見出し画像

「幽囚の心得」第6章               「リスタート」による完璧主義の追求(5)

 周囲の同衆を見て情けなく思うのは、仮釈放の時期が近付いたときの落ち着きのない態度である。まだかまだかとそわそわしている様は、社会復帰後のその者の再生に対する期待を著しく失わせる。もとより、そこからが本番で苦患の道に踏み出さねばならないのだ。覚悟の足らぬ状態で警戒感なく塵埃の世に足を踏み入れれば、再び同じ轍を踏むことにもなりかねない。そういう人間は刑罰を単なる不利益処分と捉えるのみで、刑期の間を創造的な時間とはしてこなかったに相違ない。

 私は決して無様は晒すまいと心に期した。それこそ、ここから後は完璧な人生としていくと自身の心に誓っている。刑期の時間についても無為なものにするまいと考えたし、実際に他の同衆のように暇を持て余したり、時間潰しのためだけの読書をしたりしたことも一刻たりとも存しなかった。自らの修養の為だけに何を為すかを常に考え行動選択を為した。私は私の為に施設内収容の時間を使うことができており、私に限って言えば、実質的には不利益処分とは言い難いくらいである。応報としては外形を呈しているのみであると言ってよい。自分を磨き修養することはむしろ楽しい所業である。

 二十代の頃、私は7年間という期間を司法試験合格の為に費やした。日本一とも言われていた難関試験の突破という明日をも知れぬ日々は精神的に相当過酷な勝負であった。毎日正味で12時間以上勉強することを自らに課し(ここで、正味というのは、トイレに立ったら10分引く、一瞬でもボォッとしたら5分引くなどして積算した、集中力を発揮して勉強に向かえた時間のみを指す故そのように表現した)、達成したら〇、11時間以上12時間未満の時は△、11時間未満の時は✕としてカレンダーに記載して、1週間で4勝以上の勝ち越しを目指した。日々自らに課した厳しい勝負を7年間戦い続けた。時にはストレスが原因であろう、片方の頬全体に大きな面疔ができることも複数回あった。このような時間をまだ自分が何者にもなり切れていない二十代に過ごすことは相当な辛苦であった。私は冗談ぽく当時の事を振り返り、「死ぬかと思った」と言うことがあったが、実はこれは本音である。

 この司法試験の受験時代に比べれば、受刑生活はお尻の期日が決まっており、極端な言い方をすれば時間の経過だけでもある意味で成果と把握できるというハードルの低い日常であり、私にとってはそれほどの困苦は存しない。むしろ先に述べたように自分の為の修養の時間として、十分私の人生にとって積極的な意義が認められるものとすることができていた。社会復帰後は、更に施設内収容の期間に意味付けることのできる行動選択を重ねていく所存である。
 今の私は二十代の頃と異なり、これまで携えた知識と経験を駆使することで、それほど肩肘張らずとも、為すべき事を為し、成すべき事を成すことができるだろうと自らを信じることができている。猪武者のような突進を控え、自分の能力を適所に的確な機を捉えて発揮していく。「リスタート」後は私の真価が問われ、私の人生の集大成になる。

いいなと思ったら応援しよう!