ランウェイとしての繫華街
繁華街(大阪で言うと梅田・難波・天王寺など)へ行くと多くの人がいる。そして、多くの人が流行のファッションや定番のファッションでキメている。
私はファッションには疎いので、みんなオシャレな格好をしているなぁといつも感心する。
ただ、いつも思うことは、これらの多くの人が常にオシャレであったり、センスが洗練されているわけではないということだ。
ファッションは難しい。シンプルでもオシャレと言えるし、コシノジュンコ氏のような奇抜なファッションでもオシャレと言われる。
何が明確にオシャレでオシャレでないということは明言できない。
個人的な話になるが、私は普段、ジャージやスウェットで過ごすことが多い。この動きやすさは人を虜にしてしまう。
だが、もし梅田に行くとなれば、ジャージやスウェットで行くかというとそんなことはない。
梅田に行くのだから、ジーンズやチノパンを履こうという考えに至る。これはひとえに繁華街へ行くという事案が私にそうさせているのだ。
世間は狭いので、繁華街では旧友に会うかも知れないし、職場の人と出くわすかも知れない。その状況の中で動きやすさを重視した服装は選ばれない。
オシャレでないことを自認する私ですら、服装には序列があるのだ。
私のファッションにランクをつけるならば、ジャージやスウェットは2軍で、ジーンズやチノパンは1軍ということになる。
オシャレに疎い私ですら、繁華街へ行く時は一軍のファッションを選ぶので、オシャレな人や、ファッションが好きな人は尚更気を遣うだろう。
つまり、繁華街で見かけるあの人や、すれ違うあの人のファッションは、その人にとっての一軍ファッションである可能性が高いのだ。(※もちろん仕事帰りの人やバイト着の人も大勢いるが)
それらの人がいつもそのくらいオシャレで、洗練されているとは限らない。もしかしたら、繁華街に来る時以外はプーマのジャージで過ごしているかも知れない。
特に現代ではInstagramやセルフィーの流行などで、自分のファッションが記憶だけでなく、記録に残りやすい。
ファッションに手を抜けば、たちまちその姿がその場にいない人にも拡散されてしまう。そういった意味でもオシャレをすることが暗に、強く求められるのだろう。
こういったことから、繁華街にいる私服の人を見る時は、それがその人の一軍ファッションであると思いながら見るとよいだろう。
繁華街で身に付けているその服飾はその人の中の選抜を勝ち抜いた一軍ファッションアイテムたちなのだ。
逆に言えば、繁華街にいる人々は、真にその人を表すファッションをしているわけではない。その人の素顔が知りたければ、その人の地元でのファッションを確認するしかないのだ。
それでいてオシャレな格好をしていれば、真のオシャレさんか、単に見た目だけを気にする中身の無い人のどちらかだと考えてよいだろう。
繁華街は一つのランウェイと化しているのかもしれない。
P.S 私の好きな曲「STREET'S A RUNWAY」