泰流社の継承者
泰流社が倒産した後も、粗製乱造の語学書作りは、途絶えることがありませんでした。泰流社から怪しい語学書を出していたのは、戸部氏ひとりではなかったのです。そしてその人物は、その後も活動を続けていました。
飯島紀氏
戸部氏がむちゃくちゃな本を刊行し続けている時期に重なって、(戸部本ほどのクオリティではないけども)「自習ノート」を出版しちゃったのが、飯島紀氏です。
著作にあるプロフィールによれば、1928年生まれ、京都大学を卒業、長く松下に勤めた後、松下グループの企業で顧問を務めた方です。もともとオリエントに興味を持ち、京大では理学部に在籍しながらも、文学部の講義に出席していたとのこと。
最初の本が1987年の刊行ですので、完全に定年後の趣味だったわけです(数え年でカウントしたために87年で定年を迎えたと推定)。
国会図書館で調べてみると、私家版で著作を何点か上梓したのちに泰流社との付き合いが始まり、泰流社倒産後は国際語学社から、国際語学社がなくなった後は信山社から著書を刊行し続けていたことが分かります(記事の末尾にリストを掲載)。
1冊、見てみましょう。
『楔形文字の初歩:歴史と文法 シュメール語・ハッチ語・アッカド語・新アッシリア語・ウガリト語・ペルシャ語』
まずこの本のすごいところは、縦書きなんですよ。
一読した印象は、古代オリエント史を語りたいのか言語を解説したいのか分からない、ということに尽きます。たぶん前者の方が少し優っていて、碑文や粘土板の実例を示しながら語りたいために、言語の説明も試みているのかな、と受け止めています。
(ということは、このあとグロス付き楔形文字碑文があるのですが、本を90°左に回して読むことになります)
歴史記述の正誤や用語の正確性は一旦置いておくとして、そもそも編集者不在の本ですから、とにかく読みづらい。何の話をどこに繋げるのか、読者に何を説明したいのかが見えてきません。
用語の選択にも問題があって、ここで「ハッチ語」と呼ばれているのは原ハッティ語ではなく、ヒッタイト語です(そしてヒッタイト語文法は貧弱な変化表があるだけというお粗末さです)。
そして言語の記述に対する部分も、もちろん問題ありです。
例えば飯島氏は、「能格」を理解していません。次の引用はシュメール語に対する説明の一部です。
この理解は変わらず、後の『グルジア語文法』においても、次のような説明をしています。
「能格」は、他動詞の動作主となる格表示です。
さて、ここで山梨学院大学教授・佐藤信夫氏の名前を挙げなくてはなりません。この『グルジア語文法』の著者名義が、飯島・佐藤共著となっているためです。
佐藤信夫氏
1945年生まれ、高校は建築課で学び、中央大学法学部卒業の後、同大学仏文科に学士入学、さらにその後はUCLAに留学していたという異色の経歴の方です。
アメリカの日本人学校で教鞭を取り、帰国後は山梨学院大学法学部で教鞭をとっていました。山梨学院大学のブログに、最終講義についての記事があります。これも、アーカイブのURLを載せておきます。
いま先取りする形でまとめておくと、飯島・佐藤名義の本は以下の5点です。
『アッシリア語入門:現代アラム語』泰流社、1993
『グルジア語文法』泰流社、1994
『対訳グルジア憲法:解釈と逐語訳』信山社、1998
『グルジア語文法』国際語学社、2003
『ネオ・アッシリア語入門(ネオ・アラム語)』国際語学社、2006
ご覧の通り、4は2の再刊でして、タイトルが大きく変わっているものの5は1の再刊です(3の書籍は筆者未見)。
『アッシリア語入門:現代アラム語』泰流社、1993
1992年、佐藤氏はアルメニア滞在中に”アッシリア人”集落を訪問、アッシリア語の現状について見識を深め、資料を入手して帰国します。
まさにこの年、オリエント学会に入会した飯島氏と佐藤氏はオリエント学会の会場で知り合い、多忙のために『アッシリア語文法』の執筆に着手できない佐藤氏に対して、資料の翻訳と原稿の作成を飯島氏が買って出た、という経緯の著作です。したがって実質は飯島著、佐藤監修であるとのこと。
佐藤氏による前書きの題は「アッシリア人は生きていた!」。佐藤氏自身も、「世界史」に登場するアッシリア人たちが、他民族によって同化されることなく、今日までアラム語を話し続けてきたことに対する感動を露わにしています。この前書きは、こなれていて読みやすく、本文に進む前の期待を高めてくれるのですが……!
