今も思い込みで暮らしている
幼少の頃、家から歩いて行ける距離に国会議事堂があった。もちろん思い込みである。
埼玉の片田舎にあの国会議事堂がある訳がない。
あったのは大学の講堂らしき建物だ。
大学の講堂らしき建物が国会議事堂の天辺の下あたりの階段みたいなやつに似ていた為、幼い私はそれを国会議事堂だと思い込んでいた。
小学生、中学生になってもそれを国会議事堂と疑わなかった。でも本当は気づいていた。あれは大学の建物だと。それでも何故か思い込みを否定しなかった。
それは私の心の中の国会議事堂なのだ。誰がなんと言おうとオレの中のはじめての国会議事堂なんだ。
似たようなことが他にもある。実家の柿の木の枝に残った柿がいずれ妖怪たんころりんになると思い込んでいる。40を過ぎた今でも私は放置した柿がたんころりんにならないとは言い切れない。どうしても
他にもある。高校生の頃に初夏に現れる野草の花粉症になった。目がとにかく痒くて鼻水も出る、その症状を正式に病院で診てもらって花粉症だと診断された訳でもない。勝手に花粉症だと思い込んでいる。しかも勝手にあの草のせいだと決めつけている。
たぶんこの草が原因ではないかと思っている。しかも日本には元から存在しない外来種だと思い込んでいる。
何も知らない25年前の高校生ならまだしも、インターネットが普及も普及している現代で片手でスマホで知らない草を用意に検索出来るのにあえてしない。
私の中の決め事をあえて崩さない。本当は違うかもしれないと思っているのに調べない。
愚かな思考だ。でもそれでいいんだ。