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悩むためには

「カウンセリングを“受ける”」という言い方がある。その言い方を僕はクライエントの前では言わないようにしている。こう言い続けていると、クライエントがこの時間を受け身で過ごすようになってしまうのではないかと思うからだ。

初回面接で「カウンセリングを受けてみますか」とは言わず、「始めてみますか」「やってみますか」「続けてみますか」「試してみますか」などと言い換えている。おそらく、クライエントは初回面接も自ら希望して来ている人はあまりいない。希望している部分があったとしても、大部分はしぶしぶ…のように思う。そもそもクライエントになった人は、ここに至るまでの人生を自分の人生として生きれていないのではないだろうか。より具体的には、自分の気持ちを自分の言葉で表現できなかった人とも考える。

カウンセリングの応答に気持ちの伝え返しがある。話を聴いて、それは辛かったですね、心細かったでしょうというふうに相手の気持ちを察して伝え返す。これも初心の頃は、どうにか上手になりたいと考え続けてきたが、今はそう思わない。この伝え返しも、場合によってはクライエントが受け身になりかねないと思う。こちらが察することができるのはいいが、もっと大事なのはクライエントが自分から表現できているかどうかだ。

クライエントのエネルギーが不足しているときを除いて、僕は伝え返しの中に問いかけを入れるようにしている。「それは辛かったですね…実際いかがでしたか」と。「それだと心細かったんじゃないかなと思いますが…」と、ちょっと相手のほうに押し出してみる。すると、そこからはカウンセラーからみえた気持ちではなく、ようやくクライエントの気持ちが表現され始める。「辛かった」が「もうどうしようもなかった」へ、「心細かった」が「いつまでもそうは言ってられないからね」へと、クライエントが主体的に語り出す。

この問いかけをするようになってから、それはますます痛感するようになった。自分のことはやはり自分がよく知っていて、自分のことを最も上手に表現できるのは自分しかいないのだろう。カウンセラーは決めつけてはいけないのは当然だが、相手の気持ちや感情を言いきってしまうのも、クライエントが表現する機会を奪ってしまうことになるかもしれない。

東山(2004)は、臨床心理士のことを「悩みを表出し尽くすまで、付き合ってくれる人」と表現している。僕は、付き合ってくれる人の前に、まだまだ何かしら余計なことをしている気がする。

引用:東山紘久(2004)心理臨床大事典 心理療法総論

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