小説「獄中の元弁護士」(25) 「検閲済の手紙」
「2338番、手紙!」
工場での作業を終え、共同室に戻った菅田の下に1通の封書が届けられた。
「ここに指印押して!」
「はい。ありがとうございました。」
受領の証は左手の人差し指による指印だ。
差出人は破産管財人の下田弁護士だ。菅田は早速、中の便箋を出して読み始めた。検閲のため、既に封は切られている。
「 ご 報 告
謹啓 時下益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。
ご依頼の件、当事者の南川様にお会いいたしましたのでご報告させていただきます。なお、先方は現在、福井県に在住のため、面会に一定の時間を要しましたことご理解の程お願い申し上げます。
さて、南川様ですが、未だ相手方において事業上の不備を問う姿勢は具体的には示されていないとのことでありました。
尤も南川様としてご自身の不備はお認めになっており、この点につき訴訟リスクが存することは十分認識はしておられました。
古谷様の当該事業における役割ですが、南川様の認識としては業務に関し秘密として保持される事項につき触れられる立場になく、従って秘密保持の誓約書面の交付を求めることもしていないとの回答でありました。それ故、当職において、南川様に対し、古谷様については当該事業の全体像について詳細は把握していないという認識でよいものか重ねて尋ねてその旨確認することができたので、これをその証とすべく書面化し翌日再度お会いし、ご署名いただきました。
なお、他の従業員の方につきましても本件に関してご事情をお聞きする機会を得たい旨お伝えし、ご連絡先を伺いましたので順要な限りの確認作業をして参ります。
また、ご報告をさせていただきます。 敬白 」
(全く下田さんも俺がご清祥のわけないじゃあないか。刑務所でご清祥ってのも人が悪いなあ。)
下田弁護士が南川こと北山に署名させた書面というのはいわゆる刑事事件における弁護人面前調書である。弁護士がこうした手法を取ることは滅多にないが、特に捜査機関の調書の取り方が乱暴なことが予想される場合に事前に弁護士が聴取した内容をこのように書面化しておくことがある。供述した者もこのような書面を作成することで自身の頭の中を整理することができる点で、事後、捜査機関による取調べの際に対応を間違えることが少なくもなるのだ。
この書面に供述者として署名させることに収容している施設側は必ずしも協力的ではない。そのような場合はその聴取時に作成したものとして、公証役場で直ちに確定日付をとる。今回がどのように作成されたかはこの手紙だけでは不明である。
古谷とは新庄のことで相違ない。どうやら新庄が言っていることに嘘はなさそうである。北山も新庄が本件に深く関与し事情を知っていたか否かということに関しては否定的のようだ。
また、下田弁護士が他の従業員と言っているのは練馬区豊玉上に北山と同行した2人の若い男のことだろう。これから聴取を試みるとの報告だ。
いずれにしても捜査機関は不審な車に目をつけて新庄から聴取し始めたということで、まだ実行犯に対しては具体的に動けていないらしい。
弁護人の活動は早ければ早いほどいい。そんなことは当然のことだ。北山らがテレビを窃取した事件の新庄を担当した弁護士など持っての他だ。菅田からすれば、弁護過誤だと言いたいくらいだった。
「新庄さん、北山の豊玉上の事件に関する新庄さんの役割に関する認識は新庄さんと違わないようでした。今、証拠固めをしている最中です。」
「あっ、はい。本当ですか。ありがとうございます。一体どうやって…。」
「まあ、細かいことはいいでしょう。それより新庄さん、覚悟を決めて私の提案を受け入れていただきたいのですが」
「何ですか。」
「豊玉上の事案に合わせて、今ここに収容されている事件について再審請求をしませんか?」
「再審ですか…。」
新庄は菅田の考えていることの全ては理解することができないでいた。
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