デヴィッド・リンチには一度会ったことがある 【単色日誌 250117】
デヴィッド・リンチには一度会ったことがある。パリで一緒に住んでいたライターの女がリンチに取材する機会を得て、せっかくだから一緒に来るか?この時期は有名人たくさん見れるよ、クリント・イーストウッドとか普通に歩いてるよ、でかいからすぐ分かるんだよねあの人、と誘われたので僕もカンヌまで着いて行った。イメージどおりの小さな街だったが、その規模にそぐわないほど至る所に防犯カメラが設置してあるのが異質に感じられた。
取材場所はきっとどこかの地下室で赤い緞帳でもバックにして行われると思いこんでいたが実際はカフェのテラス席で、さして人払いもされていないオープンな場だったので僕は取材テーブルから数メートル離れた席で一人でビールを飲みながらリンチを観察した。ビールはパリと変わらぬ金額でボルドーの3倍くらいしたが、デヴィッド・リンチを見ながら飲めるなら安いものだった。
しばらくして取材が雑談に変わった空気の中、ライターの女がこちらに目を向け手招きしはじめた。離れた席で高値のビールを飲む僕の正体が、デヴィッド・リンチを見たくて電車で8時間かけてやってきたリンチファンであるとバラしたらしい。普通そういう人間は敬遠されそうなものだがごく自然に同席させてくれた。5分ほど話をした、といっても5分のうち4分30秒はリンチが話していた。英語が苦手な僕にも聞き取りやすい明瞭な英語だった。「カルトの帝王」「変わり者」「インタビュー嫌い」伝え聞いていたどれとも違う、お喋りで気さくな人だった。ライターの女はフランス&ベトナムのミックスで黒髪細身なかなりの美人なのだが、彼女への接し方を見て、この人が撮る女優が常に美しい理由が分かる気がした。
カンヌに行ったのはその一度きりだ。高いビール、防犯カメラ、デヴィッド・リンチ。クリント・イーストウッドは見かけなかった。
明け方、デヴィッド・リンチが亡くなった記事を読み、発作的にこの文章を書き保存したところで5時40分になっていた。リンチに黙とうし、7分待ってもう一度黙とうした。僕は神戸の人間だが、震災時には別の土地にいて直接の被害は受けなかったから語れることは無い。30年経ったのか、と思った。
部屋で仕事をしていたら、長男と次男がにやにやしながら入ってきた。何かと思ったら二人でトム・ブラウンのネタをやって、またにやにやしながら去って行った。
ネタはぐだぐだだったがとても元気が出た。今日はそういうものが必要な日だ。
夕飯はサッポロ一番みそラーメン鍋にした。
高い意識で食に対峙している人なら絶対食べないであろう食事、通称「馬鹿が食べる食事」の中でも冬場一番美味いのはこれだと思っている。