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ZiggyにはRonnoがいた

バイプレイヤー。演劇や映画の世界では、あくまで脇役ではあるが、相当の実力が求められるポジションである。ロックバンドにおいても、脚光を浴びるフロントマンの傍で、高度なテクニックや麗しいビジュアルで高い人気を集めるサイドマンは、枚挙に遑がない。
グラムロック期のDavid Bowieには、Mick "Ronno” Ronsonがいた。Bowieが一躍時代の寵児となったことに、彼が多大な貢献をしたのは周知の事実。下記インタビューでも、Bowieは絶賛している。

"Mick was the perfect foil for the Ziggy character. He was very much a salt-of-the-earth type, the blunt northerner with a defiantly masculine personality, so that what you got was the old-fashioned Yin and Yang thing. As a rock duo, I thought we were every bit as good as Mick and Keith or Axl and Slash. Ziggy and Mick were the personification of that rock n roll dualism" - Bowie (1994)

http://www.5years.com/spiders.htm

やはり彼のピークは、The Spiders from MarsのギタリストとしてBowieと活動した時期。その象徴が、1972年7月6日木曜日に放映された"Top Of The Pops"における"Starman” (下記動画)ここでのBowie(いやあえて"Ziggy")とRonnoによるパフォーマンスは、後に有名になった多くのミュージシャンたちに多大な影響を与え、彼らの人生を変えた。例えば、U2のBono, The CureのRobert Smith, Culture ClubのBoy George, Adam Ant, The ClashのMick Jones, Spandau BalletのGary Kemp, The SmithsのMorrisseyとJohnny Marr, Siouxsie Sioux, Toyah Willcox, Duran DuranのJohn TaylorとNick Rhodes, Depeche ModeのDave Gahanなどなど。

長身でブロンドの長髪、スタイリッシュなビジュアルで人気を博したMick Ronson。46歳で夭逝した不遇の才能 を、手持ちのアナログレコードでふりかえってみた。(よく知られるBowieやIan Hunterとの活動は省きました)

Beside Bowie: The Mick Ronson Story The Soundtrack

2017年(日本では2019年)公開された 彼のドキュメンタリー映画のサントラ
しかし 映画で使用された曲全ては収録されていない 収録曲は下記の通り
未発表トラックは少ないが ソロアルバムなど 個別に音盤を探す手間は省けます

収録曲

Side-A
1 All The Young Dudes(Live At Wembley Stadium / 1992) / Queen,Ian Hunter,David Bowie,Mick Ronson,Joe Elliott,Phil Collen
2 Soulful Lady / Michael Chapman
3 Madman Across The Water / Elton John

Side-B
1 Moonage Daydream / David Bowie
2 Cracked Actor / David Bowie
3 Time / David Bowie
4 Once Bitten Twice Shy / Ian Hunter

Side-C
1 I'd Give Anything To See You / Mick Ronson
2 Hard Life / Mick Ronson
3 Midnight Love / Mick Ronson

Side-D
1 Like A Rolling Stone / Mick Ronson
2 This Is For You / Joe Elliott
3 Heroes / Queen,David Bowie,Mick Ronson
4 Tribute To Mick Ronson / Mike Garson

Transformer / Lou Reed (1972)

RonsonがBowieと共同プロデュースした Lou Reedの名盤
"Perfect Day"などで Ronsonはピアノも演奏している
アルバム"ZIggy Stardust"リリースからわずか数ヶ月で 本作をプロデュースしており
この時期の BowieとRonsonの充実ぶりが窺えます

Hard Rain / Bob Dylan (1976)

伝説的なDylanの"The Rolling Thunder Revue"にも Ronsonは参加しました
本作は第2期の記録だが 1期も後にブートレグシリーズ他で公式リリースあり
映画 ”Renaldo & Clara”なら演奏する姿がみられると思いますが…私は未見なので

American Fool / John Cougar*(現 John Mellencamp) (1982)

John Mellencampの出世作。彼は元グラムロッカーだったそうで
BowieのマネージャーTony Defriesに見出されてデビュー
その人脈から 本作にRonsonが関与したのでしょう
とりわけA-2 "Jack & Diane"においての Ronsonの貢献は多大であった、と
Mellencampが 後日インタビューで語っています

Your Arsenal / Morrissey (1992)

Morrisseyソロ3作目がRonson最後のプロデュース作品
"I Know It's Gonna Happen Someday"での"Rock 'n' Roll Suicide”からの流用に驚くMorrisseyにRonsonが
「私がオリジナルを作ったんだから問題ないよ」と返した、という逸話が好き
同曲はBowieがアルバム「Black Tie White Noise」でカバーした

Freddie Mercury Tribute Concert (1992)

1992年4月20日 Wembley Stadiumで行われた、Freddie Mercuryの追悼ライブ。既に病魔に侵されていたRonnoであったが、Bowieのステージで体調を感じさせない演奏を披露した。(下記動画)
"All the Young Dudes”では、Queenの3人+Ian Hunter+Def LeppardのJoe Elliot(Ronnoの大ファン)とPhil Collen、という豪華メンバーと共演した。そして、"Heroes" でBowieの傍でギターを弾くRonnoはやはり輝いていた。

私的な感想

人生においてBuddyと呼べる存在ができる時があります。学校生活、スポーツ、仕事関連などなど。その時は唯一無二の関係です。それが一生続く場合も当然あるでしょう。しかし、ちょっとした対立から喧嘩別れしたり、生活環境の変化でなんとなく疎遠になって、そのまま自然消滅しちゃうケースの方が多い気がします。以前によく「ズッ友だよ」ってのが使われていましたが、何十年後も「ズッ友」でいられましたか?単なる知人になってたり消息不明になってませんか?って聞いてみたい。
こうした事は、音楽系、とりわけロックバンドではよくあることですね。唯一無二の関係が壊れる時、「音楽性の違い」とか「発展的解消」とか理由をつけますが、単にBuddyとの距離が近くなりすぎて、飽きちゃうんだと思います。だから、何年も経ってから再結成したり、イベントなどでセッションしたりすることで、お互いに関係性を再認識してるのではないでしょうか。これが上手くハマると素晴らしいパフォーマンスとなることも…でも、輝いていた時間は戻らないんです。
David BowieとMick Ronsonの2人もそうでした。BowieがZiggyの仮面を外した時に、The Spiders from Marsごと切り捨てた、という考え方もあります。でも、更に大きな存在となったBowieですら迷走(Tin Machine含め)していた90年代初頭。彼が新作「Black Tie White Noise」の制作にRonnoを呼んだのは何故なのか。私は、Bowieが、あのマジカルな若き日々を追体験し、再浮上への足掛かりにしたかったのでは、と妄想してます。Ronnoが年齢を重ね、Bowieとも頻繁に共演していたら、年齢に応じた熟成したサウンドを聴かせてくれたかもしれません。プロデューサー活動で成功した可能性も高いでしょう。そして、晩年のBowieも新しい顔を見せてくれたかもしれません。早逝が本当に惜しまれます。

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