浦シマかくや花咲か Ⅱ 君と・・・ KIn-taro Momo-taro Issun-boushi Truno-ongaeshi Omusubi-koro-rin WORLD A編
浦シマかくや花咲かⅠ のあらすじ
Once Upon A Time In Japan(むかし…むかし…日本のあるところで)
昭和20年8月。大日本帝国海軍の女性通信兵の浦シマは突然空から落ちてきた海亀ロボットのTENCHIを助ける。極秘の軍事研究員でもあるシマは傷ついたTENCHIを助けが、未来から来たTENCHIにもうすぐここ広島に原子爆弾が投下されるのを知らされる。シマは間一髪原爆投下から逃れ、TENCHIに連れられ戦後にタイムリープする。TENCHIは何らかの目的を持って時空を彷徨っていたのであった。
時は経ち昭和47年、シマは反核反戦を訴え日本初の女性総理大臣まで登りつめるが、汚職の嫌疑をかけられ窮地に陥る。再度戦前にタイムリープするが今度は史実より1年早くヒトラーが殺害されドイツがアメリカに勝利し、日本がアメリカに停戦した世界になってしまいう。TENCHIは日本の軍部に破壊され粉々になってしまった。
その後昭和30年代前半、その世界でもシマは総理大臣になり、唯一の被爆国である日本がイニシアティブを取り、世界は核兵器廃止条約が締結されようとしていた。しかし、戦勝国ドイツはアメリカ本土に駐留軍を置き実効支配していた。世界平和を願うシマは、ドイツ軍の蛮行を諫めるため連合艦隊と伴にニューヨークに向かう。しかし、ドイツ軍部の強硬派によってニューヨーク湾で連合艦隊は壊滅状態になる。
シマは急遽、原因を探るため同盟国のドイツに向かう。この時代、ドイツの首相は傀儡で、アルプスの麓の極秘指令所で全てを命令していた。シマは日本国の首相としてそこに案内される。そこではある目的を持ったTENCHIがAIとなって指令を出していたのだ。粉々になったTENCHIはほぼ復元されシマにあることを伝える。シマは総理大臣を辞職し、月に行くために厳しい宇宙飛行士の訓練を受ける。
苦難の末、月面に到着したシマは高度な知的生命体「月の竹」を発見する。月が母で地球は子だったのである。人類蘇生計画……そこで、戦争で亡くなった人の遺骨を撒くと地球では亡くなった人々が次々と蘇えった。シマはそこで力尽き、月の裏側で倒れてしまった。
プロローグ WОRLD B
紺碧の海がどこまでも広がる太平洋。
波飛沫を上げ戦艦大和は進んでいた。
後方には二隻の空母信濃と土佐を従えていた。その周りは十数隻の駆逐艦、巡洋艦が取り囲んでいる。
艦橋には連合艦隊初でそして最後になるであろう女性司令長官・浦(うら)シマ(42歳)が腕を組んで立っていた。
シマはトレードマークの紫色の船方帽(ギャリソンキャップ)を被りインカムごしに指示を出している。
「さすが指令長官、今日は結構揺れますが船酔いは大丈夫そうですね。
しかし、これから5日間。太平洋上に出れば敵戦闘機の航続距離の把握とそれを迎え撃つ我が方の迎撃態勢は常に考えなければなりません」
白髪の金多 楼(かねた たかぞの 66歳)大将は口髭を触りながら顔を引き締めた。
「一瞬も気が抜けないな。金多大将は、1941年12月の真珠湾攻撃以来のハワイ攻略作戦か」
シマは呟いた。
「はい、あの時はアメリカ軍との戦いで、今でもあのあと、第2破攻撃をすればと……後悔しています」
「生粋の軍人だな……」
「それと言いにくいのですが、長官、スカートが短すぎやしませんか」
「ああ……短いか、少し長いのに変えよう」
シマは照れ臭そうに少し頬を赤らめた。
「サンディエゴから出港したエンタープライズに対応し、空母ヒムラーも東太平洋方面に出向したようです」
「アメリカの最新鋭戦闘機・グラマン・キャットフィッシュF12との戦いになりそうか……西太平洋、我々を向かえ撃つのはたぶん空母ヒトラーを含む艦隊群」
「敵空母の位置は、人工衛星により我々も把握しているが、敵も既に把握しているだろう……最新鋭原子力空母ヒトラー、我々の大和艦隊群を狙うか家具屋副司令、鶴野少将の武蔵艦隊群を狙うか、はたまた本土を空爆するか……少し風に当たって来る。大将頼むぞ」
昭和36年(1961年)8月1日
巨大戦艦大和艦橋、遥か高くから見る太平洋は、夏の強い陽射しが波間を眩しく輝かせる。
シマは船方帽を取り、長い黒髪を太平洋の風に靡かせた。
日本本土の空爆だけは絶対阻止しなければ……シマは強く決意した。
WОRLD A
第1話 浦首相降ろし
「私の最期の仕事です。小早川さくらはシンガーソングライターを目指し世界中を旅行しているということで……各マスコミに情報を流しました」
昭和48年(1973年) 総理官邸では、シマと外木場・日東テレビ社長(47歳)は立って和やかに話をしていた。
「ありがとうございます、外木場さん。それで今後は何をなさるつもりで」
「社長職を解任された今、しばらくはのんびりしたいと思います。まあ、新聞社の顧問をやりながら、浦首相(55歳)を影ながら応援しますよ」
「始めてお会いしたのは、確かテレビ局の党首討論会でしたが、ずっと前に総理あなたに会ったような気がする」
この世界では、鹿屋航空基地で会っていないからな……なるほど、実際は一度も体験したことがないのに、すでにどこかで体験したことのように感じる……デジャヴなのか……
「なぜ浦総理が政治家になる前からずっと応援しているのか自分でも分からない時があります。あなたがとても魅力的な方だったからかもしれませんが」
「お世辞はいいよ」シマは少しはにかんだ。
「それと忠告ですが、今とてつもなく巨大な力が動いてます。今度は ……」
「もう慣れていますよ……」
銀白色の髪を撫でながらシマは微笑んだ。政界では妥協を許さない政治姿勢から銀色の女狼と揶揄する政治家もいた。
「この国のためにも少しでも長く総理の座にいてください」
二人はしっかりと握手をする。
コン、コン
ドアをノックして小太りの男が急いで入って来た。額の汗をハンカチで拭いながら。
「た、大変です、大変です。野党が不信任決議を国会に提出する動きがあるみたいです」
「矢野幹事長いや、失礼。花木幹事長(56歳)になったんだな、その情報は本当か?」
「かなり確かな情報です」
「……それでは、私はこれで失礼します」
外木場はゆっくりと礼をして部屋から出ていく。
「あっあれは、この間、日東テレビ社長を退任された外木場はん……」
「さすが、幹事長、情報通だな」
特定の派閥を持たない浦シマ総理は、現在、民自党の第2位派閥の花木派と第4位の糸井派と第5位の岩貞派に支えられていた。(順位は日本の国会議員、衆議院・参議院の議員の総数である)
「藤浪のおっさん、今回は本格的に降ろしにかかるかもしれませんね」
「近本さんと組んでか……」
「まあ、そういう情報もありますが」
政権与党民自党の最大派閥が藤浪派、第3位派閥が近本派である。特に藤浪派は衆参とも圧倒的な国会議員を要し日本の政治を影から動かしている。
「さっそく時間をこしらえますので、楼(たかどの)さんのところへ行く段取りをしましょう」
「あのフィクサーのところへか」
「わて、いやわたしと違って、クリーンな首相にはたいそう苦手なところでしょうが」
「仕方がないな……」
シマは花木を見つめた。
第2話 楼(たかどの)さん
「ところで、用といのは政界の事かね……」
低く篭った声が応接室に響いた。いつ聞いても重い声だ。
1/10の戦艦大和の巨大な模型と虎の剥製が来る者を圧倒するこの部屋にシマと花木、眼前には金多 楼(かねた たかどの)がいた。
通称・楼(たかどの)さん(78歳)。日本の裏社会を牛耳るこの老人は、ゆったりと茶色の和服姿で揺り椅子に腰かけていた。白い髪、鋭い眼光、太っているが筋肉質の体躯は日本のフィクサーと呼ばれるにふさわしい貫禄である。対面に座るはシマと花木幹事長が何故か小さく見えた。
広大な敷地内にある和風の豪華な邸宅である。
「はい、野党から首相降ろしの動きが出まして。それに我が党の最大派閥の藤浪派も加わりまして……」
