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「幽囚の心得」第14章                        自由論(4)

 人間は誰しも、生きるとは何か、死とは何か、己れとは何ものか、自由とは何か等々自らを規定する思想を構築せずして、有意味な人生を送ることはできない。ただ、思い通りにならないことに癇癪を起して、駄々を捏ねても求めるものを得ることは不可能である。

 どうも多くの世人はその真理を等閑視し、易きにばかり流れているようにしか見えない。無知無学の同レベルの同輩たちと合して付和雷同し、権力支配者に対し愚論を投げ掛ける。こうした愚民はそれが民主主義だと信じているのだ。
 しかし、皆で揃って愚者の淵に沈むことを是とすることが民主主義だとしたら、そんなものは一文の価値も有さないと言うべきだ。時に普通の人の感覚を国政に届けるなどと述べて選挙に立候補する徒輩がいるが、そんな愚考
を持ち寄られても迷惑千万である。
 無知無学な愚民ばかりの世を統治する為政者は、そもそも道理を理解しない彼らに対して十分な説明をなし理解を得ることなど叶わず、国の為の政策を多少強行的に思えるかたちで進める他ない。責任感のある者ほど大衆に迎合せずに正しい判断をするものだ。
 一方で、政治家というものは愚民と云えども一人一票の投票をする選挙権を有する彼らに対して、その意に沿う政策も実行していかねばならぬ強迫観念に苛まれる存在でもある。その極端なる状況は民主主義を機能不全に陥らせる危険性を有する。そこで足りぬ要素は国民の知恵、知識の切磋向上である。
 福澤諭吉が学問をなすことを勧める意味もそこに主眼がある。
「われわれ人民の大切な目標とは何か。(政治がよくありたい、祖国の富強が願わしい、そうして外国の侮りを避けたいという)当然の国民感情に基づいて、まず自己の品行を正しくし、熱心に学問に志して、広く知識を修め、めいめいの身分に相当するだけの知恵や人格を身につけることである。国民は、政府が政治をするに手数のかからぬよう、政府は、国民を支配するに不当な圧迫を加えぬよう、双方互いに本分を尽くし、ともに相携えて、日本の平和を維持してゆくことが随一の重要事であろう。」
 福澤は『学問のすゝめ』において、民主主義の本質論を述べ、その機能するための不可欠の要素として、個々の国民が学問をなすことを求めているのである。

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