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学校という「職場」環境にモヤモヤし続けたシロウトによる一考察


0 管理職の方に読んで頂けたら有意義かもとも思う、提言前夜


先日、私が半年間勤めた小学校で卒業式がありました。

期間限定のパート職員として、教員免許を持たない私が、特別支援学級で「センセイ」として働きはじめてから、間もなく半年が過ぎようとしています。


3月末で、任用期間終了。

卒業式以降は生徒も登校しないため、一抹の罪悪感は抱えつつも、離任式を含むあと3日間以外は、欠勤申請をさせて頂きました。

給料は一時的に減ってしまうけれど、次の仕事の準備や、家事や所用を足したりしたかったから。

そして、夫の農業を手伝ったり(これも、仕事と言えば仕事ですね)、noteを書いたり、複業に繋がる投資の時間に充てたかったから。

それと、夫や娘との家族時間を楽しみたかったし、半年で溜まった澱のようなものを、洗い流すリラックス時間がほしかったからです(苦笑)


もっと言えば、生徒がいない学校で、パートの「学習支援員」がする仕事が不明瞭だったため。

だいぶ前から、関わりのある先生や事務の方に、卒業式から任用期間が終了するまでの間何をするのか、聞いて回っていましたが、明確な返答はついに誰からもなく…

これは、“その時”になってからも、ずーっと、「あの、何をしたら良いでしょうか…?」と聞き回らなければならないパターンだ!という嫌な予感が頭をよぎり、欠勤申請=給料減という選択肢を選ぶことにしたのです、、、


私が、小学校という「職場」に対して半年間抱き続けたモヤモヤは、冒頭に書いたとおり、任用期間の間中、ほぼほぼ私の中で不満としてくすぶり続けました。


はじめのうちに感じた思いはこちらをご参考下さい↓



卒業式当日は、式が始まる前から、(色々ありすぎて)疲労困憊。

体調不良もあいまって、「早く帰りたい」と思いながらの参列…

関わりのあった、支援学級の6年生の男の子とその担任の先生の姿に、込み上げてくるものがあった他は、、、


私が勤めた小学校という「職場」の、

①チームプレーがうまく行きにくい

②管理職がマネジメントしてない

③同調圧力の強さ

④多様性が失われている/尊重されない


ということを再認識した日となりました。

以上について、単なる愚痴にならないよう、私自身の次へのステップとして、そして、読んでくださる方がご自身の働き方や、職場の人間関係構築の何らかの手がかりとなるよう、俯瞰して考察してみたいと思います。


有資格者ではない私の、「シロウト」のひとつの主観ではありますが、小学校にしか勤めたことのない先生方にとっては、私はある意味「部外者」であると同時に、世間の実体や内情を体験してきた「奇人」「変人」だったのでしょうし、気づかないフリをしてきたものに気づかされる「クサイものにフタ」したくなる存在だったように思われるのです。

「学習支援員」という期間限定の仕事。私の住む自治体においては、コロナ禍で発生した緊急的な職だったため、もしかしたら管理職の人も対応に慣れていなかったのかも知れませんが、そこを差し引いて、学校という職場では立場が最も弱い立場の労働者だった(はずの)私が感じたことを書き留めておきたいと思いました。


1 個人プレーヤーが多い +マネジメントが機能していない = ???



①については、「小学校の先生」という特性上、ある程度そうなるのが当然なんだと思います。

学級運営をしていく過程で、自然と仕事の仕方はご自身で采配し、コントロールし、仕上げ、ルーティーン化すべきところはそうしていかないと、そもそも成立しないわけで…

おまけに、業務量は膨大。

見ていて、「これ、ご本人も意味ないと思ってやってるのかなぁ」と感じられることを、何か他のヒトやモノからの圧を受けてせざるを得ずにこなしているような雰囲気も、あったりします。

孤高のプレーヤーという趣に、もちろん尊敬の念は禁じ得ません。


仕事はしっかり自分で準備・段取りし、自己点検し、完結させる。

常に生徒や父兄に見られているという緊張感は、先生方の出で立ちや振る舞いを、他人の視線に耐え得る強度のある、力強く凛としたものにしているのだなぁ、とも思います。


一方で、世間から見れば、それはどちらかといえば学校内で「のみ」通用するのでないか…?と思われる仕事のやり方をしていることが、この学校の先生は多かったな、と感じてます。


その具体的なこととして、

チームで仕事する、という感覚が欠けている

というものがありました。

私が退勤した後、もしかしたら先生方同士は必要な情報を交換したり、連携の不可欠な先生とはきちんとコンタクトしているのかもしれません。

ただ、関わりのあった学級の先生方はすべて、最低限でも必要な情報を自らパスしてくれる人はいませんでした。

私から働きかければ、丁寧に連携してくれる方が1/3ぐらい。

授業で関わりのあった残りの2/3の先生方は、こちらから働きかけても必要十分な情報すらパスしてくれない(苦笑)


それには個人情報とか、そういう理由があるのかもしれません。

でも、毎日関わって、しかも特別な配慮が必要な子どもたちなわけです。

その子の特性や、どこに難しさがあって、これまでどういうサポートをしていて、どういう場面で特に支援が必要なのかとか、こういうことが出来るようになってほしいとか、保護者の方とはどんなことをお話してきたのかとか…

その子の今ある能力や個性を最大化するための、「必要最小限の支援」をするために必要な情報って、あるじゃないですか!!

