「幽囚の心得」第4章 「一摑一掌血一棒一條痕」の思想(3)
人間の本質は自ら辛苦に向かうところにあると私は思う。懶惰な者はそもそも「人間」足りえていないのだと考える。
何故、人は自ら辛苦に向かうのかという問いに関して、一つ卑近な例を上げてみると、誰もがスポーツの試合を観戦して感動した経験を有していると思うが、これを想起すると理解しやすいだろう。例えば、鍛え抜いた者同士が拳を交えるボクシングの試合でKO負け寸前の選手が最後の力を振り絞って放ったカウンターの一撃、これで逆転KO勝ちする。そのような極限における勝負に人々は興奮し感動を覚える。その試合が正にその選手の人生が掛かった世界タイトルマッチであったなら尚更だろう。
私はこのようなアスリートの姿に若かりし頃、随分と羨望の念を抱いたものである。もうこれ以上はできないという極限状態でなお精神力をもって繰り出すあと一撃のパンチ、そして紙一重で摑んだ勝利。感ずる愉悦。人生の醍醐味というものはそういうところにあると思う。これは正に辛苦忍耐の先にこそ存するものである。
アスリートの勝利体験ほど劇的なものにはならないが、私の体験の中から自分なりの極限体験を抽出するならば、それはやはり司法試験の受験の際の経験であると思う。私は司法試験の受験において相当に自らを追い込み、全ての時間と持ち合わせた力を費やし、7年の間机の前に座り続け合格に辿り着いたという経験をしている。当時の旧司法試験においては、7回目の受験で合格というのはほぼ平均受験回数であったのだが、私の勉強の仕方は尋常ではなかったと思われるのだ。私は6回目の受験の年、天王山と言われていた二次試験である論文試験に合格したわけだが、その年は特に受験生の中で一番勉強量をこなしてきたのは自分であろうと自負するくらい、気が狂ったかの如く机に向かい続けて来たし、最後の方は自らの持つエネルギーが枯渇する寸前という状態であった。それが災いしたのかもしれないが、論文試験には合格したものの最終試験であり9割が合格していた口述試験に失敗してしまった。何せ最後に仕留めにいって全ての持ち合わせている力を使い切ってしまった後のことだ。あってもあと一撃しか私は弾を残していなかった。おそらく翌年の7回目の受験で失敗していたら最終合格はなかったであろうと本当に思う。そう私は最後の一撃を魂を込めて放ったのである。そして、紙一重で勝利することができた。
合格の半年前に私は弁護士であった父を亡くした。5月26日の朝、徹夜で刑法の「原因において自由な行為」のテーマについて勉強をしていた私は朝食を作っていた母に頼まれて父を起こしに行った。そのときの空気の移動のない部屋の様子は忘れることができない。私は目の前で起こっている事態を受け入れることができずその場に立ち尽くした。もし前年に通常そうであるように論文試験に無事合格していたら父に司法試験の最終合格を果たしたことを報告できていたのだ。何という重大なミスを犯したものか。父は私が口述試験に失敗した事実を事務所で電話で聞き「えっー」とだけ発して言葉を失った。自分の命の限界を予期していたのかもしれないとも思う。
父を失ったことから、翌年、私は最終合格を果たしても愉悦を感じるということは全くなかった。生き残ったという安堵感しかなかった。自然、涙が出た。日比谷公園で泣きながら一人逍遥した。尤も、自身やり切った、様々な苦難を乗り越えたという納得はあったように思う。父のことがあったので、もう1,2年早かったらという思いも同居していたけれども、自分の人生が一つの殻を破ったという感覚はあった。私にとっては司法試験の最終合格は終戦ではなく、新たな父との闘争の開始を意味していたのだが。ともあれ私はこのような極限の勝負に挑み、命からがら生き残ったことで、自身の“生”というものを感じたのであった。生きているという自己存在に対する実感があった。父のことは大変残念なことであったが、そうした極限的な勝負に挑みこれを紙一重で乗り越え生き残ったという経験をしたことで、私は自分を大変幸せな男だと思えた。生きるということは魂を磨き、そして燃やし尽くすことなのだ。しんどいからといってこれを避けて通るのでは生きている意味を著しく減じてしまう。辛苦の先にしか“生”を感じることはできないのである。
「一摑一掌血一棒一條痕」の思想。為すべき事、成すべき事を摑んだら絶対に離してはならない。身命を賭してやり遂げるのである。途中で力尽きて倒れる結果となるかもしれない。それでも魂を込めて奮迅すれば心は充足する。自分を生き切ることができるのだ。私はそれこそが幸せな人生であると思う。私はもう一度この国の司法のために働こうと意気した。