本編のアッシリア語文法がひどい。
飯島氏は、自身が理解した内容を延々と出力しているだけで、説明をしていないのです。根拠とした資料を忠実に紹介しようとしている姿勢は窺われるのですが、「解説」ができるほど深く理解している訳ではなく、結局ただの”羅列”になります。
飯島氏の本には、
「またこういう表現もある」
「こうしても良い」
「A, B, またはCなどをつける」
のような、学習者からすると「どのときには”こう”していいのか分からない」、結局説明になっていない文が実に頻出します。きっと本人は分かっていて、説明したつもりになっているのでしょうけど。
あとそもそも文の組み立てが説明されていない。全体の大きな枠組みがどうなっているのか解説がないし、あるいは2語分から膨らませていくタイプの説明でもありません。
一方、これまで学習してきた内容はひけらかしたいらしい。次に引用するのは、アッシリア語では"持つ"にあたる語を使わず、"誰に何がある"型の言い回しを用いる、という説明に付け加えられた蛇足です。
すぐ次のページ。こちらは、3人称代名詞を繋辞に使うことに対する蛇足。
”共通する特徴は必ず起源が同じ”と考えているらしいです。
*飯島氏の名誉のために書いておきます。普通「アッシリア語」と言った場合には、東セム語のアッカド語の系統を指し、アラム語は北西セム語ですが、佐藤氏が訪問した集落では、住民はアッシリア人と自称して、現代アラム語の1種を話している、という状況であることは認識しておられます。混同している訳ではないことに注意。
『グルジア語文法』国際語学社、2003
先だって引用した箇所と、その続きを紹介します。
この説明を続けて読むと、あたかも行為者を強調したい場合に用いられるのが能格である、と理解してしまいます。そうではありません。
グルジア語では、現在形のとき、行為者が主格(-i)、受動者が与格(-s)になります。
対して、過去時制(アオリスト?)のときには、行為者を能格(-ma)、受動者を絶対格(-φ)で表します(分裂能格)。目的語を主格とすることもある、なんて選択可能なオプションではないのです。
飯島氏は、時制によって行為者と受動者の表示が切り替わることを知らずに書いているらしいことが伺われます。
(そしてここに書かれているグルジア語文が(単体として)正しいのか怪しいですね)
最後に、やはりこの本でも、それまでに知ったことを結びつけて紹介したい欲求が抑えられず、次のような文章があります。
この書き方だとバスク人が古モンゴロイドである、と言っているように見えますよね。あと「だから何だ?」という感想を抱かざるを得ない。
以上、しつこく能格周りの部分に注目してきましたが、飯島氏が正確に理解をしておらず、解説のできない人物であることは明らかです。佐藤氏は飯島氏と組むべきではなかったと結論したいと思います。
さて、佐藤氏自身も、古典・現代2つのアルメニア語文法を上梓しています(どちらも泰流社刊。のちに国際語学社)。これら2冊は、飯島氏の記述と違ってしっかりしています。ただですね、そうすると逆に、飯島氏の無責任な記述を放置していたのが怪しくて、アルメニア語文法も種本の翻訳なんじゃないかと勘繰ってしまいます。言語学と語学の素養がある人ならば、飯島氏のインチキを放っておかなかったはずだから。
飯島氏の単著リスト
(国立国会図書館のリストに基づく)
(私家版)『日本人の成り立ち』1987
(私家版)『アレフベース:随筆』1990
(私家版)『日本人とは誰か:日本人の成り立ち』1991
(私家版)『蒙古シリア系文字入門』1992
(私家版)『セム族流転小史』1992
『楔形文字の初歩:歴史と文法 シュメール語・ハッチ語・アッカド語・新アッシリア語・ウガリト語・ペルシャ語』泰流社、1994
『世界最古の文字シュメール語入門』泰流社、1995
『シュメール人の言語・文化・生活』泰流社、1996
『シュメールを求めて:最古の王朝』泰流社、1997
『ハンムラビ法典:世界最古の法典原典直訳』泰流社、1997
『シュメールを読む:最古の王朝』泰流社、1997
『アラム語入門:ペルシア帝国の国際公用語キリストの日常語-そして現代も生きる』泰流社、1998
『アッカド語:楔形文字と文法』国際語学社、2000
『アラム語:イエスの誕生、キリスト教の全貌』国際語学社、2001
『ハンムラビ法典:「目には目を歯には歯を」を含む条の世界最古の法典』国際語学社、2002
『日本語-セム語族比較辞典:日本語・アッカド語・アラム語・ヘブライ語対照辞典、シュメール語付』国際語学社、2003
『楔形文字の初歩:シュメール語・ハッチ語・アッカド語・ウガリト語・ペルシャ語』国際語学社、2004