野党による政権与党への追及はいつもの事だが、シマは組閣時、能力のある民間人を大臣にしたり、能力主義で閣僚を決めたりした。これまで派閥の議員数、力関係で閣僚ポストを決めていたのだが、与党内部からも強い反発があった。そして利権関係も不正が出来ないようにチェック体制を強化した。当然族議員から猛烈な批判を浴びた。
「派閥無視のツケか……そら、怒るわな。野党を裏から動かしているのも藤浪か……」
「多分……近本はんもそれに加わりそうで」
「だいたいは聴いていたが、それより、ゴホッ」
楼は鈍い咳をして、コップに入れた水を飲みほしシマに問いかけた。
「日本初の女性総理大臣……なかなか頑張るじゃないか……始めは短いと思ったが、もう首相になって何カ月だ」
「何カ月? 1年と半年ほどです」
楼はシマを睨みながら話すが、かまわずゆっくりとした口調で答えた。もう1年以上やっているのは誰もが知っているはず……喰えない老人だなとシマは想った。シマは楼(たかぞの)が知っていてわざと受け応えたりして相手の様子を見るところがあるのを以前からよく知っていた。また、駆け引きか……
「はて?あんた、この前見たより若くなっていないか」
月の裏側で倒れた時は黒髪だったが……
シマの髪は元の世界に帰るタイムリープの影響からか白髪に銀色の光沢を帯びて帰って来た。顔も彫りが深くなりより一層精悍になっていた。
「そうですか?」
禁煙、厳しい宇宙飛行士の訓練でか……年齢よりいつも若く見られるようになったな。
「それはそうと、例の豊日株ではだいぶもうけさせてくれたからな」
「ああ、豊日の低公害自動車の開発の話。量産化になってかなり株が上がりましたな。欧米向けの輸出も好調で。豊日の鈴木アツシ会長引退の置き土産です。わてと浦総理は鈴木会長とは昵懇の間からでして……」
手もみしながらにこやかな表情で花木は喋る。
インサイダー取引すれすれか? 幹事長も抜け目ないな……花木がタイムリープ前のわたしとアツシ(鈴木)の雑談を楼さんに漏らしたのか……
アツシも元の世界に戻っていないからな、この世界では豊日自動車の会長職を辞し隠居して世界中を旅していることになっているが、もうひとつの世界で上手くやっているか……
「与野党ともワシから声をかけてみるが、今回は野党から不信任決議案が出されても否決という事でいいんだな」
「はい、よろしく頼んます。まあ、藤浪のおっさんは一刻も早く総理の座を手にしたいみたいやけど……」
「もし、藤浪が総理になると長期になるな……ところで、矢野栄男(やの さかお)幹事長は、計画通り花木さんところの養子になって姓が変わったんだな」
「ははは、計画通りとは人聞きの悪い。この度、花木 和夫(はなき かずお)は政界を引退して婿養子の私が派閥を引き継ぎました。次の衆議院選では大阪から新潟に選挙区を鞍替えしま!」
花木幹事長は、標準語を極力使おうとするのだが、まだどうしても大阪弁がまじってしまい奇妙な会話になる。
「いつも大阪の選挙戦では苦戦してたからの……新潟になったら選挙は盤石じゃの。先代の花木は新潟に高速道路と上越新幹線を持って来たからの」
「よく存知で、次回の選挙は新潟からになるんで、大阪弁を早く直そうとしているんですが、それがなかなかでして……」
花木は照れ臭そうに頭をかきながら人なっこい顔で応える。そして痛いところをを突かれたのかハンカチで汗を拭った。
昭和48年当時、衆議院総選挙は中選挙区制で選挙区ごとに上位1人~5人が当選していた。花木の出身の大阪某選挙区は上位5人が当選するがいつも4位か5位で薄氷を踏む思いであった。
「シマはんが総理になってから。経済、特に輸出は好調でして。反核、平和主義の総理ということでノーベル平和賞候補にも上がってます。女性だからっていうわけでもないのですがアメリカさんに特に受けがいい」
「ワシの情報では新しくなったアメリカのロスリスバーガー大統領(63歳)はえらく君のこと気に入っているみたいだが……あんた、まだ会ったこともないのにな……」
前回の大統領選挙では惜しくも落選したが、今回は当選したケリー・ロスリスバーガー、月に一緒に行ったケビン・ロスリスバーガー宇宙船長の実兄。何故か分っていないが……わたしに好感を持っていることを楼は知っている。さすが日本の裏世界のドンと呼ばれることだけはあるな……それとケリー大統領にも既視感があるのか、この間、電話会談した時かなり喜んでいたからな。この世界ではまだ会ってもいないのに会ったように感じる……もう一つの世界のかすかな記憶のようなものが残っているのだろうか……
「首相を降ろす理由もなさそうだが、野党も存在感を見せんとな……それと藤浪も焦ってきているんじゃろう。もう結構な歳だからな……ここが勝負だと思っとるかもしれんて」
「時代は変わる、世の中、刻々と変わって行きますもんな」
幹事長は相変わらず話を合わせるのがうまいな……シマは抜け目のない花木に感心した。
「時代は変わる……そういや、豊日の鈴木会長はまだまだ若いのに、経営権を若手に譲り、会長職も降り早くも隠居だそうな……、歌手の小早川さくらも旅に出るとか、興行ではかなり稼がせてもらったが。時代の変わり目かな……政治の世界も一寸先は闇、ワシの力でも、明日はどうなるか分からんて……ははは」
鈴木アツシ、小早川さくらともこの世界にはもういない……
「そこをなんとか楼さんのお力添えで……」
「まあ……やってみるか」
楼は二人から目をそらし広大な庭を見つめる。
「首相もそういうことで、よろしいな」
「ああ……いいです」
2人の会話が続く中、シマは重い口を開いた。
「ところで前々から言おうと思っていたんだが、総理あんた女だてらに海軍におったそうじゃの。真珠湾攻撃の時、参加していなかったか?」
「いえ……私はずっと広島で通信関係の仕事をしていました」
これもデジャヴか? 戦中は日本海軍の空母の艦長だったという金多 楼(かねた たかどの)……接点はないはず、もう一つの世界でも会ったことはない……なぜ?
「上辺の事はどうでもいい、あんたが軍部の秘密兵器に携わった研究者という事はわしも知っている」
「長老さすがですね。何もかもよくご存知で」
花木は手もみしながら会話の間に入る。
「広島の原爆から命からがら助かったことも……」
楼は鋭い眼光でじっとシマを睨んだ。
「……それでは、私はこれから予定が入ってますので」
シマはかまわず立ち上がり振り向く。
「総理ともなると忙しいの……」
シマは楼の得体のしれない笑みを見逃さなかった、何事もなかったように背筋を伸ばし歩行を緩めずゆっくり襖を開け長い廊下に出ていく。
「オイ、総理が出るぞ」楼はパンパンと手を叩き何かに押しつぶされたようなしわがれ声で外に声をかけた。
「美貌の女総理、国民からの人気もあるはずだな。それにしても、いい度胸しておる……」
「妖艶さも増して……見ていると、さすがのわたしも少し引き込まれます」
シマが出て行き、部屋は楼と花木の二人になった。暫く静寂の時間が流れた。
「さてと、これから本題という訳か、それでどうするんだ」
眼光鋭く楼は云う。
「それなんですが、実は……首相の不信任決議案は可決させて……」真顔になった花木の話を遮るように。
「与党から造反者を出せという事か……戦後、鬼や悪魔と言われたワシも、女だからっていう事でもないが、総理にはなぜか親近感がわいての……珍しく手ぬるかったか……国民の目をそらすワンポイント政権もそろそろ終わりだな……次は藤浪で行くか……」
花木はさっきまでのにこやかな表情を変え悪の眼でコクリと頷く。
「ゴホッ、ゴホッ、今回は確実にしないとな、あの女は予想以上のやり手だ。今後の政局の障害になるとも限らん」
楼はせき込みながら呟いた。
「さすが楼はん、人を見る目は素晴らしいです」
「浦総理は政界から抹殺する。少々手荒いこともするぞ」
「よろしおま」
花木は大阪弁でにっこりと不気味な笑みを浮かべた。
コーン コーン
鹿威しの音色が一定の間をおいて鳴る。応接間に再び静寂の時間が訪れた。
「楼はん、持病の心臓病はどうですか」
「まだまだ大丈夫だ」
「楼さんの戦中戦後のあこぎな蓄財スキャンダルを嗅いでるマスコミがち・ら・ほ・ら」花木は部屋の周りを見渡しながら抑揚をつけて喋る。
「あこぎは余計だ!」楼は花木の言い方が腹立たしかったのか間髪入れずに言った。
「えらい、すんません」花木は頭を掻いた。
「まだまだ、大阪弁が出るの……スキャンダル……ゴホッ……この問題もあとで片づけるとするか……」
