若者の居住支援の現場から
アクセスいただきありがとうございます!
NPO、VC、自分の合同会社の三足の草鞋で活動してる田中成幸(たなかまさゆき)です。
私は普段NPOのプロジェクトマネジメントや、ベンチャーやスタートアップの伴走支援や、政府や自治体の調査研究や実行支援、社会課題に取り組む個人コーチングなどの仕事をしています。
さて、昨日の夜のことですが、東京都を中心に、若者を支える活動をしているNPO法人サンカクシャの代表・荒井さんと、居住支援を担当している奥田さんとオンラインで活動についていろいろと話す機会がありましたので、そのことについて書いていきたいと思います。
荒井さんとはかれこれ10年くらいの付き合いで、サンカクシャの活動を始められた時から、同団体の取組をお手伝いさせていただいています。
さて、この日は居住支援がテーマ
居住支援は簡単に言うと、親などの身近な大人が頼れず、家出したりホームレス状態にある若者に対して、住まいや食事と言った基本的な生活インフラを提供する活動です。
サンカクシャのシェアハウスで暮らす若者の実像
サンカクシャの提供するシェアハウスで生活する若者にインタビューをする中で、彼らにはいくつかの共通点があることがわかってきました。
厳しい家庭環境
インタビューに応じてくれた若者のほぼ全てが家族に関する何らかの悩みを持っていました。
このように、家族、とくに両親との関係が悪い家庭で育った若者が非常に多くいました。
一方で、若者に対してつらく当たる保護者自身が何らかの障害を抱えているケースも散見されました。
そこには、親世代が自らの障がいに対処できず、それが長期間にわたることで深刻化し、二次的な事象として子どもの成長環境に影響が及ぶという構造があります。
子ども・若者にとって他のどこよりも自分が安全・安心を感じられるべき場所である家庭(自宅)が、このような自分の成長を阻害したり、果ては身の危険を感じる場所となっているために、とるものもとりあえず家出をし、孤立してしまう若者が非常に多いです。
「幼少期に家族から守ってくれるところとかがあったらよかった」
というインタビューメモに記された一文が今でも強く記憶に残っています。
大人への強い不信感
サンカクシャにつながってくる若者の多くは、家族だけでなく、自分の周りにいる大人に対して警戒感や諦めといった感情がないまぜになった強い不信感を持っています
インタビューでは、家族からの圧迫だけでなく、学校でいじめられていた時に何もしてくれなかった教職員の存在や、住み込みで働いていた時に回りの大人からされた仕打ち、逆に魅力的な”おいしいハナシ”を持ってくる大人に騙されたエピソードなどを若者が教えてくれました。
また、そういった不信感ゆえに、大人に対して本心を伝えないという行動を選択したりする若者も多いようです。
それは話さないという態度として表れることもあれば、本音と違うけれども、大人が期待する話をするといった形で表れることもあるようです。
若者への支援や関わりが、本人のニーズを起点としている以上、このような不信感からくる意思疎通の特徴が、若者への支援を難しくしている側面もあるのかもしれません。
社会との繋がりの脆弱さ
家庭や学校といった子ども・若者が他者との関係構築をしていくための重要な場で、逆に大人から不信感を受け付けられた若者は、その経験を他の大人(≒地域・社会)に投影してしまいます。
その結果、困りごとがあっても周囲に相談できず孤立化が助長されてしまいます。
といった、大人に頼らず(頼れず)、乏しい社会経験を頼りに生活してきた話がインタビューの中で数多く聞かれました。
一方近年は、子ども若者支援の重要性が認識され、公民問わずいろいろなサービスが実装されてきてはいるものの、それらのサービスはあくまで社会に実装されているだけであり、社会と距離をとっている若者に届いているわけではありません。
実際、アンケート調査に回答してくれた若者の半分以上が、「サンカクシャと関わる以前に行政サービスを利用したことはない」と回答しています。また、「何を相談すればいいかわからなかった」という回答に表れているように、自分がどのようなことに困っているかを言語化して伝えることに難しさを感じている若者も少なからずいます。
自立した生活、安定して働く、というメッセージとその裏にある本音ベースの「やりたいこと」
サンカクシャで日々生活する若者からは、このように生育環境の厳しさや、大人や社会に対する距離感といった話が語られる一方、ほとんどの若者が今後の展望について聞かれた時に、安定した生活や仕事をつづけることなど、自立に向けた前向きな目標について言及していました。
インタビュー結果をそのまま読めば、このような言及は、とても前向きで、厳しい環境の中で生きてきた彼らがそれでも将来に向けて成長しようとしている・・・と読めます
しかしながら、このような言葉さえ、支援者が聞き取るというコンテクスト、自分が支援を受けている立場にあること、このようにリアクションすることで目の前にいる支援者がどう思うのか、といった彼らなりの判断が存在することを、我々大人の側が認識しておかなければいけないと思います。
実際、日常のスタッフとのやり取りの中で聞かれる彼らの希望は
「彼女ほしいんス」
だったり
「大きな肉の塊が食べたいんですよね~」
だったりします。
サンカクシャに繋がるまでの20数年間、彼らは
彼らを守り様々な成長機会を提供していくことが期待されていた家庭も無く
家族以外の他者と関係を築き、社会で生活していくための基本的な知識や「学ぶ姿勢」を身につけることを期待されていた学校からも疎外され
着の身着のまま甘い言葉をささやく大人に日々囲まれながらサバイブしてきました。
そのような長くタフなバックグラウンドを抱えて生きる若者に対して、数か月・数年の支援の中で「社会が求める自立した個人」という目標を示している我々社会の側の身勝手さと、それを薄々感じつつも、その身勝手さに合わせてくれようとする若者の関係を理解して、その上で私たちが何ができるのか、ということを考える必要があるのではないでしょうか。
短期間の関わりで学校に戻れたり、働ける子どもや若者はもちろんいます。
でもそうでない子ども・若者もたくさんいます。
家族や学校が提供することができなかった機能や価値を、長期の関わりの中で、家族でも学校でもない誰かが補っていく関わりが必要な子ども・若者がいる
その事実を、今回のサンカクシャの調査では示すことができたのではないかと思っています。
社会実装が期待される生活支援
若者の生活支援は、その必要性が認識されつつある一方で、社会の公的な基盤としての整備はまだまだ進んでいません。
サンカクシャのような民間団体が、実質身銭を切るような形で運営している場所も数多くあります。
今個人としてできることもあります。サンカクシャを始め、若者を支える団体のサポーターに皆さんになっていただけると嬉しいです。
社会の中で孤立し、大人に頼れずに自分自身あるいは同じ境遇の者同士で日々生きるための選択をしている若者を支える役割を、社会全体で担える日が一日でも早く来てほしいと思いますし、願っていてもしょうがないので、そのためのアクションをこれからもとっていきたいと思う今日この頃です。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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