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飽きない、苦でないこともたいせつ、楽しいわけじゃなくても

ある物事に取り組んでいるとき、湧いてくるエネルギーを感じ取ろうとしてみることが、ほんとうにやりたいことを捉える上で有効だと思います。

(引用はじめ)
「たのしみ」には少なくとも二種類あることを確認しておきましょう。

その一つが「愉しみ」、愉快の「愉」です。なにかをやっていて人を愉快にさせるもの、「気持がいい」といった、どちらかというと感覚的なものです。たとえば、「人とおしゃべりしていて愉しい」「カラオケで歌うのが愉しい」といったようなことがこの部類に入ります。

一方、「楽しい」とは、体や心が、感覚的にも精神的にもすべてが喜んでいるといったようなもの。というように私は区別して考えています。前者はどちらかというと一過性。後者は継続性があって、喜びがその後もつづくもの。そして、そこからなにかエネルギーが与えられるようなもの。そういう意味では、生きること自体が楽しくなるといったような経験です。
(近藤裕、「本当にやりたいこと」を見つける本)

たのしさの中にエネルギーが与えられる感覚があるものがたいせつだという主張ですね。

確かに、そのような楽しさを感じることは「ほんとうにやりたいこと」でしょう。たいせつです。もっとも、エネルギーが湧き出すような感覚があっても、楽しいわけではないこともあります。このようなことも、ほんとうにやりたいことを仕事にする上では、たいせつにするとよいものだと思います。

たとえば、私の場合、実験室に籠ってサンプルを作るという作業を毎日毎日何年も続けても飽きませんし、疲れません。サンプルづくりという作業には、心のエネルギーが流れ込んでいると感じられます。しかし、サンプルを作ること自体が楽しいというような感覚はないのです。

いいデータを得て、いい論文を書いて、発表するということには、わくわくするようなエネルギーの湧き出しを感じます。いい論文を安定して継続的に発表できたら楽しい人生だと思います。ほんとうにやりたいことと言って構いません。

ここで、いい論文を安定して継続的に発表するという、ほんとうにやりたいことをしていく上では、毎日毎日サンプルを作って評価するという、それ自体は楽しいと感じないことしていくことが必須ですよね。

そうしてみると、楽しくないけど、飽きない、苦でない、エネルギーが湧き出ることもたいせつなのです。

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