遠くから蜩のなく声がする。楼邸の廊下に今日の残り陽が降り注ぐ。夏の夕闇が訪れて来た。
第3話 舌切り雀
「若頭、今日呼んだのは、こいつを始末してほしい」
金多は鶴野(51歳)に1枚の写真を渡す。黒いサングラスを外す。角刈りで頬には長い切り傷があるその男は戸惑いの表情を見せた。
「これは……」
鶴野はシマの国会で演説中の写真を見つめる。
「かなりの大物だが、選挙戦最終日の夜にやって欲しい」
「最終日の夜……マスコミ対策ですか」
「ああ……明治以来、日本の総理大臣の暗殺は何度かあった。アメリカ大統領もしかり……しかし、今回は脅しだけでいい、殺さなくても結構だ。殺すとあとあと面倒じゃからな。確実に政権交代をさせたいのが狙いでな。そして二度と政界に戻ってこれないように……」
「そっちの組には、自衛隊出身者、傭兵崩れ……若くて腕いい若い衆がいるだろう」
「楼さん、この間やったうちの組のヒットマン、すぐに飛行機でマニラに逃がしたが……その後行方不明、あなたが口を割らないように殺ったのでは……」
鶴野の精悍な顔にオレンジ色の夕陽が注ぐ。
「あ、あの女のヒットマンの事か……知らんな……」
とぼけやがって、このくそじじい……鶴野は込み上げる怒りを抑えた。
「私が断れば……」鶴野は唸り言葉を絞り出した。
「お前が、東京湾に沈むだけだ」金多は冷徹に言い放った。
「この計画を知ったからには、断ることはできない。ここだけの話というのはすぐに広まるからのー」
揺り椅子を動かしながらのうのうと言った。
……うちの組の戦闘班は今までしくじったことはないはず、いずれも完璧にこなしていた。それなのに……鶴野はグッと拳を握り締めた。
「なんでも万が一というのはあるからの……」
楼(たかぞの)は得体のしれない双眸で鶴野を睨み返す。
「……分かりました」鶴野はゆっくりと声を落として返事をした。
「総理のSP(セキュリティーポリス)と警視庁にも手を回しとくが、今回は大仕事だ。失敗は絶対許されん」
見込みがあると思ったが、鶴野は直情的過ぎる。鶴野の組織も今回で用済みだな……保険をかけとくか……
その時、広大な楼邸の外壁で花木はいた、同じ夕陽を浴びながら真夏なのに鼠色のコートを着た男と話ををしていた。
「根津はん、これ、あんたが欲しがっていたもの」
花木は数枚の紙を根津という男に渡す。
「これはすごい資料だ。戦後最大の怪物、金多 楼(かねた たかぞの)の莫大な金の流れですね」
細身の新聞記者は資料に食い入るように目を通し。
「これまでの賄賂、献金、企業の乗っ取り、脅し……の数々」
パラパラと捲りながら1枚の資料に手が止まった。
「この多額の寄付は……匿名で国や全国の戦没者団体に大きな金が流れてますね」
「楼さん身寄りがないよってな……調べてみたら終戦直後からやっている……寄付が趣味、寄付魔とでもいうか」
「……もう、あのおっさんももう幕引きや、今日もボディブロー入れといたから……」
花木はスーツの懐から札束の入った封筒を渡す。
「いつも悪いですね」
根津はニヤリと笑った。
「あっ、あいつ……」
秘書の家具屋が車の傍に立って2人の様子を遠くから眺めていた。
「あいつは家具屋……」花木が怪訝そうな顔で呟いた。
「花木さん、あの首相秘書どう思っているんですか」
「どうもこうもあるか……浦首相に過ぎたものが二つ、異常なまでのアメリカ大統領からの寵愛とあの家具屋だ……」
「さすが、政界の寝業師花木さんですね。そう、あの家具屋という秘書がいなければこんなに苦労していなかった……とっくの昔に政権は交替していた。本当に首相を支えているのは桃田ではなく家具屋……あのたった1人の秘書だ」
花木は普段の柔和な顔から一転して悪の目つきに変わった。
「首相の恋人とという感じてもないが……」根津はポツリと呟いた。
「最大の要注意人物やな」
根津は花木の政治家として底知れない恐ろしさを肌で感じ取っていた。
第4話 みんな食堂
それは長い年月で使い尽くされくたびれ傷ついていた。6畳程の居間にシマと4人の男がそのちゃぶ台をはさみ会合していた。
浦総理を中心とした政治勉強会、派閥と呼べるほどの人数ではなくマスコミでは浦グループと呼ばれている。
「まさかまさかの内閣不信任案可決か……」
そのグループのリーダー格・桃田 朗(ももた あきら 43歳)が真っ先に口火を切った。
桃田は夜間大学に通いながら国会で事務のアルバイトしたのをシマに拾われた。家具屋の前のシマの秘書であり、その後政治家に転身し衆議院2期目の議員である。
「衆議院解散、総選挙の流れですね。政治の世界はいつも一瞬先は闇、魑魅魍魎の世界ですね」
犬井は落ち着いた口調で呟いた。
桃田以外のメンバーは、猿木 義人(さるき よしと)参議院議員 雉谷 吾郎(きじたに ごろう)衆議院議員 犬井 剛(いぬい つよし) 衆議院議員の3人で、国会議員としていずれも1期目である。
猿木 義人(40歳) 東大・大蔵省(昭和48年当時)出身のエリート官僚上がりで頭脳明晰。
雉谷 吾郎(38歳) 地方の県会議員の父を持つ。利権、汚職まみれの父に反発しクリーンな政治を志す。
犬井 剛(38歳) 急死した衆議院議員の叔父から地盤を受け継ぐ、政界の情報通である。
「反浦総理派の藤浪派、近本派それに幹事長が牛耳る花木派を除く親総理派の糸井派からも造反者が出ているみたいですね。野党にも、反核、平和主義の浦首相に賛同する議員もいますし、経済界、労働組合も一定の支持は集まっているのにな……
現在、衆議院議員491人、過半数越えは246票、現在与党民自党が298人、野党は186人、無所属9人……裏で手を引いてるのが藤浪さんと近本さんの他、矢野いや花木さんもという噂ですよ」犬井の闇の情報に桃田は感情的に応える。
「そんなバカな……花木さんは浦政権をずっと支えていくとこのまえ言ってたんじゃないか、浦政権を支える幹事長が裏切るとは考えにくいが、反浦派閥からの金や利権がらみの個々の議員への切り崩し策謀だと考えなくもない」
「気生臭い話ですね……」雉谷も呼応する「盗聴器とかないだろうな……」と周りを見渡した。
「わたしが調べたよ、問題ない」冷静に猿木が応えた。
「われわれグループもそろそろ料亭で会合をしなければ」犬井はポツリと言った。
「バカ言うな、みんな食堂は我々の政治活動の原点。首相も含め5人、ここから我々は始まったんだ」熱い桃田は拳を握り締め力説する。
「それに、こんなオンボロ、失礼……大衆食堂の方がかえって安心かもな。総理がこんなところで会合しているとは誰も思わないよ」猿木は俯瞰したように言った。
「まあ、親子丼でも食べながら話そう」
少し間をおいてシマは微笑みながら言葉を交わした。数は少ないが信頼できる頼もしい仲間だと思った。
「総理はいつもの塩むすび2個ですね……」「おかみさん!」
桃田は茶色くシミの付いた襖を開け顔を出し、土間にいる年老いた割烹着姿のおかみさんに声をかけた。
「ハイよー」
威勢のいい声が返ってくる。
「まあ、花木幹事長が裏切ったとは考えにくいが……例えそんなことがあったらわたしが許さん」
「よっ、さすが政界の鬼退治、政界の桃太郎こと桃田朗(ももた あきら)ですね」
調子のいい雉谷が手を叩いて応えた。
「『政界の鬼退治』それいいキャッチフレーズですね、今回は『明るい未来の竜宮城』から変えましょうか。総理を中心にわれわれグループはそれで行きましょう!」犬井が呼応する。
「政界の鬼退治……派閥政治にはちょっと刺激的過ぎじゃないか」猿木はいつものように冷静に分析しているようだ。
「どうせ他派閥から嫌われてるんだ。いじめられグループには持って来いだ」雉谷は犬井に賛同する。
「熱風対組織の戦いになりそうだ」桃田はすくっと立ち上がった。
「これを最後に明日から選挙区に入ってもらおう」
シマが号令をかけた。
「よし、絶対負けられないな!」
「再び国会で会おうぜ」
「参議院議員の猿木は、浦グループの選挙対策本部長だな」次々と威勢のいい言葉が飛び出た。
第5話 竹取物語
「ちょっと裏で休憩する、後の事は桃田が中心にやってくれ」シマは思い出したように声を出した。
「総理、煙草止めたはずでは……」
もう一つの世界で、宇宙飛行士になったとき煙草を止めたとはいえないからな……