それとも、私が学習支援員だから、「チームの一員」として認識されてなかったんですかね。

休憩死守しようとしてたから(苦笑)


でも、、、

仕事の目的やゴールは、そのプロジェクトに関わるチームメンバーに共有されるべきではないのかなぁ、と。

学校においてなら、子どもたちの現状を把握して、客観的に評価して、定量でも定性ででも、仮でも暫定的だったとしてもゴールを設定して、関わった人たちはしっかりと振り返りを行う…

まぁ、それが「通信簿」とか「期末評価」にあたるのかもしれませんが、、、


アルバイトと言えど、前職が外資系大手企業だった私。

本人とマネージャーがクォーター毎に1 on 1を行ない、本人の能力や目的意識、雇用形態に合わせ、かつ社内の評価基準がしっかり共有されたうえで、本人の合意や納得感が形成された形で評価や給与が決定される…


会社としてのミッションや、店舗やストアマネージャ毎のビジョンが落としこまれる仕組みが作られており、(個人差はあったけれど…)ストアマネージャがその店舗のニーズに合う形でチーム運営を行う…

勿論、売り上げやカスタマーボイスなどの数値的な意味合いにおいても、ミッションやストアビジョンに対しての貢献度など定性的な意味合いにおいても、複数の見地と物差しかフィードバックを行い、次期に生かしてゆく…


というやり方や文化に慣れていた私には、パートとか正職員かどうかは関係なく、せめて必要最低限な情報については共有されてしかるべきだし、「シロウト」を受け入れる以上、現場の管理職がそこをスムーズにする仕組みを事前に考えておくべきだったのではないかと。

そして、受け入れる段階で準備が後手に回ってしまったとしても、実際に私たちのような立場を受け入れた以上、現場のニーズや臨場感でもって、ある程度柔軟に対応する、ということが必要なのではないかな、と。

時間や手間隙はかかったとしても、結局はそれが私のようなパートという立場で働く人たちだけでなく、先生方、保護者、ひいては学校運営全体の利益になったのではないでしょうか?

何より一番、生徒のためになったと思うのですが…


こんなことが積み重なり、私が②について考える大きなきっかけになりました。

それにいつしか、待遇面のモヤモヤが加わり…


これに関しては、ただの「陰であれこれ言ってる人」にならないように、行動しました。

実際、校長からの聞き取りで、こちらとしては非常に言いづらいことまで進言してるわけです。


◯休憩が曖昧過ぎる

→勤務条件で定められている30分が昼休み等にまとめて取れないのなら、せめて中間休みに分けて◯分取る、ということを明示してほしい。


◯給与明細をもらってから給食費や職員クラブ費をさらに半強制的に集金されるのはおかしい

→せめて採用時に事前説明がほしかった。時給で働く、しかも民間から入ってくる私のような者には、金額負担も大きいし、あまり納得のいく制度ではない。


などなど。

以前の記事にもかいたとおり、全く改善されるわけもなく、「例外」をつくるわけにもいかないのでしょうしね(苦笑)


特に、給食に関しては、私は健康上の理由と体調悪化に繋がるために避けているものも多く、給与外から更に減額されることに対してかなりの不満感がくすぶり続けていました。

しかも、私の後に入った20代の支援員の方は、職員室で食べているのに、私は職務の延長上で、見守りしつつ食べていたわけです。

職務内容は同じなのに、現場でしている業務には大きな違いがあり、実際に待遇(に私には見える!)も異なったわけです…


さらには、卒業式等のイベントがある時の「例年どおりだし、こう動くのが当然」的暗黙のルールは当然共有されるわけもなく…

毎回、自分で気づいたことは自分で適切な人物を見つけて聞き回るしかなく、気づけなかったことに関しては「自己責任」で「あー、こうしなければならなかったのか…」とモヤモヤする、というような形になるという…

「明日は保護者(または外部の人)がたくさん来校するので、先生方の車はここに停めて下さい」とか、「例年だと◯時頃には大体仕事が落ち着くのですが、まーしゃ先生はその後どうされますか?」(それに応じて休暇申請手続きをする/イレギュラーな仕事を事前に調整しておくとか出来るわけです)とか、そんな一言をかける配慮をほんの少しだけでも持って頂けていたなら、もっとアウェー感なく働けていたのではないのかなぁ、と思うのです。


今にして思えば、「単なるパート」の私が色々尋ねることに驚いてたり、質問されること自体ピンと来てなかったのかな、とも思いますが。


2 同調圧力の強さが、ダイバーシティを阻む


これはもう、私には閉塞感以外の何物でもなく(笑)


