見出し画像

痛みと、面影と、心呼吸

「心が痛まないと生きていることがわからないなんて。」

全力で、瞬きの瞬間も惜しいような、いつも力漲る女の子がいた。少し癖のあるかわいい文字を書く、かわいいものにも目がない女の子。時々見せる心の弱さは持ち前の明るさが発揮されるときに影すら残さず、彼女がくれる写真は、いつも笑顔と一緒に好きな食べ物が並んでいた。

ネットで知り合い、文通をしたり。彼女とは会ったことはないものの、顔を知らないからこそ、互いのことを教え合えた。本人にとってはあまり幸せを感じられない10代だったけど、いろんな人と出会いながら、好きな人を見つけ、愛されることを知れたんだなと静かに見守っていた。

去年、久しぶりに彼女のTwitterを見ると、「入院」「治療」「退院」そんな単語が並んでいて、なぜか察しがついてしまうことに嫌気がさしながら、恐らく長い闘病になるだろうと思った。

近況を報告しながら、それでも彼女は彼女のまま。前向きにひたむきに、家族のためにできることを探して、それを嬉しそうに綴っていた。食に対する欲望は失われない様子に、思わず笑みが溢れるほど。好きな食べ物への執着と、愛する可愛い息子くんと旦那さんへの感謝と。たまに言葉にするのも難しいような、苦しいと漏らす時があっても、また次には力溢れる思いを並べて。

大丈夫、きっとあの子はこうして生き続ける。

私はそう信じたくて、何も言葉をかけず、ただそっと見守っていた。今思えば、どんな言葉をかければ彼女が気を遣わずに返事をくれるのか、わからなかっただけかもしれない。変に自分の負担も増やしたくなかったのかもしれない。ただ、あの子が生きる力を信じていようと。そうしたかった。

免許取得の試験日、免許センターへ向かう早朝。彼女が、空へ還ったと知った。ちょうど1週間前くらいに、「余命」という言葉を読んでいた私は心のどこかで覚悟をしていた。その日が近いのかもしれない。受け止める日が来るのかもしれないことを、きちんと知っていた。

「ああ」

声にならず、息だけが深く吐き出されて、目頭が熱くなる。バス停で、1人俯きながら耐えていた。ぐっと呼吸を止め、雲が覆う空を見上げ、彼女は私に気付いてくれるだろうか。そう問いながら目を閉じた。

人はいずれ死ぬ。静かな胸の運動も、心臓も止む。それが人生で、終わりを迎えることは必然だ。だからその日まで、私たちは生きているだけ。最後の祖母の死も、そうやって受け入れながら静かに手放した。

分かっていたのに。私は歯を食いしばって耐えていた。自分が涙を流すような存在じゃないのに。なんでこうも、私は。

お日様みたいに笑うあの子が、抗えなかった。今じゃなくても、よかったじゃないか。もっとくしゃくしゃでしわしわのおばあちゃんになってからで、いいじゃないか。何でよりによって、今だったんだ。あの子が、もっと生きる理由なんて私よりも百倍あるだろうに。

ああ、生きなきゃ。

そう心に響いた瞬間、自分を嘲笑いたくなった。
心が痛まないと、生きている実感がないのか。
心が痛まないと、生きる力が、湧いてこないのか。

するべきことをして、私は自分の人生を生きなければ。悔やむ人に顔向けができない、なんて。

どれだけ覚悟をしていても、予測していても、実際にその事が起きない限り、それは経験にならない。経験がなければ、その予測の範疇なんて1ミリ程度にしかならない。痛いほどわかった。

やるべきことをして、試験を通り、免許証を手に入れた帰り道。彼女を思い出しながら、自分が情けなくて、無力で、生きる理由と、死ぬことと。バスに乗り、電車に乗り、歩きながら、静かに泣いた。何も分かっていなかった自分を振り返り、彼女のおかげで知った事を繰り返して心に刻みながら、家に帰ってもう少し泣いた。

ごめんね、なんて言える立場でもないと思う。謝るのは、ずるいと思う。だけど、つい口から出てごめん。いつもビビットな色合いがよく似合う写真が、私にはない魅力で好きだった。笑顔から見える八重歯がいつも印象的だった。いつの間にか結婚して、子どもを産んで、家族を手に入れて。ねえ、燃えるような人生だったね。私は元気だよ。あなたに比べたら元気じゃないかもしれないけど、でも元気だよ。仲良くしてくれて、あの頃の私と一緒にいてくれて、ありがとう。私が生きる道の途中で、手を振ってくれて、嬉しかった。

気付かせてくれて、ありがとう。
教えてくれて、ありがとう。


いいなと思ったら応援しよう!