「一時間程だ。少し外の空気を吸いたいんだ……それと少し本も読みたいんでな」
シマは英語のタイトルの薬学の本を持って外に出た。
無理もないか……秘書の家具屋弘人とここにいる者以外誰も信じられないからな……桃田はシマの寂しげな後姿を見て想った。
シマは食堂の土間を通り裏庭に出た。普段は七輪でサンマなどを焼いたりする場所である。木の塀で囲まれた古い長椅子が置かれただけの3畳ぐらいの空間だ。
「TENCHI出てもかまわんぞ……」
ビビビビ
「この場所、久しぶりだな。忘れもしない昭和20年8月15日……日本が終戦した日に原爆が投下された朝の広島からTENCHIの甲羅に乗りタイムリープをして戦後間もないけ野原のこの場所に着いた」
TENCHIが眩いばかりの光を浴びて現れ、シマは呟いた。
「……忙しい時に申し訳ないですね
……もうひとつの世界が大変なことになっていまして」
モクモクと白い煙を上げ、TENCHIは浮揚しながらさっそく言葉を発した。
「あの世界では核兵器のない平和な世界になったのでは。それと、近いうちに日本は陸軍、海軍も国防軍に統合されて、世界も軍縮の方に向かっているはず……」シマは極めて冷静に言った。
「……その世界的な軍縮が裏目に出てしまいました……シマさんも知ってのとおり、ドイツが勝利したあの世界では日独とも軍事強行派がかなり残ってまして、いつもクーデターの危険に晒されています」TENCHIは首を伸ばしシマを見つめながら言った。
「一番手薄な時にナチスの残党が動いたわけか」
「日本もその危険のあるクーデター派の将校たちを海外に駐在させていたのも裏目に出ました……」
「日本にもナチスの協力者がかなりいるのだな……ナチスドイツの残党と結託してクーデターを起こしたのか」
「軍縮条約の間隙を縫って世界統一革命軍というのができまして、アメリカのロスリスバーガー大統領とドイツのミュラー首相が暗殺されました」
「なに! 2人とも」
シマは驚きを隠せない。
「……残るは日本の山元首相だけか」
「ドイツ軍が駐留していた太平洋最大の軍事基地・ハワイ基地を電撃占拠し新しいナチス帝国を建国しました。ミサイル基地を建設しています」
「第三帝国の復活。動きが速いな……とてつもない指導者、カリスマがいるのか……うん? まさか! 総統ヒトラーが蘇えったのでは……」
あの世界では、ヒットラーの死亡が1年ほど早く、そこからこの世界とのズレが生じ、2つの世界が出来た……
「分からないですが……」TENCHIは長い首を横に振った。
「月での散骨作業には、かなりの注意を払ったはず」シマは続けて語り出した。
「ドイツ、日本とも政権内部、それも深層部に世界統一革命軍とやらの協力者がいるのは確かだな。
もう一つの世界に連れてこい?……月のあの知的生命体『光る竹』からの命令か? それとも月の未来人、AI(人工知能)か……わたしは月の裏面で家具屋とHANASAKAといたときふと思ってな」
「……お答えできません」TENCHIは特徴的な大きく丸い眼を赤く点滅させた。
「月でわたしが倒れた時に、弘人はアツシに連絡を取り、亡くなったエマに治されたばかりのお前が瞬間移動で月の裏に来た。着陸船が壊れ帰れなくなったわたしと家具屋弘人を地球に返してくれた。表面上は、急遽ドイツ側から予備のロケットを使って回収されたということになっているがな。司令船で一人だけ帰ったケビン・ロスリスバーガー宇宙船長は怪しんでいたが……そのあと、通商科学大臣のアツシとミュラー首相を交え『兎の巣』を解体。核のない世界の実現、平和になったと想ったが……やり残したことがあるわたしとわたしの体を心配してくれていた弘人はこの元の世界(WORLD A)に戻った……」
「私が断ると言ったら……」シマはじっとTENCHIを睨んだ。
「……断れない理由があります」
断れない理由……シマはTENCHIの赤い眼をじっと睨んだ。
「月の知的生命体を人類で知っているのは今のところわたしと家具屋弘人だけ……『月の竹』とこれからは呼ばしてもらおうか。TENCHIいいな」
「……それはかまいません」シマは少し溜息をついて古びた木の長椅子に腰かけた。TENCHIも長時間の話になるのを覚悟したのか、浮揚を止めゆっくりと土間に降りた。
「わたしも弘人も『月の竹』のひとつの道具(パーツ)に過ぎない……人類はまだ戦争を止めないし、環境破壊もする。この日本もどうだ・・・・・・政治、経済、教育、福祉……エゴ、利権、策謀渦巻く中みんなもがいている」
TENCHIは赤い眼を点滅させて黙って聴き入っていた。
「……」何を言っても無駄なようだな……シマは感じ取った。
「そしてもうひとつ、わたしが月で倒れたとき感じた事があってな。弘人も同じように感じたそうだ。あのままだとわたしが死んでいたのはTENCHIお前が一番よく知っているはすだ。わたしの体も元のこの世界に来たら治るとお前と弘人は想った」
「すみこません、わたしの修復のために、シマさんの体を蝕んでしまって……」TENCHIの首は項垂れた。
TENCHIはドイツの指令所兼研究所の『兎の巣』で粉々になった体を特殊な液体が入った巨大な水槽で15年余りの歳月をかけて治された。液体が放つ蒼い発光は人体によくないのは知っていたが、世界の平和のためにも、戦争で亡くなった多くの人を蘇らすためにも、あの時お前に絶対会わなければならなかった。
「しかたがないさ。竹取物語では、かぐや姫に天人が迎えに来て月に帰る時、帝に不老不死の薬を渡したという、かぐや姫を失った帝は嘆き悲しみ、薬を最も天に近い山の頂で焼くように命じた。その山を「ふじの山」と呼ぶようになった。竹取物語と逆の似たストーリーとなったんだ。月で倒れたわたしは弘人に助けられ、TENCHIお前に連れられ、再びタイムリープをして元の世界の昭和47年(西暦1972年)に帰って来た。そして富士山麓にある国立の研究所で研究者の協力を得て極秘に薬を創った。その薬のおかげで私は一命を取り止めた。弘人が大学で医学薬学を学んでいたのも役立った。まだ薬は未完成品だがな。『月の竹』がわたしを助けるためか……それともまだ利用する価値があるのか……わたしと弘人が月で感じたことがきっかけになった。それと弘人にも教え伝えたもう一つの事がこの薬の根源になっている」
富士山麓……不死山……不二山……不老不死……TENCHIは高速で眼を点滅させた。
「もう一つの事?……どんな、薬なんですか」TENCHIは亀の頭のように首を伸ばして言った。
「富士山麓にある植物のエキスを取り入れた若返り薬、強壮剤とでもいうべきかな……不思議な薬だ……月で感じた強烈なインスピーレーションとそれと……広島で我々のいた秘密研究所『狐の巣』ゆかりの……伝説の薬。近くの田で拾ったTENCHIと初めて話をしたのもそこだったな……」
「ええ、そうです。わたしが傷つき最初に治してもらったところです……」
「基地の名前の由来を知っているか」
TENCHIは頷きながら「もちろんです、ナチスドイツの指令所『狼の巣(砦)』にあやかった俗称でしょう」
「それもあるが、大日本帝国海軍少尉で帝都大学教授亀田 野狐(かめだ のきつ)教授の名前の最期の文字「狐(きつね)」、彼の愛称から取ったものだ。海軍きっての天才科学者、確か戦後暫くして亡くなったとか」
「太平洋戦争終戦末期、東京で科学技術の本土決戦対策会議をやったのは知っているだろ」
「シマさんが開発した特別強化戦闘服甲号とかが議論した会議ですね、極秘に日本全国の軍部の科学者を集めた太平洋戦争最期の本土決戦会。特別強化戦闘服甲号はタイムリープ用に使わせてもらいましたが素晴らしい発明でした。今では災害用防護服や宇宙服にも活用されている」
「その時、開発途中だったが亀田教授は若返り薬を提案してな、実戦には間に合わなかったが。筋肉増強の効果もあるが一時的に人間の体を若返りさせる画期的な薬だった。そして、わたしが発案した特別強化戦闘服甲号と並ぶ議論の中心になった本土決戦用一億総特攻兵器だった。その薬の名前が亀田野狐博士の名前を取ってノキツと呼ばれた」
「若返り薬? そうかその薬を使い老若男女全ての国民を本土決戦用の兵士として戦う……特別強化戦闘服甲号と同じく軍事用にも使える……悪魔の所業だ」TENCHIは首を振った。
