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「好き」が自分を苦しめる人へ、しあわせな「好き」を

同僚から突然のLINE。

「〇〇さんね、今日1日大変で
 疲れとかイライラとかあった感じだろうし
 こんなこともあったんだけど…」

それは同僚の、上司から言われた言葉が
少し引っかかってしまった、という内容だった。

すぐさまなんと言葉を返すか考える。

「気にしなくていいよ」
「そんなときもあるよね」
「そうやって気遣えるのすごいね」

いろいろ浮かんだ言葉はあったが、
どれもしっくり来ない。
わたしが伝えたいことはなんだろう。


以前から月1程のペースでランチなど
一緒に過ごしながら話してきた同僚が、
毎度目を輝かせ話す同僚の上司。

仕事ができる、優秀な方だ。
自分も聞く話ではあるがすごい人だなぁと思っている。

しかし、いかんせん感情労働といわれる職場。
子どもを相手にする仕事でもあり、
気が立つことももちろん少なくない。

その上司も例に漏れず、噂に聞くくらいには
ピリついた雰囲気を出すこともあるようだ。

しかし、同僚はそんな上司の噂に蓋をするかのように

「〇〇さんがね、この前こうやって話を聞いてくれて
 すごく嬉しかったんだ」

「職員の立場で一緒になって考えてくれたりね、
 時には職員のわたしたちを守ってくれている」

などと彼女なりの捉えで上司を慕っていることを、
たくさんの話を聞いてきたわたしは理解している。

だけど。

嫌なものは嫌だし、傷つくものは傷つく。

今思えば自分の経験を当てつけのように
話してしまったかもしれない。

同僚とその上司の関係性に
干渉してしまったかもしれない。

けれどわたしが伝えたかったことは、

ちょけた文章なのは重々しくならないように

そう、

『「好き」だからって枷をはめていないか?』

ということ。

好きでいることって難しいと思う。
「好き」は本当に十人十色な感覚だ。

しかしわたしは最近悟った。
(悟った出来事についてはいつかまた書き遺したい。)

『「好き」って、思ってるよりも気楽でもいいな?』

意外にも思ってないところで自分に重い枷を
はめていたのではないだろうか?

『好きならこれくらい許せなきゃ』

『好きならこれくらいのことはすべき』

いやいや、「好き」ってもっと
こうしたいな、そうしたいな、みたいな

自分の気持ちが前に進んでいくもので
"あった方がしあわせ"じゃないか。

「好き」ってしあわせでありたい。
辛く苦しい「好き」ではいたくない。

そんな思いが急に降りてきて
LINEを返したのだった。


彼女はとても素直な人で、
わたしの考える「好き」のあり方が
伝わったようだった。

安心して好きでいられる。
そんなしあわせな「好き」でいられたら。

いつか見失った僕らを
ちゃんと許してあげられるような

魔法の歌を

PEOPLE1「魔法の歌」より

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