『物語を忘れた外国語』になっていないか?

表題は、黒田龍之助先生の本です。
(実はこっそり、私もこの本に登場するのです。えっへん)

以下の内容は、教育学・脳科学の知見にも、第二言語習得論とも関係がなく、自分の経験と考えをなんとか表現したものにすぎません。
言語学習について、以前読んで知っていた本の内容と最近自分が考えていたことが脳内で結びついた感じがするので、それをなんとか形にしました。
共感とアドバイスがほしい。

みなさんも日々の言語学習に、きっとduolingoやらdropsやらを利用していることと思います。私も利用しています。
続けていれば知識は増えていくし、着実に前に進んでいるのだけど、口から出てくるようになる感じがしません。モノにした感がない、とも言えるでしょうか。ざっくり言えば、話せるようにならない。

別に世間で言われるような「ペラペラ話してジョークを飛ばす」っていうような高望みをしているのではなくて、知らない語や表現がたくさんありつつも、「(狭い範囲ではあるけれど)日本語を介さずに聞けるし話せる段階」に到達できない、という意図です(これ、勉強して使えるようになった言語がある人には伝わりますよね?)

***

1.関口存男の場合

関口存男、という名前をご存知でしょうか。
昭和時代、ドイツ語の泰斗として知られた人物で、ドイツ語圏滞在歴がないにも関わらず、ドイツ人をびっくりさせるほどドイツ語に熟達した旨のエピソードの数々がよく知られています。

関口が残したドイツ語の入門書は今でも(古くなった箇所を修正しつつ)販売されているし、未完に終わった大部の研究書『冠詞』も、ある種の伝説の本として語り継がれています(こちらも入手可能)。

関口は、「わたしはどういう風にして獨逸語をやってきたか?」という自伝的文章の中で、次のように言っています(関口が初めてドイツ語を学習したのは大阪地方幼年学校に在学中のことでした)。
長いですが引用します。

(以下、仮名遣い、送り仮名、漢字のヒラキは、ママです)

どんな努力をしたかというと、一言にして言えば、つまり無謀きわまる事を企らんだのです。すなわち、ABCを教わり、発音の概略を会得し、やがて出るとか出んとか出すとかいう例の夫婦喧嘩みたいなところが終つて、とにかく自分で辞書が引けるようになつた頃だつたと思います(何時頃だつたかはハツキリ記憶しません、あるいは一年生の始めの頃、あるいは半ばだつたかも知れません)、語学以外には別に何一つむつかしい事もなし、ただドイツ語だけが全然新な学科だつだものですから、『よし、おれはこいつを物にしてやる!』と或る日決心したわけなんです。
(中略)
 とどのつまり買つたのは、非常に分厚い、星が七つも八つもついている、ドストエフスキイ『罪と罰』の独訳(Schuld und Sühne)です。なんと思つてこんな本を買つたかというと、ちよつと中をあけて見ると、一頁の中にistとかinとかichとかいう、わたしのすでに充分知つている単語が、たてつづけに五つ六つならんでいるところが眼についたからです。
(中略)
 さて、それをどういう風に読んだかというと、それが実に思い切つた無茶苦茶な読み方なんです。学校ではまだやつと、ご存知の方があるかも知れませんが、昔方々で使つていたGerman BookというHier ist ein Mannではじまつている読本の最初の半分ぐらいしかやつていないときに、しかも世の中の事を大して知らない十四歳の少年が、突然ドイツ語の小説をよみ出したのですが、どんな風によんだか大体察しがつくでしよう。というよりはむしろ「どんな風によめたか」ということが今でも私自身には疑問です。とにかく、最初の一行からして全然意味がわからなかつたのじやないかと思います。単に、ところどころにistとかnichtとかHausとかschönとかいう、わかる単語がないこともないので、そんなのが出て来ると大体その辺の意味がボンヤリわかつたような「気」がしたのじやないかと思います。
(中略)
 ちつとも分らないままで五頁や六頁は読む人もあるかも知れませんが、私のように百頁も二百頁も(しかも丹念に)読んだという人はあんまりいないでしょう。
(中略)
ーー意味がわからないままで読むといつても、決して上すべりして字の上を滑走したというのではありません。とにかく「わかろう、わかろう」と思つて、片つぱしから辞書を引いて、辞書に書いてあつた意味を何でもかでもその語の妙な響きに結びつけて、そうして一行か二行を穴の開くほど睨みつけて、十ぺんも二十ぺんも三十ぺんも読みなおして、そして、ああじやないかと、こうじやないかと、とにかく十四歳の少年の智慧に及ぶ最後の限界まで考えつめたのです。
(中略)
 学校で教えられるドイツ語を全然度外視し、初級中級をカツ飛ばしていきなり千頁近くもある原書にくらいつき、まるで猛獣に巻きついて食うか食われるかの死闘を演ずる熱帯の大蛇のごとき鼻息で、執拗な、単調な努力を、およし一年半ないし二年もつづけたでしようか。あの尨大な書物の三分の二ばかり、わからぬままによんだのち、二年生から三年生になる当時だつたと思いますが、なんだかコウ、ところどころ、イヤにはつきりよくわかる箇所が頻々として出てくるのに気がつきはじめました。時とすると、半頁も一頁も、スラスラと読めて、よく意味がわかるのです!