「治験はまだった。一部人体実験をしたという噂も聞くが、どれぐらい効くのか、後遺症はないのか分からないまま終戦した。極秘裏のうちに研究内容は処分され闇に葬られた。アメリカに敗れたこの世界でもわたしの調べた限り亀田野狐博士は死んでいる。わたしは唯一人その文献を頭に入れていた。それが土台となり、わたしと弘人が月で感じたインスピレーションが融合され薬が完成し、私は助かった。若返り、体もかなり軽くなったような気がする。ノキツ……この薬は世界の多くの人々を救うかもしれないし、ひとつ間違えば世界を滅ぼしかねない。今は伏せているが……」シマは少し溜息をついた。
「それから総理の職務の傍ら、時間があれば薬学を勉強しているんだ」シマは薬学の専門書を見せる。TENCHIは眼を光らせてその本をスキャンしているようだ。
「宇宙開発にも使われた特別強化戦闘服甲号と同じくノキツという薬も平和利用すれば、動植物も活性化させる効用があるようだ。全て極秘で研究している、不老不死の戦闘兵士でも造られたら世界中が大変な事になる」
「ノキツ、ノキツ……」TENCHIは眼を点滅させた。
「逆に読めば……」シマはTENCHIに問いかけた。
「月の……、地球の平和を願う月の発案か!」TENCHIは甲羅から首を伸ばし叫んだ。
「不思議な縁、不思議な運命だな……わたしの命もいつまで持つか分からないが」月が母で生命の源だとすれば、地球はその子供。争いばかりする人類を月はいつも観て憂えているのか。
暫くシマとTENCHIは黙った。
けたたましい夏の蝉の声がシマの心臓に響き渡った。シマはその鼓動が速くなるのを感じた、これから起きるであろう運命を。
「運命……それでは運命の選挙の後に迎えに来ます」
「あっ、ちょっと待て、もう一つの世界に戻るのなら、アツシにあるものを造るように伝えてくれ」
突然、思い出したようにシマはその場から消えようとするTENCHIを止めた。
「あるもの?」
「天からの裁き……地上への贈り物だな。アツシなら必ず造れる」
シマは腕を組みポツリと言った。
ビビビ
シマはTENCHIに耳打ちしたあと、いつものように電子音を鳴らしTENCHIが眩い光を発して消えた。
浦島太郎が玉手箱を開けたような白い煙を出し消え去った。
断れない理由、断れない理由、断れない理由……近未来を知っているのだろうか?シマは呪文のようにその言葉を何度も呟いた。
第6話 戦後 日本昔話
「総理ともなれば、不思議な手品を使えるんだな……」まだ白い煙が立ち込める中、シマは振り向いた。
「お、おまえは、鶴野・・・…」シマの額に汗が滲んだ。
「久しぶりだな、周りは、誰も入られないようにSPが固めているはずだ、どうしてここに」シマは普段の冷静さを取り戻し伏し目がちに言った。
「あんたらしくもない、ここら周辺はかって俺の縄張りだ、誰よりもよく知っている。逃げ道もな……」と言うと、鶴野は煙草に火をつけた。
「今の話、どっから聞いていた」
「海亀模型との独り言か……全然、心配いらんよ。腹話術には興味ないんでね」
関心がなさそうだな……シマは安堵した。
「そんなことより、重要な話かある」鶴野は重苦しい言葉を発した。
昭和25年(1950年) みんな食堂で、若き日のシマ(32歳)と鶴野(28歳)がテーブルをはさんでいた。
「腹が減っていただろ、たくさん食え」
ガツガツとどんぶりを頬張る若き日の鶴野、喧嘩で傷ついた頬には大きな白いガーゼが張られている。
「あんた、追いかけられていた俺に、旦那だといって匿ってくれた……なぜだ……見ず知らずの俺に傷の手当てもしてくれて」
「なぜかな……」
シマは上を向きくわえた煙草を吹かした。
「あんた、鹿屋の特攻基地にいなかったっけ……」
「いや……」
「勘違いだな……」
なぜか……シマはその時想った……今考えると……2回目のタイムリープの時、鹿屋の特攻隊基地で会ったんだな。
「お前ほどの男が何でこんなにヤサぐれている」
「俺の過去を知っているんですか……」
食べ終わった鶴野にシマはそっと煙草を差し出す。
「だいたいな、私も海軍にいたからな……アメリカ軍パイロットが最も恐れた撃墜王……GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に見つかったらやばいか……」
「……特攻で逝ったやつの顔が今でも忘れないんですよ……毎晩毎晩、夢で出てくる……もう、たまらんのです」突然、何かに怯えるように鶴野は顔を手で覆った。その手はブルブルと震えていた。
「私も同じたよ、原爆が投下されたとき広島の海軍基地にいた……命からがら助かって、今は大学で工学を教えている」
「あんたは、立派だ……そして、わたしには少し眩しい……」
「同じ人間だ、そんなことはない……敗戦後の貧しいこんな時代だ、みんないろんなものを背負って必死に生きている、お前も変わることは出来るはずだ」シマは白く長い脚を組み、拙そうに煙草を吹かした。
シマは鶴野と初めてで会ったことを思い出した。鶴野はシマに煙草を差し出す。
「煙草は止めたんだ」
「ワシは変わることが出来なかった。でも、やっぱり、あんたはすごい……」鶴野はサングラスを外し獲物を狙うような切れ長の眼を曝け出した。
「関東最大の暴力団の若頭か……ある意味出世したな」
「なんでそれを知っている」
「総理大臣ともなると、アンダーグラウンドの情報でも耳に入ってくるのでな」
鶴野は今でもシマが自分の事を気に掛けているのを知って少しほくそ笑んだ。
「ここに来たという事は……組織の誰かがわたしを狙うのか……」シマは察して鶴野を睨んだ。
「そう……選挙最終日の夜、驚かんでください……」
「驚かんでください?」
シマは怪訝な顔をして問い返した。
「あんたは敵が多すぎる。相変わらず自分の信念で実行しようとする。脇も甘い、根回しも下手だ。そして、何より腹に想っている事と口に出すことが一緒だ」
「忠告ありがとうよ、腹と口が違う今の政治に向かないかもな……」シマは自嘲気味に応えた。
「それと、あんたの警備は甘々だ……いろんな力が動いてる……気を付けることだ」
巨大な力が周辺で動いているか……
シマは愁い気な瞳で空を見上げた。雲が流れる、一匹の鳥が飛んでいた、白の胴体と黒い嘴、まさか鶴ではないだろうが空から愚かな人間を俯瞰しているようにシマは感じた。
これは、スクープだな……現職総理とヤクザとつながり
ゆっくりと去り行く鶴野、何事もなかったように振り向かず食堂の暖簾をくぐろうとするシマ。遠目でみながら、電柱に隠れた根津はカメラを手に懸命にメモを取っていた。
「遅くまで、ご苦労さん……」突然の声に、驚き振り向く根津。
桃田は根津に笹でくるんだ塩むすびを渡す。
「桃田、お前……」
「お前が嗅ぎまわっているのは知っていたよ、政治部の記者だしな」
「書くか……」
「これも商売だからな」桃田の問いかけに、伏し目がちに根津は呟いた。
「あの実直な総理がヤクザと繋がっていると思うか?」
「記事は何とでも書ける……欲しかったのはこの写真だ」
「お前も変わったな……総理は、この握り飯を食べながら連日連夜頑張っている」
「お前は変わらない、いつまでも青臭い」
桃田は根津と一緒に夜間大学で講義を受けている学生時代に思いを馳せていた。
第7話 黒い雨
一定のリズムで音を刻む鹿威しが雨のためか以前来た時より早く聞こえた。
「選挙終盤なのに呼び出して悪かったの……」
「いえ……、今回の選挙は派閥の覇権争いが複雑に入り組んで首相の選挙応援はごくわずか。そのことは楼(たかぞの)さんが一番よくご存じのはず」シマは楼を睨んだ。
「おおッ、そうじゃったな。それにワシはこの体じゃて、外には出れんからのー」
金多 楼(かねた たかぞの)はいつものように紺色の和服を着て揺り椅子にに腰かけゆっくり話しかけた。対面のソファにシマは座った。
「それでも黒くなったの……声もガラガラじゃて……この国の選挙はいつもこんなもんだ……あんたとこのグループも苦戦しとるようじゃの……」
シマの顔を睨みながら言う。どこまでも調べている……確かに参議院議員雉谷を除く桃田、犬井、猿木の3人は各選挙区で必死に戦っている。
