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はだしのゲン問題の本質は、削除するかしないかではなく「理由」

いろいろ飛ばして結論から言うと、「生きる以上は法律より優先することがある」というごく当たり前のこと。
問題は、その当たり前のことに気が付かない「大人」たちが多すぎること。
戦争を伝えるとか、教師も大変だとか、被爆の実態とか、はだしのゲンでしか伝えられないことではない。
主人公が窃盗をしてしまうのはたしかに法律に反している。
野坂さんの「火垂るの墓」でも、窃盗するシーンがあり、今回と同じように子どもたちへの影響が懸念されて、もうずいぶんテレビで見なくなった。
もちろんそれだけではないが、たとえばタバコや飲酒関係や差別用語でも「不適切な表現」とされると排除される方向へ動く。
歴史関係に関わっていると、今この時代の常識で判定してしまうことがよく起こる。
人間にとって最も大事なことは、いうまでもなく生きることだ。
生きることに比べたら、窃盗して他人のおまんまをいただくことなど、人間が作った法律に過ぎない。次元が全然違うのである。
それでも、今の時代を生きていると、それが反射的に分からなくなるのだ。
違法なら絶対だめだけど、違法でなければ「法律は守っている」と言えるから、という基準が異様に強くなってしまった結果、本質的な問題が見えなくなり、話が上滑りして「正論同士の戦い」みたいになり、賛成か反対か、という2択だけが残る。意味がない。
あまりにも法律に依存しすぎて「正しいが、正しすぎて」うまくいかなくなる。

「この時の主人公はね、家族を助けるために仕方なく人のものを盗んでしまったのであって・・・」などと言い訳みたいに言い添える必要はない。
なぜならそんなことは子供のほうがちゃんとわかっているからだ。

教えるべきは子どもたちではなく大人たちなのである。



#はだしのゲン

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