。毎日、仕事の昼休みですら都市伝説や妖怪について検索してしまっている。自分が何かに取り憑かれてしまったのではないかと思う時もあるが、熱中できる何かがあることは漫然と過ごす人生よりかはいいと思っている。
自分自身、霊体験やシックスセンスのようなものがあるわけでは全くない。霊を見たいわけでもない。むしろ怖がりだ。ただ、そういった奇怪や不思議には昔から興味があった。そして最近、『大阪怪談』と『犬鳴村』という文庫本をたまたま買ったことが上記のマイブームに一気に火をつけたのだ。
そんな日々を送っていた最近。Amazonプライムで『樹海村』という映画を見つけた。ちょうど一年前くらいの映画で、監督は映画『犬鳴村』の清水崇だ。犬鳴村は劇場まで行って観たので、これは観なければいけないと思った。ネタバレを含むかもしれないので、まだ観ていない人はここでお別れをしよう。
樹海村についての都市伝説自体はけっこう有名だ。「樹海は自殺の名所」や「樹海では磁場が狂っていてコンパスが使えない」といったことがよく言われる。以前から聞いたことのある「樹海村」という単語だったので、それなりに期待して観た。
まず、結論から言うと『樹海村』は星2つくらいだろうか。期待ほどおもしろい感じではなかった。私としては都市伝説的でリアリティのある内容に期待していた。例えばそれは「自殺の名所」としてのリアリティや樹々が生い茂った環境での奇怪さだ。都市伝説的な「怖さ」を残したまま、謎の解明や呪いなどを描いて欲しかったと思う。
だが、実際の内容ではあらゆるシーンで樹々が動く。足を掴んだり、巻きついてくるというだけなら、まだ樹海特有の「怖さ」として理解できたかもしれない。アサガオが棒に巻きつくように「植物本来の性質」を「怖さ」として描くことができたろう。しかし、作中では体から樹々が生えてきたり、腕からツルが伸びたり、人が木と一体化する場面もあった。これには少しやりすぎな感じがして、ガッカリした。
『樹海村』というなさそうでありそうな伝説を、派手な木々の動きによってうるさくしてしまったような感じがした。そしてそれは「ホラー」や「奇怪」を超えて少し超常的になりすぎてしまったのではないだろうかと思う。
作中には同じく都市伝説で有名な「コトリバコ(呪いの箱)」が登場する。コトリバコは木製であるので、確かに樹海村との相性は良い。だが、コトリバコが作品の中のキーアイテムに成りきれていない感じがした。作中のコトリバコには切り落とされた「指」が入れられているのだが、この指が先述の木々のように動き出すのは少し演出としてはわかりづらい。
これらは清水監督の味といえば味である。まったく同じことが2020年公開の前作、映画『犬鳴村』にも言える。題材である「犬鳴村」も昔から有名な都市伝説の1つである。犬鳴村は福岡県にかつてあった集落であり、そこでは隔離された人たちが住んでいるとか、「この先日本国憲法通じません」という看板があるだとか、旧犬鳴トンネルでは心霊現象が起きるだとか様々な伝説が語られている。
そういった伝説は確かに作中では登場するものの、映画の後半ではモンスターというかゾンビ?のような存在との対決になり、少し予想していた方向とは違う展開になっていた。少しこれも演出が過大すぎるというか、皆が期待する「怖さ」ではなくなってしまってるように感じた。
総じて、それが清水監督の見せ方なのだ。ただ単に都市伝説で語られるストーリーを映像化するだけでなく、そこに別の展開やアクションを盛り込んでオリジナリティや別の怖さを盛り込もうとしているのだ。それはそれでクリエイターとしては大切な姿勢ではあるが、観る側の期待とは少し違っているのではないかなというのが、個人的な感想であり、映画のレビューからそう読み取れる。
話は戻るが「樹海村」の怖さはやはり「自然」なのだ。考えてみて欲しい。地図も、コンパスも、装備も無しにいきなり生い茂った森の中に入るとどう感じるだろうか。やはり誰でも「怖さ」を感じるのではないだろうか。それは自然が偉大であり、人の存在はそれに比べるとちっぽけな存在でしかないということが鮮明に感じられるからだ。
木の1本1本は細くとも、それが連なって「森」として存在するとき、1人の人では太刀打ちできないような、「塊」となる。見渡しても木々があるばかりで、何も見えない。そのような「自然的な怖さ」が本当は描かれるべき姿であり、観る側が特に期待していた描写であろうと思う。
我々は総じて、「見えないモノ」や「わからないモノ」に恐怖を抱く。それは犬鳴村では「かつて存在した犬鳴村」や「旧犬鳴トンネルの暗さ」であり、樹海村では「生い茂る木々が生み出す暗さ」や「外から様子が覗えない密度」なのである・
個人的には「樹海村」や「コトリバコ」の伝説をうまく活かした「怖さ」が観たかったと思う。アクションや特撮に走るのではない、都市伝説らしい怖さが欲しかった。
今現在は劇場で村シリーズの3作目となる『牛首村』が上映されている。これも都市伝説的にはとても興味があるのだが、清水監督の演出が同じように過激であると少し観るのがためらわれる。もう少し様子を見てから牛首村は見に行くかどうか決めようと思う。
「自然の怖さ」を求む
結局、見えないとこ 自然