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「幽囚の心得」第20章                                       切腹の精神と作法(自殺論)(2)                                               「人間は死への尖鋭化された先駆的覚悟性を要求されている」

 多くの世人は自身の存在を無とする(ものと考える)「死」というものを恐れ、これを覆い隠すことで心の平安を得ようとする。
 しかし、「死」はそれにも拘らず容赦なく、しかも唐突にその者を襲う。「死」の到来の可能性は常に現在の「生」に潜在しているのであって、この峻厳な事実は如何にこれを覆い、そこから目を背けたところで、消し去ることは出来ない。

 「死」という不条理から生ずる逃れようもない虚無感に人々は苛まれる。昔時において、宗教はそのような人々の心を救う存在であった。
 しかし、科学的合理性をのみ追求する現代にあっては、この宗教的精神性も衰退し、人々の不安と虚無は濁世に裸出してしまっている。彼らは「死」の不条理の前で虚ろに浮遊するばかりである。

 人間が真に生き切る為には「死」を直視していく他はないのだ。そして、「死すべき事」の自覚は人生を有意味なものとしていかんとの思念を齎す。   
 むしろ「死」自体を人生において目的化することで、人は精神性を高めていく、高めていかなければならないと言うべきである。怯懦により「死」に向き合わず、人生の無意味な状態を放置し、刹那な享楽に逃避する中で、突発的な人生の終焉を迎えることほど愚かなことはない。

 哲学者である伊藤益氏は、そのような「無意味性の裡に自己を投げ出すことは、自己の本来性を喪失することなしには可能であり得ない。そして、その本来性の喪失という事態は、死の可能性の忘却に由来するものに他ならない」と糾弾している(『日本人の死:日本的死生観への視角』)。

 「本来性の喪失」とは極めて手厳しくもあるが、正にそのとおりであろう。人間は「死」を直視せずして、自己本来のままに何らの誤魔化しなく生き切ることなど出来はしない。自分を誤魔化しながら本物の人生を感じぬままに朽ちることの愚劣さを自覚せねばならない。「死」とは何かということを問うことは、「生」とは何かというその本質を問うことである。

 モンテーニュは言う。
「死がどこで我々を待っているか分からない。我々は至る所で死を待ち受けよう。予め死を思うことは、予め自由を思うことである。死ぬことを学んだ者は隷属することを忘れた者である。死ぬことを知ることによって、我々はあらゆる従属と拘束から解放される。生命の喪失が決して不幸でないことを悟った者にとっては、この人生に何の不幸もない。」

 ドイツの哲学者であるマルティン・ハイデガーは、人間存在を「死への存在」(sein  zum  Tode)と規定した。生命を持つもののうち、先において確実に訪れる死の存在と常に現在する自己の死の可能性を直視することが出来るのは人間だけであり、そのような自覚の中にこそ人間存在の本質的な有り様が存するのである。ハイデガーは、この人間存在について、「現存在」という名称を付与するが、これは先廻りして死の可能性について近づいていくことをも含意するものである。常に自己の死の姿を想念することが、人間本来の在り方であるとさえ言えるのである。

 ヨーロッパに古くからある言葉に「メメント・モリ(memento mori)」というものがある。「死を憶せよ」「汝は死すべきものであることを忘れるな」との意味だ。

 伊藤益氏は、このようなあるべき心性を「先駆的覚悟性」という概念を用いて説明する。
「日常の一瞬一瞬は、裸出した死に晒されて、そこに立つ者に対して死への覚悟を迫ることになる。このことは尖鋭化された先駆的覚悟性が要求されていることを意味する。」
(宗教精神に見られるような)「『超越的な権能の下で回避される頽落』という観念を有し得ない精神が、敢えて頽落からの脱却を図ろうとするとき、その精神は、死への先駆的覚悟性に根差した自己了解という自力の行を体現せざるを得ない。先駆的覚悟性は、日常性の規律化を必然的に招来する。死が今この瞬間にも出来しうるという認識は、この瞬間の有意味化を図ろうとする意志を導出するが、その意志は自己存在の徳義的向上を希求することによってしか実現され得ない。」
「先駆的覚悟性に基づく自己了解とは、道徳的・倫理的な覚存として自己が定立されることを目指して、自己を解析していくことに他ならない。それは内部に向けて自己が自己として在ることの意義を鋭く問うていくことと同義である。覚存を志向しての自己了解。ただそれのみが現世の有意味性を確証する。」

 人間が自らの人生の物語を創作し、その物語が物語としての価値ある統一性を保持していく前提には、自己存在の徳義的向上を希求していく必要がある。それでこそ、その人生は有意味なものとなり、その物語は刮目に値するものとして輝くのだ。

 


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