昭和と平成、平成と令和
今更このタイトルってどうなのかなとか、
この内容ってどうなのかなとも思ったけれど、
昨日平成に残してきた文章を
やっと成仏させることができたから。
それはとても私の気を楽にさせたから。
それと同時に早くも忘れていた
あのワードを思い出した。
それは
平成最後/令和最初
だ。
私は
"平成最後"に託けて、
ピアスを2つも買ったし、
"令和最初"に託けて、
奮発してワンピースを買った。
でもそんなこと、
とうに忘れてしまっていた。
ニュースやテレビ番組で
あんなに令和になることが
大々的に放送され続けていたのに、
令和になってしまえば、
なんて呆気ないんだろう。
もはや令和が最初からそこにあったかのようにも感じるし、
一方で自分の中では未だ何の定着もされていないようにも感じる。
昭和最後と平成最初も、同じだったのかな。
私の年代は
ちょうど昭和と平成生まれがいる年だ。
同い年同士での
「何月生まれ?」という質問に対しても、
「じゃあ貴重な64年なんだね!」
「じゃあ平成なんだね!」
とか返答していた気がする。
就職してからは昭和と平成は
どこか不自然な区分のように感じた。
同期で同い年なのに
「お前平成なのか〜」と、
やけに平成最初の新入社員は
もてはやされていたようにも、
馬鹿にされていたようにも感じた。
そしてそれと同時に
「平成=若い」
という謎のイメージが
全昭和生まれの共通認識として
植え付けられていたように感じた。
だが、もうそんな時代は終わった。
当たり前のことを言う。
今はもう「平成=若い」ではなく、
「令和=若い」
というイメージへの移行が始まっている。
と言っても、
令和は始まって2年しか経っていない。
令和2年。
もしかしたら
入学時期、卒業時期が変わるかもしれない。
色々な方法論があるようだが、
もし5年かけてだろうが、
9月入学、8月卒業になるとしたら、
これは「令和初頭生まれ」の
ひとつのイメージになるだろう。
令和元年生まれの私の甥っ子が
あと18年後か、22年後に
私と同じように思うことはあるだろうか。
平成と令和の狭間で、
あのチビ怪獣は一体どんなことを思うだろう。