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小川利治『[古代]教会スラヴ語文法』著者手入れ本の発見について

はじめに

日本語で書かれた古代教会スラヴ語の文法書は、これまでに3冊出ています。

  1. 小川利治『[古代]教会スラヴ語文法』廣文堂書店、1971

  2. 木村彰一『古代教会スラブ語入門』白水社、1985

  3. 原 求作『古代教会スラヴ語入門』水声社、2021

(ちょっと所感を挟みますよ)

私が言語に興味を持ったときには、もちろん市場には『木村』しか存在しませんでした。浪人中、丸善丸の内本店で実物を初めて見て、そっと書棚から取り出したときのことを覚えています。大学に入れば、「学問」ができるんだな、と感動しました。大型書店で「実用」と「論文」の間にある学問を感じた、とでも言えばいいのかな。

さて、無事入学して生協に加盟して、真っ先にやったのが『木村』を2割引で買うことでした。入荷連絡が待ち遠しかったことよ。

届いた本の「まえがき」に、こうあります。

従来わが国で出版されたこの言語の文法としては,小川利治氏『[古代]教会スラヴ語文法』(1971)があるが、この本は日本人の手になる最初の系統的な文法書として記念すべき価値があるとはいえ, 現在入手がやや困難になってきているうえに、記述の方法がすくなくとも初学者には難解すぎる憾みがないとはいえない.

この「まえがき」で私は、『小川』の存在を知ったのです。『木村』の古めかしい堂々たる装丁や、日本語で唯一であることから、てっきり日本語で出た最初の本だと思い込んでいました。

このころ、古本屋通いを始めたのでなんとなく『小川』を常に頭の片隅に置いていたのですが、一度も見かけることはありませんでした。ググれば書誌情報は出てくるのですが、ヤフオクや「日本の古本屋」の在庫検索にも引っかからない。
大学図書館に、運良く(というのは私が通っていた大学にはそのような専攻がなかったにも関わらず)所蔵されていたので、遠くのキャンパスの閉架資料からわざわざ取り寄せてみたことがあります。

2022年ごろから、ポツポツとネット上で見つかるようになりました。この本を所蔵していた方々が鬼籍に入り始めたのだろうと推測できます。

学生のころ「幻の本」だった『小川』を、先達から受け継ぐような気持ちでついに私も購入しました。そこでやっと、今回のお話です(長かったですね)。

これが『古代教会スラヴ語文法』だ

「文選」と「語彙」は簡易な製本です。「文法」に対する付録みたいに思えます。

箱入りで、3分冊。
図書館で取り寄せようと書誌情報を見たときに、「3巻本なのか?」と混乱したのですが、ようやく謎が解けました(そのときは「文法」だけ借り出した)。

本を開いてみて、この個体が著者手入れ本であることが気づきました。本文2ページと、挟み込まれている正誤表に手入れ箇所があります。

本文2ページ。拡大して見てください。
これだけなら学習者が個人的に訂正を施しているようにも見えますが…

キリル文字 п にあたるグラゴール文字は新しく印刷した小片が貼ってありますが、これは発売前になされた訂正かもしれません(情報をお持ちの方、お待ちしています)。

そして正誤表がこちらです。

鉛筆で罫線を引いたところに青インクの万年筆を使っているように見えます。

文字起こし(テキストデータ起こし?)しました。

なお本文2頁の文字表中、キリルKに対するグラゴル〓、〓の文字の大きさが異なるのは、〓の方を後から作ったヽめであって何等意味はない。
文部省の方針が、当該年度中に印刷刊行を終わらすことを義務づけている関係上、またその他の原因により校正に多くの時間と労力をかけ得なかった結果、この正誤表以外にもまた数多くのミスプリントがあるのは残念である。再版の機会があれば徹底的に訂正したい。

グラゴール文字は出せないのでゲタ(〓)。

「文部省の方針云々」は、この本が文部省の研究助成を受けての出版であることによります。
ざっと見たところ、これ以外には手の入っている箇所はありませんでした。

***

手入れとは関係がないのですが……
なんと奥付けの著者検印が、著者のイニシャルT.O.をグラゴール文字で彫ってある特製のハンコが押されていました。

真ん中に線が入っているのは、左側がハンコの移りを防ぐ薄紙が貼ってあるためです。
印影を写真に撮るのは躊躇われたのですが、よく考えたらこれは実印ではない。
よく見ると、タイトルが他の箇所と異なっている…!

ちなみに、今日流通している本ではこの箇所、「検印廃止」と印刷されているのみです。
これは、印刷会社から刷り上がった本がまず著者に送られ、出版社と合意して契約した部数だけ印刷していることを確認するために、著者が部数を数えて1冊ずつハンコを押すのです(院生たちがやっていたのだろうなと推察)。
「著作権使用料」を「印税」と通称するのは、この名残なんですね。

***

以前podcastの方でも取り上げましたが、千野栄一による『木村』の書評があります。

千野栄一「木村彰一著『古代教会スラブ語入門』白水社、東京, 1985」
(「ロシヤ語ロシヤ文学研究」第18号、1986)

書評の体裁ではありますが、千野先生がひたすら木村先生の仕事を絶賛している内容です。後から気づいたのですが、木村先生が86年1月に亡くなっているので、この号には、木村先生追悼号、ともまではいかなくても、思慕が現れやすかったのですね。和久利誓一先生による追悼文「木村彰一氏の御逝去を悼む」も掲載されています。

この書評に、『小川』への言及があります。
引用前に解説しておきますと、『木村』p10-11に参考文献が挙がっています(この本では本文の後にではなく目次の次に参考文献があります)。欧文の文献がずらーっと並び、最後に1行空白を開けて『小川』が挙がっています。これに対する言及。

 なお文法書の中で本法最初の古代教会スラブ語文法である小川利治, 〔古代〕教会スラブ語文法, 東京 1971 があげられているが, この書をあげるのに他の参考文献との間に一行空けてあるのは, 筆者がこの本が本邦最初の本として評価はするがその他の参考文献とは同列でないことを示したものと考えられる。 

ママです。

木村先生の真意はさておき、この記述に注意を向けると、書評の中に都合2回現れる、”著者は十数余年前に脱稿していた”旨の意図が伺えるように思えます。この指摘だけは重複して現れるのです。

『小川』が1971年、『木村』は1985年の刊行です。木村が”十数余年”前に原稿を書き終えていたとするなら、「『小川』と同時期、もしくは先に刊行できていたかもしれない」と千野先生は悔しく思っていたのかもしれません。んー、下衆の勘繰りですかね。おしまい。


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