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小説「獄中の元弁護士」(16)           「ここは小市民の製造工場だ」         

 刑務所に収監された菅田に「矯正処遇の目標」と書かれた紙面が交付された。これを作文と同様の黄色いファイルに綴じておくように言われている。
 
「その3つの目標をな。雑記帳に書き留めておいた方がいいぞ。あとで俺に感謝することになる。」
 同室の岩川が勿体ぶった風に、また恩着せがましく言う。

 黄色いファイルに綴じられた作文は、1か月に一度回収されて刑務官の閲覧に供される。何故かそのファイルが手許にないタイミングで、半年に一度、「定期再調査」というアンケート用紙が配布され、3つの目標の達成度に関する現時点の自己評価を記載することが求められる。アンケート用紙には、3つの目標自体も書き込んだ上で各々についての評価を記載するのだ。そういうことだから、事前に別途、雑記帳に書き込んでおけというわけである。
(そういうことか。)
このことは後になって知った。
(別に隠しておく話じゃないじゃないか。)

 ところで、この3つの目標の策定に受刑者は関与しない。それは、施設側から唐突に示されるのである。菅田に与えられた「目標」は、以下のような内容だった。

1.事件に至った自身の問題を振り返り、誠実な謝罪や被害弁償の在り方      を考える。
2.見栄を張らず、他者と協力し合って、地道に物事に取り組む姿勢を身に付ける。
3.金銭面の問題を整理し、出所後、安定した就労生活を送れるよう準備を進める。

 一つ目の目標は菅田には当然のこととして受け止めることができたが、二つ目、三つ目のそれはやや自分の実態には即していないように思えた。
(どうせ小役人のやっつけ仕事だろう。決まったワードを小手先でいじくって、取り敢えず張り付けて体裁を整えただけだ。)
 菅田にはそのような印象しかなかった。

(「見栄を張らず」というが、事業者が高めに自分に対してハードルを設定しなくてどうするんだ。全く公務員が考えそうなことだ。だいたいそんな人間ばかりだったら、世の中、何の発展もしなくなる。そういう輩が増えているから日本も没落するばかりなのだ。)
(「他者と協力し合って」というのも、むしろ逆だ。事業というものは、他者に頼らず、究極的には自分一人でできる、自分一人で責任を取れる範囲で行うべきだと阪急東宝グループの創設者の小林一三翁も言っているだろう。)

 菅田は、自分の場合は他者を信用し過ぎたとさえ思っていた。そこが自分の甘さだったと思っていた。
 大学時代の同級生で人材派遣会社の社長をしている岡野という人間がいたが、彼などは菅田に対して、
「先生の財布には穴が開いていて、後ろからよからぬ者が落ちた金を拾いながら付いて来ていますよ。」
などと述べる辛辣さであった。しかし、菅田にも心当たりがないことはなかった。
(うまいことをいうものだ。俺は性善説に立ち過ぎるところがある。)
 
 同級生社長はこうも言う。
「先生は金を多少舐めているところがある。育ちがいいからであろうが。」
 経営者としては足らないところばかりだった。
 そもそも菅田の本質は職人的な性質にあったのかもしれない。経営者としての気質を備えているかというと不十分だったとの誹りを免れないだろう。

 確かに菅田は現場対応には相当程度自信を持っていた。十代の頃から、弁護士にならんとする自分に足らないもの如何を考え抜き、足らぬところは行動し鍛錬して来た。
 しかも、弁護士として登録して一年目から、菅田が個人で受ける事件の数は、事務所宛に依頼される事件のうち自身に配転されるものの数と同じ程度か、あるいはこれよりやや多いくらいであった。それは亡き父の依頼者の多くが菅田が2年の修習を経て弁護士登録した後に彼の下に戻って来てくれたからであった。
 菅田は法廷弁護士であり、地方に出張に行くときを除き、毎日3件から4件の裁判に出頭していた。そのような状態であったので、徹夜で書面を起案しなければならない日も、週のうちで2日か3日あった。
 つまり菅田は同期の弁護士たちより、最初から自分一人で判断し、依頼された事件を処理する多くの機会に恵まれた。場数を踏むことができた。「生まれたときから弁護士」の男がその場数によって磨かれたのだった。

「安定した就労生活」か。
 菅田は2億円強の被害弁償をしなくてはならない立場にあった。これを全額支払うことは当然の責務と考えていた。しかし、そのこと自体が施設側の考えとは相容れないという感触があった。返さねばと思うことが否定的に捉えられるというのは変な話だ。
 支払えるわけないだろうと、そのことを認めさせたいようだ。
(何故、貴様のできないことを俺ができると考えたらいけないのだ。)
菅田は不可解に思った。

 素直にできないと認めて自己否定せよ、世間の人間の後塵を拝することを受け入れよ、それが彼らが望む受刑者の反省を表した模範解答だ。それがいわゆる「安定した就労生活」というやつだ。個別のこの者の改善・更生など彼らにとってはどうでもいいのかもしれない。小人である自分の想像しうる範囲で行動して欲しいのだ。彼らより善い生き方をしては欲しくないのだ。ここは矯正施設というよりは「小市民製造工場」である。

(そんな彼らに迎合することはできない。どう生きることが正しいのかは自分で考え抜くことだな。)
 菅田はそう決意していた。




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