「この国の選挙は、まだまだ地盤、看板、鞄が物を言う……そして何の後ろ盾もない、組織も持たないあんたとこはまだまだだな……いや、もうよそう……」
世論調査でも大苦戦だ……組織、血縁、地盤、金……いずれかこの3人には欠けている。
「で、お話とは……」
ガラガラと遠くで夏の稲光が鳴ってシマの声をかき消す。
「戦前、あんたの創ったといわれる特別強化戦闘服甲号のことだ……」
「わたしの事調べていたんですか?……ずいぶん、古い話ですね、もう28年前のこと……」
「今初めていうが、強化戦闘服甲号の特殊科学繊維、ビニールの技術は当時でも革新的なすごい技術じゃった。その技術で戦後かなり儲けさせてもらったからの」
「ひどい戦争だった……終戦間際、わたしは空母の艦長から陸(おか)に上がっていた……降伏、戦争継続、本土決戦、喧々諤々の討論が何日も続いていた」
「あれを実用して本土決戦になったら戦局はどうなったと想う……」
「……」シマは押し黙った。
「聡明な首相のことだ、言えないわな……」
「機銃の弾を跳ね返す強化戦闘服甲号。あれを女、子供に着させ爆弾を抱えて敵陣に飛び込む。相手も女、子供だと油断もする……アメリカ軍人も精神に異常をきたす者も多数出るだろう・・・・・・戦後ある機関のシュミレーションでは勝てないまでもある程度有利な条件で停戦に持って行けたそうじゃ」
「……それは、泥沼のベトナム戦争がそれを物語っている」
シマはポツリと呟いた。
「さすが、総理じゃの」
「戦争に勝者はない……残るのは後悔と憎しみだけ」楼はポツリと呟いた。
戦争に勝者はない……TENCHIも言っていたな。シマは想い出した。
「あんたは特別強化戦闘服甲号を国民から空爆、機銃や爆弾から救うために創ったのに不思議なことじゃ……」
「日本国政府は8月15日に終戦を受け入れ、戦後、首相と私の上官である山元海軍大臣などはA級戦犯として処刑された。そして私は生き残った」
「山元海軍大臣……」
「日本から見れば真珠湾攻撃を立案、実行した英雄……太平洋戦争を短期間で締結され講和に持っていこうとした」
「あなたも、戦後、戦争で亡くなった戦没者の方々に匿名で多額の寄付をしている」
「さすがじゃな……ワシの事もよく調べておる……
浦総理あなたのその瞳は戦時中何を見てきた……想像を絶する地獄か。確かに、少数の犠牲で済むなら多くの人の幸福の方を選ぶだろう……決して綺麗ごとでは済まない現実、人間の業……正義とは何だろうか……」楼は続けた。
「最近……あんたの夢をよくみての……戦後最大の悪魔とか鬼とか言われたワシも……もうすぐ死んだ戦友が迎えにの来るのだろう……死ぬ前にアンタと一回会っておきたいと思っての……」
楼は立ち上がり自身のスキャンダル記事が載った新聞をシマに見せる。
「いずれ、この国も変わる……」
……正義とは何だろう……正義の敵は正義
「ウッ……」和服から胸を掻きむしりながら崩れ落ちる。すかさずシマはかかえる。
「ワシは取り返しがつかんことをしてしまったかもしれない……気をつけることだ……ゴホ、ゴホ……」
楼はそういい終わると瞼を閉じた。
「誰か! 誰か!」
シマの叫び声が楼邸にこだました。
古びたアパート。
階段の下で家具屋が一人しゃがんで座っていた。
「つらいな……」
街灯がつく中、2階の暗闇の一室を見上げる。
「家具屋さんSPは帰らしたのですか……」
「あんたは確か毎朝新聞の根津記者」
「さすがですね。よく覚えている」
「あなたこそ、よくここが分かった……」
「フフ、表面上は民自党本でのグループの参謀、選挙のない参議院議員猿木との会合。鉄の結束の浦シマグループのことだ、疲れている総理の極秘の休息がこれか……」
アパートの二階の一室に明かりがともった。
「関東最大の暴力団の若頭がこんな古びたアパートにに住んでるとは誰も思わない。しかも現職総理が部屋に入っている」
「書くのか……」
「さあ……どうかな、確証がない。つらいですね、愛している女を待つのは、おっと……」
「……それより、あんたなぜ花木さんの要請断ったんだ」
「知っていたのか……俺には政治家は無理だ」
「私は現職総理より将来の総理候補の方に興味があってね。地盤も血縁もなんにもない戦争孤児だった女、あんたがいなければ総理大臣には絶対なれなかった。イメージ戦略、選挙資金の工面、そしてなによりいろんな汚れ役を巧みにこなし、実直な総理を裏からカバーしてきた。プロの政治屋が見れば分かることだ。それにあんた二枚目だもんな……選挙に出たら女性有権者がほっとかないだろう」
根津は家具屋を見ながら不敵な笑みを浮かべた。
「もう、いいか……」
「ええ……」
裸のシマはシーツに身をくるみ俯きながら髪を手でなでる。
「あんたの眼は違うものを見てたな……」
上半身裸の鶴野は煙草を吹かしながらカーテンの隙間から下にいる家具屋と根津を見ていた。
「雨が降ってきましたね」
選挙カーの横で傘を差しだす家具屋。
「観衆の中に鶴野がいた」
「ああ、わたしも分かりました」
「覚えていますよ……」
「私が初めて総理に会った時も雨だった……」
気をつけることだ……
シマは楼から云ったことを思い出していた。
昭和25年(1950年)
みんなその日を生きるので精いっぱいだった。
「戦後貧しいこの日本、戦争のない世の中に、みんなの力でこの国を変えようではないでしょうか……」
駅の陸橋の階段下で、冷たい雨の中、りんご箱に立って一人で辻立ち演説をするシマ(32歳)。
無視をする、関わりたくない、忙しい……足早に行き来する人々。聴衆は誰もいない……
青色の鉢巻をして平仮名で「うら しま」と書かれたタスキを斜め掛けにしている。
それを陸橋の上から見守る若き日の家具屋(19歳)がいた。
「よく、毎日、毎日、頑張るね……」
その頃、わたしは医学部の学生をしていた。
「おいおいおい、どこの許可をもらってやってるんだ!ここはワテらのシマだぞ」
女のチンピラは強引にミカン箱をけ飛ばす。
「あっ!」シマは勢いよく転げ落ちた。顎を打ち口元から血がしたたり落ちた。
「おいお前、何をするんだ!」
家具屋は陸橋から一目散に走り降りてきた。
手で口元を押えながらシマは睨み返す。
「だから、やりたかったら金よこしな」
手を振り上げようとするチンピラ。
すさかずチンピラの腕む者がいた。
「恩(めぐみ)もうよせ!シマさんすまねえな……」
「お前は鶴野……」
シマはスカートについた泥をはたきながら呟いた。
「今回は、これで勘弁してくれないか……」
鶴野(28歳)はシマの胸ポケットに100円札をねじ込む。(注・昭和25年 うどん一杯15円ほど)
「こんなものいらねえや!」
シマは札を突き返した。
恩(めぐみ・16歳)と呼ばれる女のチンピラは肩で息を弾ませ憤懣やるかたない顔をしている。
……嫉妬……わたしはその時は想った。
選挙にはジバン(地盤)、カンバン(看板)、カバン(鞄)の3つのバンが必要であるとされていた。当時も今も日本の政治は、実際の当落は後援組織の充実度(ジバン)、知名度の有無(カンバン)、選挙資金の多寡や集金力の多少(カバン)に依存している場合い多い。シマさんはその3つともなかった。政治家は優れた政策や資質、能力で選ばれるべきとまだまだ政治家として青臭い考え持っていた。
当時、大学生になったばかりの僕は、時間の許す限り、「うら しま」の旗を持ち雨の日も雪の日も立ち続けた。貧しかった日本。その日を生きるのが必死で、みんな懸命に這い上がろうとした。その後、国会で拾われた桃田が加わり。手作りの選挙が少しずつ広がりを見せた……。
懐かしいな……この駅前、周りは変わったが、シマさんはここから政治への一歩が始まった・・・…
とあるビルの屋上から暗視スコープごしに黒山の人だかりの選挙カーを見ていた。
煙草を吹かし、黒い狙撃銃を手に鶴野が寝そべっていた。
もうたくさんだ、若い衆にはやらせねえ……
鶴野の傷のついた頬に雨粒が落ちる。
最悪じゃねえか・・・・・・夜でしかも雨か。
気をつけることだ……
シマは楼(たかぞの)から言われた最期の言葉を気に留めていた。
「……大丈夫ですよ……この雨だし……警官も私服も含め、最終日で増員されている」
家具屋はシマにビニール傘を差し掛けている。勝負服の白いスーツに透明の合羽を纏っている。
シマの銀髪はしっとり濡れて雫が落ちている。