『アラム語-日本語単語集』国際語学社、2005
『エジプトアマルナ王朝手紙集:王への手紙王からの手紙』国際語学社、2007
『よくわかる!古代文字の世界:古代文字だけが知っている、オリエント国家興亡の真実』国際語学社、2008
『はじめての古代エジプト語文法:ヒエログリフ入門』信山社、2010
『古代メソポタミア語文法:シュメール語読本』信山社、2011
『バビロニア語文法:バベルの塔を見上げて人々は何を語ったか』信山社、2012
佐藤氏の単著リスト
『アルメニア史:人類の再生と滅亡の地』泰流社、1986
『アルメニア語文法:詳解印欧比較言語学の主要言語』泰流社、1988
『ナゴルノ・カラバフ:ソ連邦の民族問題とアルメニア』泰流社、1989
『新アルメニア史:人類の再生と滅亡の地』泰流社、1989
『ソ連邦解体と民族問題』現代書館、1992
『法の源流:デルポイの神託と般若心経インド・ヨーロッパ比較法思想史の試み』芦書房、1995
『地政学で世界を読む:世紀のシナリオ』同友館、1995
『古典アルメニア語文法』泰流社、1995
『アルメニア憲法:対訳』信山社、1999
『法理学:デルポイの神託と般若心経/インド・ヨーロッパ比較法思想史の試み』芦書房、2002
『古典アルメニア語:独創的な国字(アイブベーナ)の文法と解説』国際語学社、2003
『法律ラテン:演習で学ぶローマ法の基礎解説』国際語学社、2003
『古代法解釈:ハンムラピ法典楔形文字原文の翻訳と解釈』慶應義塾大学出版会、2004
『現代(西)アルメニア語』国際語学社、2004
『法律羅甸語文法:演習で学ぶローマ法から現代法までの解釈と手引きの基礎』国際語学社、2005
泰流社の継承者
もう既に指摘しているように、泰流社から出た本が「国際語学社」という出版社から再刊されていたのです。まさしく泰流社を継承するものです。
この会社、例えば「まずはこれだけ」のように、刊行点数が多く、値段が安い、オリジナルのシリーズもありました。「まずこれ」は、基礎的な語彙と文法の初歩の初歩を身につける、という方針で編集されていました。ちょっと物足りない感じがしますが、多くの人にとっては、値段が安いし、珍しい言語もあるからいいか、という立ち位置だったかと思います。
同社「古代の歴史ロマン」というシリーズがあり、ここに飯島、佐藤の本が含まれていたのです。シリーズ全12冊の内訳は以下です。
飯島『アッカド語 : 楔形文字と文法』
飯島『アラム語 : イエスの誕生、キリスト教の全貌』
谷川政美『フェニキア文字の碑文 : アルファベットの起源』
飯島『ハンムラビ法典 : 「目には目を歯には歯を」を含む282条の世界最古の法典』
佐藤『古典アルメニア語 : 独創的な国字(アイブベーナ)の文法と解説』
山中元『サンスクリット文法入門 : 般若心経、観音経、真言を梵字で読む』
飯島『楔形文字の初歩 : シュメール語・ハッチ語・アッカド語・ウガリト語・ペルシャ語』
飯田篤『ヘブライ語文法』
飯田篤『コプト語文法 : 古代エジプト語はいかにしてコプト語となったか』
飯島・佐藤『ネオ・アッシリア語入門(ネオ・アラム語)』
飯島『エジプトアマルナ王朝手紙集 : 王への手紙王からの手紙』
山中元『古ペルシャ語 : 古代ペルシャ帝国の碑文を読み解く』
飯島、佐藤各氏の本は全て再刊ですが、初見の著者名がありますね。
3の谷川政美氏は、キリスト新聞社の『旧約聖書ヘブライ語独習』『ウガリト語入門』の著者、監修者です。この『フェニキア文字の碑文』、私未見ですのでコメントを差し控えます。
6、12の山中元氏については詳しく存じません。6についてはまんどぅーかさんのサイトに書評がありましたね。
そうすると残る8、9の飯田篤氏ですが、この2冊もひどい。どうひどいか。取り上げたいところですが、もう引用して間違いを指摘するのは骨が折れるのでやりません。俺を信じろ。
という訳で、泰流社から著者を引き継いだ、正当な後継者は国際語学社だったのです。インチキな感じも含めてね。
国際語学社の最後
その「国際語学社」ですが、検索窓に入力すると「国際語学社 夜逃げ」と出てきます。これは都市伝説ではなく、事実です。一出版社員として証言します。
ある朝、概略次のような書き出しのfaxが複数の出版社あてに送信されました。
この続きは、”パソコンは押収できたので出版社各位におかれましては著者と版権を引き受けるか相談してね”ということでした。
数ある本のうち、別の版元から増補改訂版として出たものに宇野みどり『はじめはここからスワヒリ語』第三文明社がありますが、他は寡聞にして存じません。
おしまい。