『関口存男の生涯と業績』p48〜「わたしはどういう風にして獨逸語をやってきたか」

ドイツ語訳の『罪と罰』を読み通すなんてことはちょっと真似できませんが、達人の強烈なエピソードとしてこの箇所が記憶に残りました。

2.サイラス・ H・ ゴードンの場合

ウガリト語研究の礎を気づいたサイラス・ゴードンは、『古代文字の謎:オリエント諸語の解読』の中、自伝的要素が強い第7章に、自身の言語学習についてこう書いています。

すなわち、だれでも、もし、どんな本でも最初の二〇ページに出てくる、すべての単語を辞書で調べ、暗記し、文法についてのあらゆる項目を理解することに労力をおしまないならば、その本の残りの部分は、ほとんど辞書の必要もなく読了することができる。なぜかといえば、著者は、それぞれ自分自身の文体と表現様式をもっており、彼の著作のどの二〇ページを見本としてとってみても、それらが表れているからである。一冊の本を読んでしまったのちは、同じ著者によるどの本も読むことができた。他の著者たちの場合も、一冊の本の最初の数ページにでてくる諸項目をマスターしたあとは、容易にはいっていくことができた。スウェーデン語でこのようにすることができたので、他の諸言語にも、同じようにその経験をあてはめることができるという確信が与えられた。

C.H.ゴードン『古代文字の解読』p192-193
本筋に関係のない、挿入的なカッコは省略しました。

関口のエピソードに比べると、だいぶ壁が低くなったように感じます。
ゴードンは、この方法で次々に読める言語を増やしていった、と書いています。

3.わたしの場合?

以上の2箇所が、ずっと頭にあったのです。それが最近、実感を伴って結びつき始めたので、いまこの記事を書いています。

つまり、これまでの私は、圧倒的に読む経験が足りなかったのではないか。
語学は実践だから、練習が大事です。そして世間では、「話す」ことばかりに注目が集まりがちです。しかし話すためには、当然読めなければいけません。

反省してみるに、仕組みをしっかり解りたいと考えるあまり、文法の理解に偏重していて、現実の文章を読む量が少なかったと感じるようになりました。

反復練習に出てくる、
「彼女は毎日、自転車で塾に行きます」だの、
「ケントは週末、旅行に出かけます」だの、
短い、完結している例文は、あくまでも例文であり、「読んだ」ことにはならないと気づきました。これらは文の構造を示すためのモデルですね。現実世界の何かを語ろうとしている訳ではありません。

発話行為は必ず何かを語りかけるために行われます。手紙、昔話、あるいは標識でも看板でもそうです。何か聞き手に対して伝えたい内容がある。
ところが、「これはペンです」方式の例文はそうではない。伝えたいのは内容ではなく文の構造です。構造が示せれば、内用語は置き換え可能な訳です。このような短い例文は読み手に何も訴えていないことになります。仮に、「水は摂氏0℃で凍ります」のような例文があっても、それは”語り”ではありません。

***

”語り”の文章を読むときには、文単位での内容の理解が、前後関係と因果関係の中で必然性を持って固定されるのですね。また、どのような人物がどういう状況で発言をしているのか、きちんと読み手が理解できる。
語学書の例文について、「内容に繋がりのない、バラバラの短文よりもストーリーがある方が記憶に残る」のは当たり前ですが、いま、この文字にしてしまえば至極簡単なテーゼを、より深く実感しています。表面的な理解から、個人に根付く体験ができる、とでも言えばいいでしょうか。

ようやく、もっと現実のテクストに向き合う必要がある、という当たり前の発想に行き当たったのです(間抜けな話ですね。

ついでに言えば、次々と視点が切り替わる、「会話」でないほうがいいのではないか。話し手が切り替わるのは、脳の認知に負担をかけるような気がします。因果関係の鎖は一本の方がいい。

さらに言えば、読む対象となるテクストはなるべく、わざとらしくないやつがいいですよね。
入門書の初めの方には、3〜5行の、モノローグ形式の文があるといいなぁと思ったのでした。

4.二葉亭四迷の場合

ここまで考えたところで、この分野の古典的名著、千野栄一『外国語上達法』にある、次の部分を思い出しました。

「ねえ君、いい辞書とか、いい学習書とかいろいろ心配しているけどねえ、二葉亭四迷だって、坪内逍遥だって、森鴎外だって、いい辞書も、いい学習書もなかったのにあんなにできたじゃない。これどういうわけ? やる気よ、やる気。やる気さえあればめじゃない、めじゃない」

同書p104。これは、語学書執筆に悩む千野先生に、木村彰一先生がかけた言葉です。

つまり、二葉亭たちの時代には、”外国語を学ぶ”とはほぼ「読む」ことだった。鴎外や漱石が「できた」のは、圧倒的に読んでいたから、なのじゃないかと思った訳です。

振り返ってみると、私が宮古語を少しでも使えるようになったのは、下地イサムという歌い手の語りを、何度も何度も聞いたからです(たぶん)。

というわけで、上のレベルに進めないなと感じていた言語については、「読む」に比重を置いてみようかなと考えたのでした。
それから、日琉諸語については自習可能な本がなくても、文法のあらましをつかんだ後は文字起こしされた民話があれば進められるな、という光明がさしてきたのです。

おしまい。

いいなと思ったら応援しよう!