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越境者となれ~ましろの草子5

1      はじめに


2019年5月。地球の小さな島国日本では、平成の時代が終わり、新しく令和の時代が始まった。もうあれから4年経つことが信じられない。


2023年5月。日本から遠く離れた島国、英国で、チャールズ3世の戴冠式が行われた。70年ぶりの戴冠式で、ロンドンはかなりの厳戒態勢が敷かれたようだ。これも新しい時代が始まったことを伝えている。そしてその時代の狭間で、真しろは25歳になった。


大きな時代の変化が毎日のように起こる現在。そんな現在をどのように生きていくか。今回の記事では、真しろが今世をどのように生きていきたいか、その理想について綴りたい。将来の夢というよりももっと抽象的で、今後の自分の人生の中で大切にしたい価値観のようなものだ。25周年を迎える命の証として書き記しておきたいのだ。


境界線


思えば、真しろは幼いころから今まで、狭間とか境界線上にある物に心引かれていた。季節の変わり目。国境。県境。鉄橋。トンネル。お天気雨。バイリンガルの人。ティーンエイジャー。中性的な人。23時59分。なぜ好きなのかは言葉にできないが、境界線を感じるといつもテンションが上がっていた。強いて言うなら、「これは何々である」と白黒はっきりさせた定義ができないからこそ、その存在を捉えたくなっていたのかもしれない。


よく考えてみれば、世界のあらゆる物は、何かしらの境界線上にあって、何かと何かの間にあるような気がする。少なくとも真しろはそうだ。真しろが生きている間に様々な時代があって、時代を区切るさまざまなことが起きた。


例えば、2011年に起きた東日本大震災。震災に伴う甚大な被害はもちろんのこと、震災時に裏で活躍したとされているツイッターの存在が注目されるようになり、スマホの普及も相まって、SNSの時代が始まったと言える。あくまで真しろの見解だが。ちなみにその春真しろは中学生になったので、より意識が強いさ。


また、2020年に始まったCOVID-19のパンデミック。マスク生活が当たり前になり、DXやオンライン化が加速した。これも大きな時代の区切りだ。


社会的な時代の変化だけでなく、真しろが成長していく中で、さまざまな学校に行ったり、さまざまな経験をしたりして、真しろは境界線を生きてきた。


3 「つなぐ人」


真しろはかねてより、「つなぐ人」でありたいと思っていた。詳しくは、別名義にはなるが、以下のインタビュー記事を参照していただきたい。


https://epara.jp/interview-chokotarte-220509/


ここにも書いてあるが、真しろが、「つなぐ人」でありたいと思うようになったのは、特に大学に入ってからだ。例えば今真しろのアカデミックな分野での関心事は、バイリンガル、もしくはマルチリンガルの人々が2つの言語を使ってどのようにコミュニケーションしているかだ。すなわちこれは、日本語と英語をつなぐ存在であるバイリンガルの人々を知りたいのだ。また、大学では教職課程を履修して、人を育てる職業を目指していた。これも、時代と時代をつなぐ存在でありたいからだ。そして、物を書きたいと思うようになったのも、言葉と言葉で人をつなぎたいからだ。今イングランドで修行しているのも、「つなぐ人」のキャリアをさらに磨くためだ。


正直自分には、これといって誰かより秀でていることはないと考えているし、今後もそれを作る予定はない。それよりも、人と人、組織と組織、国と国、言語と言語、時代と時代をつなぐ存在になって、誰かの生活を豊かにしていきたい。その思いが強くなった。


4 「つなぐ人」であるのは難しい


しかし実は、「つなぐ人」であることはかなり難しいことだ。「つなぐ人」であるためには、臨機応変な対応や、つなぎたい2つの物に対する深い理解が必要である。つまり、どちらのことにも詳しく、どちらに対してもある意味中立的でなければならない。「つなぐ人」を目指せば目指すほど、両方トモがおろそかになり、両方トモから信頼を失ったり、両方の物事がうまくいかなくなったりすることもあった。


「つなぐ人」であるなんて傲慢な夢はとっとと捨てたほうがいい。境界線にいたって何も解決しない。そんな投げやりな気持ちになることが多かった。いくら怒って境界線を踏みつけても、何も変わらないのに。


5 「越境者」となれ


前の記事でも少しふれたが、イングランドで修行していく中で、ラベルにとらわれない人々の存在を知った。たとえ英国に住んでいても、彼らの母語が必ずしも英語なわけではない。大学1年生だから19歳であるわけではない。日本人だからといって日本人と一緒にいるわけではない。そんな彼らを見ていてはっとした。今まで自分が境界線上に存在すると思っていた物や人は、境界線の上にいたのではなく、越境していたのだと。季節は季節を越境し、バイリンガルの人たちは言語を越境し、鉄橋やトンネルは川や山を越境し、ティーンエイジャーは子供と大人を越境し、お天気雨は晴れと雨を越境し……。真しろが好きなのは境界線上にあるものではなく、越境している物だったのではないか。


境界線は越えるためにある。だとしたら、真しろがなるべきは、何かと何か、誰かと誰かをつなぐことよりも、何かと何か、誰かと誰かとともに越境していく存在であるべきだ。「つなぐ」よりももっと能動的で、そして境界線の先にある物を見るために必要なことなのだ。


時代と時代は見えない境界線で結ばれていて、次の時代へどう引き継ぐかがどんなことでも課題になる。だからこそ、引き継ぐというより、お互いの時代を越境して、より強固なつながりを作るのが大事だと思う。言語も同じだ。国と国でもそうではないか。


変化していく時代に取り残されたくはないし、過去を振り返りたくもなる。振り返りたければ振り返ればいい。でもそれだけでは駄目なのだ。過去を忘れず、未来へ越境することが重要なのだ。COVID-19がないころのほうがよかった。スマホがないころのほうがよかった。ずっと子供でいたかった。その思いは捨てなくていい。その思いを持って越境することがきっと大切で、それができないから毎日つらくて、そしてわくわくするのだ。


6 Song for You


久しぶりのこのコーナー。今回紹介したいのは、Goose Houseの、「つなぐ人」だ。この曲は、大学で進路に悩んでいたときにいつも支えになってくれた曲だ。自分たちはみんなバトンを持っていて、それを誰かや何かに渡している。そんな歌詞が自分の気持ちに近かったので、胸に響いていた。


ご視聴になりたい方はこちら。

https://open.spotify.com/track/5AKV1vAR0i0LAsjNBdBcqG?si=ukW4oWdSQYChU2dq4lPumw

7 おわりに


今、真しろはまさに故郷を離れ、イングランドへ「越境」していて、この夏にはまた日本へ、「越境」する。そしてこれからも、さまざまな意味で、越境を繰り返すつもりだ。何かをつなぐという以上に、境界線の先にある景色が見たいからだ。


いや、たぶんそんなことをいちいち書かずとも、年を取っていけば、知らないうちに越境なんて繰り返すことになる。だからこれからは、「越境者」として生きていくために、毎日の行動を変えて行けたらいい。それが、25周年を迎えた真しろの決意だ。


それでは今日はこの辺で。Have a nice day!

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