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小説「獄中の元弁護士」(26)                    「こっちもそうならあっちもそうだろう」

「新庄さんみたいな軽罪で再審だなんて言われたらそりゃあびっくりしますよね?ただ、今度の強盗殺人事件と新庄さんの関わりは性質が同じなんですよ。こっちがそうならあっちもそうだろうという関係にある。だから、今回のことで戦うなら前回のことでも戦わなきゃいかん!」
「なるほど、そういうことですか…。」
「費用は気にしなくてよいです。私は今回のことを機に一般社団法人冤罪被害者支援機構といったものを立ち上げようと思っているんです!」
「必要なのものは何とかしたいのですが、何せこの収容の身ですので…。」
「新庄さん、強盗殺人罪という犯罪は法定刑としては死刑と無期懲役しかない重罪なんです。何としてでも無罪を勝ち取らなければならないのですよ。」
菅田の言葉に新庄は顔を青褪めた。
(何て、軽率な振舞いをしてしまったのだろうか…。)
「まぁ、やれることは全部やりましょう。新庄さん、真実が正しく見出されるように頑張りましょう!」
菅田は言葉に力を込めて新庄にそう向けた。新庄も表情を引き締めた。少し力を戻したようだ。
「宜しくお願いします!」

 菅田と同室の海藤の下に封書が届いた。裁判所からだ。
「菅田さん、こんなものが届いたのです。」
「訴状ですね。拝見してもいいですか?」
「お願いします。」
「交通事故損害賠償請求事件。被告は原告に対し金6573万円およびこれに対する平成30年10月27日から支払済みまで年5パーセントの割合による金員を支払えとの判決を求める。ふむ。海藤さんはこの交通事故による業務上過失致傷罪でここにいるのですか?」
「そうです。酒を飲んで運転して事故を起こしてしまったんです。」
「相手の方は醜状障害を主張していますね。」 
 菅田は丁寧に黙して訴状を読み進めた。
「逸失利益が一番損害額としては大きくなっていますね。」
「逸失利益ですか?」
「逸失利益というのはこうした障害を負わずに就業可能年齢の67歳まで働いたとしたらこれくらい稼いでいたはずなのに、障害を負って労働能力を何パーセント喪失したから生涯で得る収入がいくらいくら減ったというその失われた金額のことを言います。それが損害だというわけです。ただ…。」
「ただ?」
「醜状障害なんですが、今回は顔に手のひら大の痣ができたということで、後遺障害に該当するのはそうなんですが、これは身体の機能には関わるものではないわけです。」
「はい。」
「つまり、身体は動く。物も運べるし、パソコンも打てる。足が動かない、手が動かないといったような、そうした機能的な支障が生じているわけではないということを受けて、醜状障害の場合は労働能力喪失期間を限定して考えるのが判例の考え方です。5年間くらいとするのが一般ではないでしょうか。」
「そうなんですか。そうすると大分損害額が減って来ますね。」
「海藤さんは任意保険には加入していなかったんですか?」
「丁度切れてしまった時だったんです。」
「そうなんですか。自賠責保険金の方は既に訴訟提起前に受領されているようです。」
「どうしたらよいでしょうか?」
「答弁書を提出期限までに郵送しましょう。その上で、次回期日までに弁護士に依頼する方がよいでしょう。」
「費用が掛かりますよね。どうしよう…。」
「法テラス、司法支援センターに持ち込んで貰うとよいでしょう。申請が通れば、費用を立て替えてくれます。」
「返すのが先になってしまいますが…。」
「そこは免除申込の制度もあったかと思いますよ。取り敢えず私が答弁書案を作成するので、それを写して海藤さんの字で書き直して下さい。」
「ありがとうございます!」

 菅田は元々は損害保険会社の顧問などをして損害賠償請求事案を多く扱う弁護士でもあった。後遺障害事案は得意な専門分野だった。

 同じ工場の後藤という人物からも交通事故案件の手続について質問を受けたことがあった。何と収監された後に実母が交通事故に遭い亡くなったのだそうだ。30年くらい前には交通事故での死亡者は年間で1万人を数えていたが、車の安全装置の改良や道路環境の安全配慮などの政策が進んだ結果、現在では3000人前後で推移している。それほど死亡者の数は減っているのにそのうちの一人がこの眼の前の後藤の実母だというのは何という不運な話であろうか、菅田は心を痛めた。彼を慰めながら丁寧に今後の手続の進め方について説明をした。受刑者にとって、収監中に親を亡くすほど心のきつい出来事はない。後藤も何という親不孝であるかと自らを責め続けている様子が感ぜられた。これも刑罰の過酷さであろう。応報の現れとして甘受する他ない。これが受刑という現実なのだ。菅田は改めて自らの置かれた境涯を認識させられた気がした。

 


 


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