例えば、卒業式の日のこと。

例年、市の方で採用されている学習指導員の先生方(教員免許保有、パート職員)は、有休消化をかねて年度末までほとんど来ないそうです。

しかし、私は娘のことなどで有休を使い果たしていたし、任用期間は3月末までなので、指導員の先生方よりは出勤日多めで、あとは欠勤申請を提出させて頂いたのです。

先生方に聞き回り、先生方の反応を見て、この間に想定される、私に任される可能性のある仕事は、質量的にそんなにないだろうという予測もありました…


しかし、ここで第一波がやってきます。

「卒業式は来ない」と言っていた指導員の先生方が、今日は来ている…

しかも、有休なのに、自発的にいらしたという…

更には、私より一回り若い同じ支援員の先生が、「礼服の靴は今履いた方が良いか」「おかしくないか見に一緒に玄関まで来てほしい」などなど言い続けます。


そこまで、皆一緒でないと、角が立つのか…

そこまで、周りと違う振る舞いをするということを気にしないといけないのか…

皆さん、それぞれ異なる生活や働き方をしているのだから、休むべき時には休めば良いし、それを誰かがどうこう言う筋合いはないのではないかと思うのですが、そうじゃないんですかね…?

そこまで周囲の目を気にするということは、逆にご自身も他の人の振る舞いを同程度気にしてらっしゃる、ということなのでしょうか。



そして、第二波。

件の、お別れランチ会について。

離任式はさすがに出席した方が良さそうだったので出勤にしましたが、式後学校内で行われるお別れランチ会には、欠席の返答をしていました。

職員クラブ費から会費が捻出され、不参加の人には返金されること、終わりの時間が明記されていなかったこと、◯✕形式の出欠表が配布された以上、個人の自由だと思ったことなどが理由です。


正直、安くない会費です。

食べられないものを無理して食べて、高い金額を払ってモヤモヤするより、そのお金で家族で美味しいものを楽しく食べたかったんです。


「食べたかった」という過去形で察しがつくように、結局半強制的に参加することになりました。

卒業式の日、(不参加の返答を提出済なのに)断っても計3回、人を変え言葉を変え、誘われ続けたことに辟易し、遂に参加すると言ってしまいました。

おまけに、職員室で向かい合わせの席に座っている若い支援員の方も、私に合わせたのか、不参加の返答をしており、イベント担当の先生やら事務の先生やらが立ち代わり誘いに来る度、私の方を伺うものですから、、、

何だか誰もが、「変わり者」の私を隠れ蓑にしてる…?

って思っちゃいました(苦笑)


殺し文句は「送別会なのに」「まだこの職場にいるなら分かるけど…」です!!

だったらはじめから、「送別会なので、離れる方はできる限りご参加下さい」と書いておくとか、「送別のプレゼントがありますが、それだけ渡す形になっちゃうけど、良い?」とか、それで済む話なのに!!!

って、思っちゃいました(苦笑)


主催者側が、メンバーが揃わないと体裁が整わないとか、仲間外れにした雰囲気になっちゃうとか、そういう都合があるのかなぁと。


校長にお金のことで進言したのを知っていらっしゃったのか、事務の先生に「会費のことを気にしてらっしゃいます…?」聞かれたので、「はい、それもあります」って言いました(笑)

そうしたら、「積み立ててるし、大丈夫です」とのこと。

いや、それ、自分が稼いだお金です。

参加しなければ、戻ってくるお金なんですよね…泣

自分の給料を、自分で有意義に思えることに使いたいって、ただのワガママなんでしょうか?

当然の権利だと、私は思うのですが、良い大人がダダこねてるように見えるんでしょうか…?


前の職場には、5年勤めていました。

オープン当初は、多様性が確保された、厳しいなかにも自由さが感じられる、凛とした環境がとても心地よかったのを覚えています。

それが、店長が変わり、育児休暇をはさんで戻った職場は、既にかつての職場のようではなく、私の力ではもう同にもならないほどに思いやりのない、息苦しい場所となっていました。

多様性がなく、それぞれに異なる人の生活や働き方を受け入れるスペースは失われてしまい、私はそこを去る決断をしました。


その後の職場で、このようなつまらないことに頭を悩ませて終わる自分が悲しく、、、


そして、学校という、本来ならば子どもの多様性を尊重し育むべき場所で、子どもたちを教え導く立場にある人たちが、自分たちの「文化」が当たり前でノーマルで、「異文化からきた者」はそれに従うべきだと、無意識にそう考えているのだとしたら、これは少し危険なことでもある気がしています。

それは、私が「特別支援学級」という、多様性が特に尊重され確保されなければならない環境で子どもたち目線でそこにいられたから、感じられたことかもしれません。



尊敬出来る先生方に出会い、貴重な経験談を聞けたこと。

支援学級の生徒たちと、時を過ごし、そこから大きな葛藤と気づきを得たこと。

そこに間違いはありませんし、感謝しています。


だからこそ、私のこのモヤモヤが先生方の職場環境、ひいては子どもたちの成長環境や未来に、少しでも、さざ波のようにでも、何かしらの変化を起こすきっかけになってくれないかと、そんな思いで、恥を忍んで文章にしてみました。



アイディアを形にするため、書籍代やカフェで作戦を練る資金に充てたいです…