受け入れるって何さ
よく「受け入れる」という言葉に出会う。わたしが精神疾患の当事者だから尚更よく見つけてしまうのだろう。
「あなたの今の状態を受け入れましょう」
みたいな文章めちゃくちゃ見る。なんだ、受け入れるって。「認める」だったらまあわかる。病気だったら「これは病気だ」みたいなことでしょう。
でも”「受け入れる」ということはとても難しいから、受け入れることができると素晴らしいね”という文脈で使われているのを見ると、ますます「受け入れるって何だ…?」となるし、わからないことはできないし、なんだか受け入れた方がいいらしいという空気にプレッシャーも感じてしまう。さらに「あなたは病気を受け入れていてすごいね」なんて言ってもらうことが時々あるけど、自分のわかっていないことができているように見えるようだ、と思うとますます混乱する。
周囲でも、心の問題に悩む多くの人が「自分の状態を受け入れられない」と悩んでいるのを見かける。
でもね、受け入れるって多分そんな高尚なことじゃないです。
たぶん「まいっか」みたいな感じです。雑すぎて怒られるかもしれませんが。
もちろん「まいっか」ではすまないほど苦しくて悶絶したり、物理的に身体的にうまく動かないところが出てきたり、自分でも理解できない言動をしてしまったり、たくさんたくさん苦しいです。誰しも多かれ少なかれあるのだろうし、わたしの精神疾患もなかなかやっかいです。
でも、そんな自分も「まいっか」でいいんだと思うのです。
今すぐ!今!もう!秒で解決しなきゃ!みたいなことは別だけれど、なんだか人間うまくできていて、なんとかなるようになっているみたいです。
もしかしたら「状態」自体はなんとかならないかもしれない。
わたしの状態のひとつ、精神疾患(双極性障害Ⅱ型)は現代医療では完治しないと言われているし(楽にはなるけどずっと薬は飲み続けることになると思う、と言われています)、病気それ自体は変わらないかもしれない。それでも苦しんだりもがいたりしてもいい。完全に治らなくていい、と今は思っている。「病気と闘う・やっつける」という思考を「病気と仲良く生活する」に変えてから、少しずつ肩の力が抜けてきたような感じがあります。
というのも、どうにもならないから。
どうにもならないことを無理やり変えようとするのではなくて、よく観察する。そうして特徴が分かってきたら、「雨の日は調子悪くなるな」とか「SNSやりすぎると気分上がりすぎるな」とかが見えてくる。
どうにもならないことをどうにかすることが重要なのではなくて、どうにもならないことを「どうにもならないや」って思いながらもRPGのパーティに入れてあげる感じでしょうか。
FFとかドラクエとか色々RPGはありますけれども(わたしはFFが特に好きです)、様々な個性のキャラクター・ジョブがあります。中には使いづらくてメインパーティにあまり入れないキャラもいるでしょう。でも、特徴を知っていてあげれば、一緒に旅をすることはできます。
「こいつ攻撃力弱いなー、でもまあ”ぬすむ”できるし、散策するときにはいっか」とか。
「まいっか」ですね。というわけで「受け入れる=まいっか説」を勝手に提唱しつつ、今の30代以上でないとちょっと知らないであろう、昔にめちゃくちゃ流行った「まいっか」の動画を貼っておきます。
(PVさすがになかったしTHE夜もヒッパレが懐かしすぎる…そして篠原涼子…)ちょっと肩の力が抜けるので、ぜひチラッと聴いてみてください。
見たい!聴きたい!歌い、鯛!!(夜もヒッパレの定番)というわけで早朝ですが思うがままに書いてみました。カバー写真は幼稚園くらいのときの自分の絵です。変わってませんね…
まあそんなかんじで、肩の力抜いていきましょう(^ω^)