作りたくない時をゆるす
「さあ、今日は自分の中からどんなものが出てくるんだろう?」
こんな風にワクワクしながら1日を始めることができるようになってきた。この文章の行き先も決めずに、とにかく書き始める。何冊か続けて読んだ、坂口恭平さんの本にずいぶん影響を受けている。
8月末、今年15回目のフランス語レッスンを終えたので、フランス人の先生に「励みになるからコメントを書いて欲しい」とお願いした。そのコメントが嬉しくて嬉しくて、日本語の手帳と外国語学習用手帳に貼り付けた。
2020年頃から始めたフランス語は、独学で4年を超えて、会話可能なレベルになった。先生以外の人とまだ多く会話していないので、気軽に話せる話者の友達をもっと作りたい。英語は相変わらず生活の一部だし、他の言語はスペイン語・ドイツ語・ロシア語などを自由に学んでいる。韓国語を学んでいた時もあったのだけど、今は離れている。
ふと思ったのだけど、「多言語をやっています」という伝え方をすると、何かの言語がストップしてしまっても、あまり気にしないで済む。もし「韓国語をやっています」という伝え方なら、今は続けていないので、挫折感を覚えてしまっただろうと思う。「色々やっています」という伝え方は、もしかしてすごくわたしらしい言葉の形で、わたしを守ってくれているのかもしれない。
「色々」という生き方
「あれこれやっています」「色々やっています」というのはおなじみの説明で、外国語に限らず仕事や身の回りのことが「色々」である。仕事についてはずいぶん前からまとまった説明ができなくなった。触れたものがとても多い。
ひとつひとつについて考えるなら、様々な事情がある。数年前に少し仕事としてやっただけとか、最初のキャリアだったけれど最近は機会がないとか、いつの間にかやるようになって名乗る自信がないとか。
細かい説明が必要になるときは、気後れしてしまいがちだ。「前はがっつりやってたんですが最近の技術に追いつけなくて…」みたいな少し落ち込んだテンションになる。現実に足をつけるのはもちろん大事だけれど、なんだか自分でわざわざ落ち込みに行ってるのかも、とここまで書いていて気づく。
自己批判の声がする
やっぱり、自分に厳しくなりがちだなあと思う。
常に自分に厳しくしているのに、それに気づかず余分なストレスを溜めて、誰かや何かとの間で爆発してしまい、ワガママになってしまうことが今までよくあった。ずっと「自分にやさしくする」なんてありえないと思っていたし、そこまでの資格が自分にないと思っていた。けれど、今までずいぶん体調を崩してから、自分自身を労うことにどうしても立ち戻るんだなと気づく。
相変わらず自分に自信もないし、作っている時には幾度となく「そんなもの作っても仕方ない」「またその作り方?」「お前にはできるはずがない」みたいな声がする。過去に失敗したことが急に思い出されたり、全く脈略もないいやな思い出がリアルに蘇ることも多い。
ものを作るのはいつも不安だ。今ワクワクしている気持ちが、能力不足のせいででしぼんでしまったら…と思うと身動きがとれなくなる。美大受験の頃、真っ白な画面に向かうといつも「わたしが何もしていないこの画面が一番美しいんじゃないか」なんて思っていて、知らないうちに鬱になっていた。
どうにかしたい、と思った。
作りたくない時に作らない
そこで、まず「作りたくないときに作らない」に取り組んだ。
作りたくないときは作らない、を自分にゆるす。決めても「本当に作らなくていいのか」「不安は乗り越えないといけないんじゃないか」とまた不安になるけれど、その声と辛抱強く付き合い、作らなくてもいいんだと言い聞かせた。
徹底的に作らない時間の中で、もし一瞬でも「作りたい」「やってみたい」が生まれたら、その気持ちを大いに歓迎する。とてもか弱くて、風が吹けば倒れて2度と顔を見せてくれない小動物のようにイメージした。だからやさしく接してみた。頭の中にリフレインする自己批判や過去の記憶をその子に聞かせないように、とにかくゆっくり、やさしく。これがまさに「自分にやさしくすること」だったと後で気づく。
自分自身を「コントロールすべきもの」として扱うのをやめる
「作りたくない時は作らない」を決めた時、不安だった。「このまま作らないですむ人生になってしまうかもしれない」というまた別の不安が生まれた。でも、覚悟を決めた。もし本当に作らなくてよくなってしまったら、それがわたしの人生だったと受け入れようと決めた。自分自身を「コントロールすべきもの」として扱うのをやめて「どこに行ってもいいよ」と自由にしてみた。
未だに日々触れる色んな物事に心は細かく大きく動いていて、バランスを崩すこともある。けれど、自覚以上に頑固らしい自分を無理矢理にコントロールすることからは、少し距離がとれるようになってきた気がする。結局、この先どうなるかは分からないし、思ったような成果が出るかもわからない。だけどただ作るのだと決めた。どんなに頑張っても駄作を作り続けるだけかもしれない。笑われたり、みじめな思いをするかもしれない。降ってきたトラブルで続けられないかもしれない。でも、作る人生のほうに進みたい。
全くのゼロから始めたフランス語も、日々本当に少しずつしか成果は見えないから不安になることもあった。でも、ここまでも愚直に続けることでしか成長できなかった。そうやって作っていく。そうやって作ることとずっと向き合いたい。