「それより、お疲れだと思いますが、このあと会合に必ずお願いします」
シマの濡れた髪をタオルで拭いながら、耳元で呟く。
「近本派幹部との会合か……水清ければ魚棲まずか」
「はいっ、最期の……これで勝てます」家具屋はシマの疲弊した顔を見つめ頷いた。
「さすが家具屋だな。根回しが上手い……清濁併せ呑むか」シマは星一つない東京の夜空を見上げる、頬に容赦なく雨粒が落ちた。
「多少汚れますが……汚れていない人間なんていません……人間だから……」
政治家としてきれい過ぎるか……家具屋はシマの瞳を見つめた。
「人類は生きている限り必ず争いは起こります……少しでも太平の世の中にするためにも、ここは、義より利を取るべきです。誠実な総理には気が進まないと思いますが……」
「正義とはなんだろう……」
珍しいシマの揺れる言葉に家具屋はためらった。
「日本のため、そして世界のためあなたは絶対、絶対勝たなくてはならないのです」
家具屋はシマの両手を握りしめ激しい言葉で締めた。
絶対、絶対か……シマは何回も訊いた戦時中のその言葉に目を細め遠い想いを馳せた。
この世界からタイムリープをしたのはわたしと家具屋、アツシそれとさくら、アツシとさくらは残り、わたしと家具屋は元の世界に戻って来た。やりかけた総理大臣職、どこまで出来るか分からないがこの世界も変えれると信じていた。世界平和、環境問題、経済、教育、福祉、汚職や利権の根絶……問題は山済みだがきっと変えれずはずさ……
第8話 さるかに合戦
「……最期の演説、ビシッと頼みますよ」家具屋はポンとシマの肩を優しく叩いた。
「風が吹くか……」激励にシマはポツリと言った。いつもよりシマの背中が小さく見えた。かなり疲れている……家具屋は感じた。
選挙カーの梯子を登ってくシマ。
見上げる者の中に合羽を着た記者の根津もいた。
「テレビ、新聞ほとんどの報道陣が退去しましたよ……もう、選挙戦も今夜で終わりですからね。早く帰らないと朝刊に間に合わない」
「俺の方にもデスクからも早く帰って来いと連絡が入った。あれだけいた警備の警官も少なくなっていないか……匂うな……大きな力が動いている、それも複数の……」
「先輩、スクープの匂いですか?」
助手の若手記者が問い返した。
「神しか分からないだろうな、いろんな思惑が渦巻き交錯している……」
ライフルの暗視スコープ越しに鉢巻をしたシマを追う鶴野。雨に濡れながらも縦横無尽に体を動かし拳を握りしめ懸命に演説するシマ。
やっぱ、撃てねえな……あんたは眩しすぎるよ
マイクを係員に渡し選挙カーから降りようとするとき、無言のまま包丁を手にした婦警の服装をした女が突進してきた。
家具屋があわててシマの間に体を入れる。
「うぐっ」
家具屋の脇腹を刺した。上着から血がにじみ出る、その暴漢はすばやく包丁を抜き再度、シマを刺そうとする。
プロの殺し屋……
スコープごしに自分を笑っているのか……女の白い歯が見えた。
「恩(めぐみ)! おまえ……」
鶴野は引鉄を引いた。
ズキューーン
甲高い銃声とともに包丁が吹っ飛んだ。
鶴野さん……恩(めぐみ 39歳)が思うと同時に複数の警察官に抱え込まれる。多数の警備員が入りあたりは騒然となった。
「弘人! 弘人!しっかりしろ! しっかりしろ!」
「大した傷ではありませんよ……」家具屋は朦朧とした瞳で呟く、みるみる唇は青白くなっていった。
「わたしは、あなたのためにいつでも死ねる……」弱弱しい声だが、シマは確かに訊いた。
小雨だった雨粒が強く降り出した。「弘人! 弘人!……」シマは泣きわめきながら倒れ血まみれの家具屋を強く抱きしめた。
「あっ、早く救急車を!」瞬間の出来事に何が何だか分からず若手記者がありったけの力で叫んだ。
「これは、スクープだ!」
バッバッと
黄色い閃光を上げ根津はかまわず、家具屋を抱きしめるシマの写真を撮りまくる。
冷たい雨にフラッシュの閃光だけが眩く光った。
婦警の帽子が踏みにじられ泥だらけになっていた。
なんてことだ……恩(めぐみ)は生きていた。楼に殺されていなかった……
夕暮れ時のとあるビルの一室
ライフルを手に黒いボディスーツを着た恩が椅子に座っていた。
カチッとドアが開く
恩は振り向きライフルを構えた。
「……さすが恩(めぐみ)、いい反応だ」
黒いコートを着た鶴野はサングラスを取りヘルメットと黒いバックを渡す。
「報酬の金とパスポート、旅行券も入っている、それとこれ」
鶴野はバイクの鍵を出す。
恩は自ら胸のポケットのジッパーを開け恥ずかし気に大きな眼を瞑った、鶴野は黙って胸の谷間に鍵を入れ何事もなかったようにジッパーを閉じ語りだした。
「お前は眼もいいし……今回も大丈夫だろう……」
うちの組は完全な殺しはしない……巨大な後ろ盾があるからな……殺したらそれでお終いだが……活かさず殺さず今後の事を考え味方に付けて利用する。老獪な楼(たかぞの)の考え方だ……
「これも、若頭のおかげです」
「もうこの仕事ももうお終いだ。病弱だったお前のお母さんむこの間死んだそうだな。特攻で逝った父親の代わりにお前が育てた双子の妹も人気歌手になった。仕事のあとしばらくフィリッピンにいろ、しばらくすれば必ず日本に戻す」
「・・・・・・」
「そのあと、普通の家庭を築き平凡に暮らせ……必ず幸せになれよ」
「若頭……」
恩(めぐみ)は涙を流しながら鶴野に抱きつく。
遠かったな……普通の家庭……
雨が一段と激しくなり、雨粒が天を見上げる鶴野の頬を伝った。
面会謝絶と赤いランプがついている。
「総理、どうですか!」
病院のローカを懸命に走ってくる桃田。激しい選挙戦、日焼けをして顔は真っ黒に変わっていた。
シマは集中治療室の前のソファに座っていた。翌日から一睡もしていないらしく眼はむくみやっれていた。昨日のままの勝負服の白いスーツ、家具屋の血痕も泥も付いたままであった。
「刺さったところが悪かったようだ……今は何とも……」憔悴しきったシマは首を横に振った。
「ハア、ハア……そうですか、家具屋のことだ。きっと大丈夫ですよ」
腕まくりをし桃田は息を切らしながら屈みこむ。肩で息をしている。
「おい、こら。立ち入り禁止だぞ」
警備員と揉み合っている鶴野。黒いコート、サングラス姿はとても堅気の者には見えない。
「鶴野……」
「わたしの知り合いだ」
「あっ、総理のお知り合いの方でしたか」警備員は鶴野を放った。
「昨日はありがとう……包丁を撃ったのはお前だろ」「礼には及ばんよ」鶴野はボソッと呟く「雨の中でもいい腕をしている」シマは続けた「楼の仕業か……?」
「楼が仕組んだことだが、威嚇だけのはずだった……やつもこんなことになるとは思わなかっただろうよ。どこでどう違ったか……知っての通り金多は今昏睡状態だ。戦後最大の怪物と呼ばれた男も、もう長くはない」
鶴野が言い終わると、2人に沈黙の時間が訪れた。桃田は気を利かせ摺りガラスの窓を見つめた。土砂降りの雨音だけが待合室に響いた。
「あんた、何日も寝てないんだろ……」鶴野の問いにシマはゆっくりと頷いた。
「あの秘書の容態は……」鶴野はサングラスを取る。
「それが……」シマの重い言葉に鶴野は黙った。
……家具屋とか言ったなあの秘書、あれだけの男が何故……ワザと刺された?……俺とシマの秘め事を遠くから観ていたな……政界のもつれと愛情のもつれか、くだらん。鶴野は恩(めぐみ)とシマ、二人の女を想い返し吐き捨てた。
鶴野は屈んでいるシマを上から見つめ「女狼らしくねえな……」
「わたしも人間、一人の女だからな……」シマは俯いたまま小声で呟いた。
「これから、徹底的にやられるぞ!」鶴野は突然シマの顎をつかみ持ち上げた。
「分かっている。いじめには慣れてる……」シマの首を横に向けての精一杯の言葉に鶴野は白い兎のように感じた。
よそ見の振りををしていた桃田も鶴野のあまりの突然の行動に驚く。
「あんた、スッピンでも美しいな……」
「……よしてくれ」シマは首を振った。
鶴野は自分の胸を二回ほど叩き。
「諦めるのはあんたらしくねえ……あんたは、どんな時も這い上がってくるもんな。俺はこれから自首してくる。新聞には選挙終了後の月曜日に載るだろう……」
そう言い終わると鶴野は立ち去った。入れ違いに小太りの花木幹事長が胸を揺すりながら走って来た。
