【エッセイ】二度とささくれは剥かない
そう思ったのは湿気の多い6月、ある出来事がきっかけだった。
人差し指のささくれを剥いた。爪の真横のささくれだった。
ささくれを剥くのは好きだ。ぺりぺりと皮を剥いていると、シールを剥がしているかのような快感がある。
その日も何気なくささくれを剥いた。そのとき勢い余って爪の一部が少し剥がれてしまった。血が少し流れるのを気にせず、そのまま放置していた。これが悲劇の始まりだった。
朝起きて指を見ると少し腫れていた。ささくれを剥いたあとに腫れることは以前もあり、放っておけば治るだろうとそのままに生活を送った。日に日に腫れは大きくなっていった。
少し触れるだけで痛いと気づいた頃には、まるでたちの悪い虫にでも刺されたかのように腫れが大きくなっていた。さすがにばい菌でも入ったかと考えたものの、オロナイン軟膏を雑に塗ってまた元の日常を過ごした。
手を洗うときに少しでも指が触れると痛い!という段階になってやっと症状をネットで検索した。私は病気や怪我をしたときに症状をネットで検索するのが嫌いだ。最悪の場合がでかでかと出てくるのが苦手である。
咳が止まらず症状を検索した時も「最悪肺がんかもしれません」と出てくる。新しいほくろができたのを検索してみると「悪性黒色腫かもしれません」と出てくる。ネットで検索して本当にその通りだった、という1%弱の人間は救っているのかもしれない。ただし99%の人間は不安を煽られて終わりである。
『絶対症状でググるな』という曲もある。不安を煽るだけ煽って結局、ネット診断が伝えたいことは「不安ならお近くのクリニックへ」が全てだ。その結論に辿り着くまで散々不安を煽ってその結論で終わりである。
そういう思いもあり半信半疑ながらも検索してみる。「指 ささくれ 腫れ」検索して出てきたのはひょう疽という病気だった。今回の検索結果は「最悪がんです」という無責任な一言が無いな、と思っていた。しかしひょう疽の症状を読み進めていくと「最悪骨髄炎になります」と書いてある。
さて、こう不安を煽られたらやることは一つである。お近くのクリニックへGOだ。
田舎の皮膚科というのは特に混む。怪我をした子どもから湿布をもらいたいお年寄りまで、幅広い患者層が道路の外れの小さなクリニックに駆け込むのである。平日午前中だというのにその日も混んでいた。
老若男女ときどき海外の方もというバラエティ豊かな待合室で人間観察をしてみる。小さな薄型テレビにお年寄りたちが群がり、地元のサッカーチームの試合を観戦している。
小学生高学年くらいの子どもが待合室の椅子で項垂れている。項垂れているこどもと対照的に、胸にデカデカと印刷されたキャラクターはニッコリとダブルピースをしている。
予約制もとらず来た人から順々に……という方針のこのクリニックで、人々は釣られた魚がバケツに雑に入れられていくように診察室に呼ばれていった。人がいなくなるにつれて、座る待合室の席を詰めていく。そうして私の隣に観葉植物が来た。
小さな葉の上にこれまた小さな埃の砂漠ができている。窓から漏れる数少ない日光が当たるスペースに彼女は置かれていた。患者より特等席の植物、この位置に置いたのは医者だろうか、看護師だろうか、事務だろうか。
人間観察や植物観察にも飽き、スマートフォンを触ろうとしたとき、やっと私の名前が呼ばれた。人でごった返す待合室とは違い、診察室は医療器具と応急処置セットでごった返している。
白髪の気さくそうな医者が「あ〜、これは痛いね〜」と私の指を四方八方から眺めるように見ている。パンパンに腫れたところを執拗に触ってくるので痛い。
「5分くらいで膿出せるけど切っちゃう?」そう言われ5分くらいならすぐ終わるか……と了承した。古いクリニック特有のけばけばしたタオルが敷かれたベッドに寝かされ、私は指を医者に差し出した。
5分ぐらいで終わる処置、と言われて思い浮かぶイメージは針でぴゅっと刺して膿を出して終わり、というものだ。しかし付き添いの看護師がやけに多く、医者は想定よりも太めの針を手に取っている。仰向けなので詳細は分からなかったが、そのわからなさが私の心臓をどくどくと脈打たせた。
指に鈍い痛みが走った、その鈍い痛みが5秒ほど持続する。かなり深くまで刺されているような痛み。やっと痛みから解放されたと思って首を持ち上げると、指と爪の間から膿がぶわりと漏れていた。
やっと終わるのか……という安堵をした途端、指に鋭い痛みがまた走った。
指の中に残った膿を残さず出すためか、医療用のハサミのようなものを医者が持っていた。切り口が広げられ、持ち手の部分でぐりぐりと押されたのであろう。指をハサミの先で抉られてるんじゃないかと疑うほどの強い痛みが私を襲う。痛みに耐えきれず思わず足をLの字に持ちあげてしまった。周囲の看護師たちが慌てて私の体を抑えた。
痛みは反復しながら10秒ほど続いた。異様に長く感じられ、頭の中にしきりに「拷問」という二文字が、電光掲示板の文字のようにカラフルに輝き流れていた。
帰るころには指は包帯でぐるぐる巻きにされ、また滲んだ血が包帯を汚した。ここ1年で一番の痛みであった。次回も来院してね、と言われてまたこのような処置をされるのかと冷や汗をかいた。
その日から様子を見て、少し外れた包帯から覗く無残な姿の指の先を見て肝が冷える心地であったが、結局日数を過ぎるとみるみる回復していった。今ではすっかり腫れも治療の跡もなかったかのようにきれいに元通りになっている。
皮膚科からも完治のお墨付きをもらい、私は正真正銘のいつも通りの日常に戻った。ただ、指を眺めた時に爪の横や後ろから顔を出したささくれを見つけた時、きれいにL字型に曲がった自身の足を思い出すようになった。
そして決心した、二度とささくれは剥かないと。そう思えども、ささくれを爪でつまみ、前方に引っ張ってみて安全に取ることができないか、とつい試してしまうのだ。そして諦めてやめだやめだとささくれを見逃す。
そうして放置されたささくれを見るたび、したはずの決心は、心の中で幾度となく試されるのである。
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