くそったれな日常だからこそ

俺は強く思った。

今という今がとてつもなく退屈だ

「今」というのが5月21日を指しているわけではない。5月21日15時58分15秒を指しているのだ。

そりゃ生きてる間ずっと楽しいわけが無いし、楽しかった日って後から振り返る日も辛い瞬間が必ず存在するなんてことは客観的に考えて自分でもわかっている。

でも、未来に楽しいことがあるための今を犠牲にするっていう考え方は好きではない。
未来が必ず存在する訳では無いし、5秒後に脳卒中で死ぬ確率さえ0ではないのだから。

そんな中でどうしたらいいか

人は満足したら幸せになる生き物であると同時に満足したら成長を辞めて退化する生き物だ。
自分自身に成長欲求がある限り永遠に苦しまないといけない。
傍から見れば幸せそうに見えるんだろう。
周りの人は自分のようになりたいって憧れをもって、そんなふうに憧れをもたれている自分に嫉妬して尊敬するのだろう。

いま、高校3年生である僕はコロナ期間にいかにして頭が良くなって大学受験を迎えるかということに思考回路を占領されている。

まったくもってバカバカしい話だと思う。
どれだけ未来を憂いても確かに変えることが出来るのは今だけなのに。

読者もここまで話すとあちらこちらに迷走し始めたかのように思われたこの話も繋がりがわかる頃だと思う。

「今」しか変えることができない僕は今この瞬間に成長を感じられないのが辛くてどうしようもない。満足を求めるほど理想から遠ざかり辛くなる。

こんな無限の負の循環に陥っているわけだ。

じゃあどうするのか。

簡単な事だ。自分の欲求、感覚を無視して自分自身を高めるために時間を使う。
それに尽きる。
もちろん、神経に異常をきたして精神障害になるほど追い込む訳では無いとだけ断っておこう。

明日やろうはバカヤロウとかいうつまらない愚痴文句に賛同するわけだ。
ただ、今、出来なければ負のスパイラルにハマる原理は分かっていただけただろう。

さあ、今頃立ち上がれ。

さあ、未来を想像してそれと今の自分の足りてないところを考える。

さあ、あとはその差を埋めるべく行動するだけだ。

最後に無責任にはなってしまうが結局は自分で自分を律することが出来るかどうかだ。

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