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祖父とエッセイ

ここ2,3年の読書は小説とエッセイと人文書が1:1:1くらいの割合な気がする。
特にエッセイはいつでもサクッと1,2章読めてしまうので簡単に手に取りがちだ。芸人・芸能人のエッセイを基本的に読むが、出来事1つ切り取ってもその人の色んな側面が描写されていて、飽きることなく読み続けられる。

思えばエッセイというものに初めて触れたのはいつだったか。
考えて思い当たるのは父方の祖父の存在だ。
私が小学生の時、たまに行く祖父の家で古めのデスクトップPCでWord形式で開かれていたわけのわからない短編の文章。祖父が書くそれが私の初めて読んだエッセイだった。

祖父は現在95歳、来月9月で御年96歳を迎える。干支が9周目に入るという途方もない年月を生きている。
昭和初期に生まれ、特攻隊の訓練生として戦火を生き抜き、婿養子に出され、会社員として定年まで勤められ、老後は旅行にエッセイに、その他絵や音楽などにも手を出しつつ、私の両親と同居して暮らしている。

祖父は定年後の10年余はよく祖母と海外旅行に出かけ、その度に旅行記を兼ねたエッセイを書いていた。旅行から帰ってくると、今度は自分の幼少期の話や私たち孫の話など日常のことをエッセイにしたためていた。
私や兄妹のこと、私が描いた絵のことなど題材にしていて、小学生ながらにこそばゆい思いをした覚えがある。

その後私が中学生になるタイミングで祖父母との同居が始まり、そして祖母のアルツハイマーが始まって、不安定だった祖父と思春期の私や兄はよく揉めていた。その時期は旅行にも行かずにあまりエッセイを書いていた記憶はない。
その後は祖母が施設に入り、私たちも精神的に少し成熟したこともあり、揉め事は減っていった。祖父はエッセイをあまり書かなくなった代わりにハーモニカやクラリネットの教室に通いだした。
祖母が施設に入ってしまってからは時々父や叔父、私も旅行に付き合ったのだが、遠出はあまりしなくなり、近所の散策ばかりするようになった。あまり日々に新鮮なことが無くなったのか、相変わらずエッセイはあまり書かなかった。

思えばエッセイというのは、日々の新鮮味が無いとなかなか書くことがないんだろうな。

時は流れてつい3,4年前、施設に入っていた祖母が亡くなった。私達家族は祖父を心配したが、思ったよりも晴れやかな顔で祖母を見送っていた。
その後、祖父は今まで書いていたエッセイを1冊の本にしたいと私の父に依頼した。もうこの時には90歳を超えていたので、死ぬまでに生きた証を遺すような思いだったのだろうか。
私生活のエッセイと旅行記の2編になったが無事完成した。私にも献本いただいたが、まだ読めていない。多分祖父が亡くなったタイミングで読む気になるだろう。

しかし祖母が亡くなった時と同じ心配がよぎった。思い残すことが無くなって、一気に元気が無くなって死に向かってしまうのではないか、と。
実際それは半分正解といった感じで、祖父は少し覇気がなくなり、出不精になって家で海外ドラマばかり見ているようだ。
それでもこの歳までよくもボケずに、しかも元々証券マンだったこととあり未だに財テクなんてやっている。こないだも倒れて手術なんてして入院しているが、意識はハッキリしていて早く退院したいもんだと宣っていた。

私がこうやってエッセイじみた文章を書きたいと思うようになったのも、こうしてみると祖父の隔世遺伝な気がしてきている。父は全く文章を書いたりするイメージは無いから。
祖父にはこのまま100歳まで死なずに、新しい楽しみを見つけてまた新作エッセイを書いてほしいものだ。

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