見出し画像

「幽囚の心得」第13章                                     人権論(3)

 日本国憲法は14条以下において詳細な人権規定を置いているが、これらの人権カタログは歴史的に国家権力によって侵害されることの多かった重要な権利・自由を列挙したもので、決して全ての人権を網羅しているものではない。人権というものは成文法に記されたものに限られるものではない。

 社会の変遷に伴い自律的な個人が人格的に生存するために特にこれを取り上げて保障しなければならない法的利益も新たに生じてくるということは間違いのないことだ。この人格的生存に不可欠と考えられる基本的な権利として新たに観念されるようになった人権は、いわゆる講学上「新しい人権」として憲法上具体的に保障されると解されている。その根拠規定が憲法13条の幸福追求権、即ち「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」であり、この幸福追求権によって導き出され基礎付けられる個々の権利は、裁判上の救済を受けることができる具体的な権利として認められることになる。

 いわゆるプライバシー権もプライバシー権という憲法上の規定はなく、13条の幸福追求権に基礎付けられる「新しい人権」の一つであるが、判例もこれを「私生活をみだりに公開されない法的保障ないし権利」であると定義し(「宴のあと」事件一審判決・東京地裁昭和39年9月28日判決)、この私法上の権利は個人の尊厳を保ち、幸福の追求を保障する上において必要不可欠なものであるとし、それが憲法に基礎付けられた権利であることを認めている。
 受刑者において関心事であると思われる、前科前歴の情報に関する保護についても、最高裁昭和56年4月14日判決は「前科・犯罪経歴は人の名誉・信用にかかわり、これをみだりに公開されないのは法律上の保護に値する利益である」とし、地方公共団体が弁護士の照会に安易に応じた行為を違法と判示している。前科前歴をみだりに公開されない権利をプライバシー権の内容として認める趣旨と解してよく、加えて同判決には、その公開が許されるためには、「公開が公正な裁判の実現のために必須のものであり、他に代わるべき立証手段がないときなどのように、プライバシーに優越する利益が存在するのでなければならず、その場合でも必要最小限の範囲に限って公開しうるにとどまる」と解することが相当であるとの意見が付されている(上記前科照会事件最高裁判決・伊藤正己裁判官の補足意見)。

 尤も、一つ言っておきたいのは、同補足意見で伊藤正己裁判官は「前科等は、個人のプライバシーのうちでも最も他人に知られたくないものの一つであ」るとしているけれども、この点については法律論とは別に述べると、前科前歴も消すことのできない自らの人生の一部である故、これを隠し立てなどせず、自分の内だとして真正面から堂々として将来に向けて正道を歩む自分であることが望ましいと私は思う。私は前科前歴など晒した上で小細工なく生きよと強く思うのだ。精神の強靭なる者はプライバシー権などに守られずとも、その情報を受け取った大衆の狂騒にただ笑みを浮かべ平生を崩さぬものだ。

 なお、プライバシー権は情報化社会の進展に従い、「自己に関する情報をコントロールする権利」(情報プライバシー権)と捉え直されて、個人の私的領域に他者を無断で立ち入らせないという自由権的側面のみならず、プライバシーの保護を公権力に対して積極的に請求していくという側面が重視されるようになっている。佐藤幸治教授がその嚆矢であろうか。
 2003年には民間の事業者が保有する個人情報を保護するため、「個人情報の保護に関する法律」が制定され、また1988年に施行された「行政機関の保有する電子計算機処理に係る個人情報の保護に関する法律」も2003年に同時に、「行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律」と名称を変更し、情報の訂正請求権の承認などの改正がなされているが、これらは情報プライバシー権としての法益保護の必要性とその強化の趣旨に基づくものである。

いいなと思ったら応援しよう!