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【読んだ】美馬達哉『臨床と生政治 〈医〉の社会学』
医療に関わる色んなトピックの論考がなんと16本も収録されているので、全体を通底する話の筋を探りながら読んだ。一貫しているのはおそらく、医療の客観性や権威や専門性の根拠が揺らいでいる状況ではなかったかと思う。無論、社会構築主義に基づく医療化批判や、医療社会学で言われる医師と患者の非対称的な権力関係や役割分担の問い直しは前からやられていたのだと思うのだけど、どうもそれだけには止まらない面白さがあるような気がした。一方には客観性や権威や専門性を再構築しようとする医療側の不断の動きがあり、他方には、技術革新や社会状況の変動、そして市井の人々による主体的な社会実践等々によって医療に関わる諸領域が食い破られ流動化していく動きがある。本書で描かれるのはこの両者がせめぎ合うダイナミズムだと思うのだけど、言うまでもなくそれは統治技法を巡る攻防であり、序盤で言われる「素人による専門職に対する陰謀」(P49)という言葉は印象的である。
「素人」なりに面白いと思ったのは、データ化とパターン化の話だった。例えばかつて精神分析に基づいていた精神医療はDSM的理性を経てRDoCという疾病分類に至っているのだけど、それが志向するのは「正常から異常までのすべてのバリエーション」の記述なのだと(P110)。あるいはiPS細胞の研究においては、幹細胞を別の細胞に変化させるトリガー物質が分かっていない。故に、様々な物質を片っ端から総当たりで幹細胞に試しているのだという(P133)。あるいはデジタルデバイスを活用した「自己トラッキング」では、ひとりひとりの生理データが自動的に数量化され記録される。こういう、「とりあえず全パターン押さえる」という発想、近年の特に理系の研究でよく聞くな、と思う。
こうした動きは、これまで前提にされてきた医療や社会の秩序を食い破っていく。例えばRDoCへの流れを進めたのは精神医療を客観化したいという医療側からの動きだったが、同時にそれは鑑別診断から離れて「個人化医療」と親和性を高めていく(P110)。あるいは自己トラッキングは病気の治療や予防のために使われるだけではない。ユーザーはそれを「感覚器の延長や新しい感覚器」とみなし、「新しい感覚や感性の生産」のために使う(P230)。それはデバイスと人間とデータのハイブリッド化をもたらすのであり、新しい主体を構築する。同時にそれはこれまでのEBMとは異なる医療のあり方を生む可能性もある。無論、言わずもがなそれはプラットフォーム企業のビッグデータにも化すのだから監視のディストピアに繋がる蓋然性も孕む。
あるいは、iPS細胞は常に予想外の動きをするから、研究者は「細胞の「顔つき」や「表情」を見て取って世話(ケア)する」「ソムリエ」の様に振る舞うのであり、それは感情労働であると論じられる(P152)。この話、マルチスピーシーズ人類学のフィールドワークを集めた『食う、食われる、食いあう』という本で記述されていた食糧生産、特に種子の生産の話を思い出した。
「正常」と「異常」というヒエラルキーも相対化し得るという。ニューロダイバーシティという社会運動において論じられる「脳化」の狙いは、「医療化」からの脱却である。ASDやADHDの特性を脳の神経構造の差異として相対化する事で、医師による治療以外の対処の道を開くのであり、それはアイデンティティ・ポリティクスや当事者研究への道を開くのだし、同時に自律した近代的個人という前提も食い破る。
無論それは現在の社会に蔓延る生命のヒエラルキーの問題にも大きく関わる。ゲノム編集について論じた第7章では、やはりそれは優生思想につながる危険が論じられる。ただしそこで強調されるのはゲノム編集は優生思想の副次的な問題でしかなく、主要な問題は「良いゲノムと悪いゲノムとは区別できるという思想」であるとされる(P222)。これはゲノム編集に限らずこの本全体を通して強調されている事なのだけど、いかなる医療技術も倫理も生権力も、社会的な文脈の中でしか意味を持ち得ないという事だろう。因みにここで持ち出される小泉義之の怪物待望論と劣性社会論は自分も昔読んでとても印象に残っているのだけど、あれは優生思想を徹底的に破壊するために、まさに「全ての生命を歓待せよ」という話だった様に思う。
その他、ドーピングとエンハンスメントや、労務管理におけるストレスチェックとセルフケアを用いた自己マネジメント(自己統治)の問題、あるいは反ワクチン(!)等々、現在の統治の強化も綻びも多種多様に垣間みれてとても面白く読んだ。各論で論じられる内容が、マルチスピーシーズ人類学やANT等々、近年人文学で論じられるトピックと符合しているのは還元的と言えなくもないのかもしれないけども、しかしそれはむしろ、近代的な統御や秩序が食い破られ続ける状況をいかに記述できるかという挑戦なのであり、ともすれば観念的な次元で止まってしまうこうした理論的タームをアクチュアルなトピックの中で読み続けるのはとてもスリリングだと思った。