「そ、そ、総理、こんなときにすいまへんな……これから党の選挙対策本部へ来てください、もうすぐ開票が始まりまっさ……」
いくつものカメラのフラッシュが眩く光る。当確が決まった議員の名前にピンクのバラをつけるシマ。
新しい白いスーツに着替えてはいるが、シマの顔には笑顔がない。民自党関係者、テレビカメラ、報道陣、会場はむせ返りごった返していた。
「やった! 犬井に続き雉谷も当選した!」
額に脂汗をかきながら桃田はこぶしを握り締めガッツポーズを取った。
「今回改選の民自党の衆議院議員が298人、このままでいくと300人ぐらいは当選しそうだ。花木派と岩貞派と糸井派の議員はと……シマさんを押す派閥が結構伸びてますね……民自党内での派閥の戦いだが無所属の5人が民自党に入る予定だから153前後が過半数。このままだと行けそうです」
今回の選挙に関係のない参議院議員の猿木は電卓をたたきながらいつものように冷静な頭脳で分析していた。
「花木派が寝返ったら分からんぞ……反浦グループで民自党内の過半数を取れる」
桃田はまだ花木のことを完全に信じ切っていないようだ。
「そんな、まさか……」
「エリート官僚出身のお前とは違い、俺は夜間大学時代から国会で働いている。政治家の腹の中はみんな分からんよ」
選挙対策本部は熱気を帯びてきた。大きな拍手や歓声も起きる。
「藤浪派、近本派も盛り返してきたか。混沌としてきた……頼む……俺はシマさんと一緒に新しい日本の景色を観たいんだ……」
いつも冷静な猿木もいくつものピンク色のバラがついた掲示板に向かって両手を合わし拝んだ。
「俺も観たい……新しい日本の未来を」
桃田は猿木の震える両手をしっかりと握った。
第9話 OMUSUBIーKOROーRIN
「これで……全部かな」
官邸では総理大臣の引継ぎが行われていた。大勢のマスコミが出て行った広い執務室にはシマと花木、少し離れて桃田が立っていた。
「ありがとうございます」花木は儀礼的に礼をした。
「花木首相、二つほど頼みがある」
「なんでっか」
「ひとつは、この桃田を閣僚に入れてやってくれ」
「一人ぐらいたやすいもの……おっと失言失言、国民の皆様にとってはひとつひとつのポストも大変重要でしたな……分かりました」
「わて、いや私も、これから言葉遣いに気をつけんとな……どこで足元をすくわれるか、ハハハ」花木はバツが悪そうに頭を掻く。シマは本心はどうか分からないが憎めない男だなと思った。
「それと、もうひとつは」
「わたしは、こいつとこれから旅に出る」
遺骨の入った木箱を白い布でくるみ首に下げる。
「お遍路でも……四国方面に行くんでっか」
「まあ、そんなところか」
「私はこれで政界を退く。マスコミには追いかけないようにしてくれ……」
「それもたやすいことで、とりあえず政治を学び直すために海外留学ということででよろしおまっか」
「まあ、そんなところでいい」シマは振り向き。
「桃田、政界の鬼退治頼んだぞ」
「はい、浦前首相の高い志を受け継いで頑張ります」
シマは桃田としっかり握手をする。
「わてへの、あてつけかいな」花木はポツリと呟いた。
「花木首相もこれから頑張ってくれ」
シマは花木の肩を軽く叩いた。
さすが政界の寝業師、ここまでしたら見事だ。最大派閥の藤浪を出し抜き自分が総理になるんだもんだ……花木栄男(はなき さかお)、食えないな、花咲か爺ぃさん。
裏切るより裏切られる方がまだましだ……
桃田とシマは部屋の隅で同時に呟いた。
「浦はん、桃田はん何かいいましたっけ……」
「それでは……」と言って立ち去ろうとするシマ。
「楼(たかぞの)の旦那、この間倒れましてから、もう意識もありませんのや……」
「ます、ます、花木首相の天下で喜ばしい事でんな……」
「浦さん、へんな関西弁はやめてくれなはれ、あんたには似合いません」花木は頭を掻いた。
「自首した若頭の鶴野、務所暮らしもそんなに長くないですわ。手ぇ回しときました」
「それと、もうひとつ浦はんに喜ばしいニュース……」
「わて、ガンで余命2年の宣告を受けましたんや……」
花木の呟きに、シマはドアのノブの手を止め、桃田は立ち止まり執務室に静寂の時が流れた。
「そうか……」
シマは眼を瞑った。
……これも我々の手を緩めさせる花木一流のフェイクか……真実なのだろうか……桃田は想った。
「裏切ったり、騙したり、天罰やな……」
「花木坂雄さんあなたならガンも克服するよ、大丈夫だ。日本の政界に花を咲かせろよ。桃田たちと共にこれからの日本を変えてくれ……それでは、サラバだ……」
シマは微笑んで軍隊式の敬礼してドアのノブを回した。
「シマさん……」桃田は駆け寄りシマの肩に寄り添い、そして崩れるように跪いた。執務室に桃田の嗚咽だけが響いた。
首相官邸近くの小さな公園、夏の蝉の声がまだ残っていた。桃田と根津は白いベンチで白いワイシャツになりハンカチで汗を拭きながら座っていた。
「食うか」
笹から白いおにぎりを取り出し、根津に渡す。
「ああ……」根津は気のない返事をして溜息をついた。
「終わったな……」桃田は感慨深げにつぶやいた。そして続けた。
「シマさんを追いかけないのか」
「元総理は突然消える。海亀に乗ってな……幻を見たのかな……」眩い青い空を見上げながら根津は呟いた。
桃田は追いかけそうにないのを知って安堵の表情を浮かべた。官邸で傷心しているシマを見送って数時間。根津の動きを封じるのが敬愛するシマへの最期の奉公だと想っていた。
「そう……幻覚だ。お前何日も寝てないだろ。それより根津、なぜ載せなかった」桃田は根津に問い質した。
「浦さんとヤクザの関係か……確証がないからな」
「よく言うぜ、飛ばし記事が得意のお前が」
「大袈裟かもしれないが、選挙前、俺は国民に2つの箱を与えた」
「総理襲撃事件の決定的写真と金多 楼(かねた たかぞの)のスクープか……」
「一人はこの世界から消え、もう一人はこの世界から亡くなろうとしている」
「政治の世界は難しい、それぞれの正義があるからな」
「金多のスクープで、最も金多に近いとされる民自党最大派閥の藤浪派は求心力を失った、そして芋ずる式に、政界の寝業師、花木が総理の椅子に」
「投票日当日の朝刊に総理襲撃事件の写真が載った。友来票が入り、おかげで、我々弱小グループもかろうじて残った」
「桃田、お前のためにやったんじゃないよ」「そうか……」桃田は根津の右目が合図したように感じた。桃田は空を見上げ。
「運命だ……ところで、おれは、新聞記者を辞めようと思う」
「今回の件でせっかく出世したのに」
「政界の鬼退治、桃田 朗(ももた あきら)お前だけには言うが……花木さんに賄賂をもらっていたんだ。今日全て返した……お前はこの事を政治の道具に使わないよな」
「……ああ、もちろん……正々堂々と政治、政策で勝負したい……」
「理想はあまりにも高く、純粋過ぎた……」
「浦さんのことか……」桃田はポツリと呟く。
「この時代では早すぎたのかな……」
「それより、お前はやりすぎた。金多の次は花木に狙われるぞ」
「覚悟の上だ。俺は独り身だ、いつ死んでもかまわない……フリーライターになって命ある限りこの国を真正面から追いかけたい……それより花木さん総理に就任して変わったようだ」
「シマさんに感化されて……でもあの狸の腹の底は分からない……しかし、これから国民の事を思う信頼、信用できる総理大臣になるかもしれない……」
「このプロレス専門のスポーツ新聞を見ろよ」根津は桃田に折りたたんだ新聞を渡す。
桃田は、広げると。見出しに『政界の寝業師が立ち技の総理を下す!』と大きく書かれていた。
「面白い例えだな……正義とは何だろうな……シマさんはこの時代では義に厚く実直すぎたかも……」
そういえば、引継ぎの時、シマさんも自分にはないものを花木から感じ取っていたような気がした。シマさんの事だ、今回の経験を次のステージで絶対活かしてくれず。
「桃田、お前は総合格闘技型の政治家を目指せ……」
「ハハハ……まあ、今回は貴重な経験になった」
「日本はこれからどこに行くのかな……」
「ああ、未来は誰も分からない……そして、政争も終わらないな」
桃田は青い空を見上げぽつりと呟いた。
「人類が生きている限り争いは終わらない。人類の本当の敵は自然災害や疫病ではなく人類かもな……それより、この握り飯うまいな」
根津は満面の笑みで応えた。