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【読んだ】リン・ハント『人権を創造する』

これは面白かった。「人権」という概念、特にその普遍主義が立ち上がり普及していく歴史について。社会契約に基づく諸々の権利に対して、普遍主義に基づく人権がめちゃくちゃコンセプチュアルでラディカルで強いインパクトを持つ事がよく分かる。柱になる三つの宣言、すなわち「アメリカ独立宣言」「人間と市民の権利の宣言(フランス人権宣言)」「世界人権宣言」が末尾に全文掲載されているのは、本書のコンセプトを示していてとてもよかった。

本書について頻繁に言われているように、18世紀に流行した書簡小説と、それによって生まれた「他者への共感」という感覚が人権の普遍主義を生み出した、という話は確かに出てくるのだけど、通読した感じだとそこだけを焦点化するのは少し話を矮小化するように感じた。「共感」の感覚がこの時期に生まれたのはそうかもしれないけど、根本にあるのは世俗化によって生じた「個人」という概念や宗教からの身体の解放、身体の所有や自他の区別の感覚の発生等々であり、それはフーコーなりアリエスなりが論じてきたような、よくある話っちゃよくある話のように感じた。

むしろ興味深かったのは、フランス人権宣言にせよアメリカ独立宣言にせよ、人権の普遍主義が宣言された後の話で、理念が先行する事で権利の対象が拡大されていくプロセスだった。宗派や職業による差別に抗した権利要求はもとより、「共感可能性」をベースにして権利主体が「発見」され、権利獲得が行われていく過程からは、理念的であってもや観念的であっても「宣言」が行われる事で現実を動かされるダイナミズムが垣間見れて面白かった。無論、それぞれの人権宣言が定義する権利が遍く行き渡ったこと事など一度もないし、その拡大はまだまだ不十分ではあるにせよ、権利の対象が「拡大」しうる動的なものだと発見された事自体が重要なのかと。本書の末尾に書かれた「距離」を巡る問題は、おそらくこの拡大のプロセスの今日的な問題だと受け取った。

もうひとつ印象に残ったのは、人権概念の成立過程での政治的な思惑や、人権概念によって新たな差別が生み出された事等々があけすけに書かれていた事だった。例えばアメリカ独立宣言に人権の普遍主義が書かれたのにはイギリスへの対抗があったし、フランス人権宣言の背景には植民地の統治の都合があった、等々。あと結構エグいのが、レイシズムやセクシズムの根拠として科学主義が持ち出されたという周知の事実について、その要因のひとつとして人権概念があった事も示される。いわく、すべての人間が無条件に人権を持つという普遍主義は、性や人種による「人間」の区分を導入する動機となり、「(人間の)違いは、階級という領域から人種や性のそれへと移行」し(208)、その違いを根拠づけるために科学的知見が持ち出された等々。曰く、「普遍的で、平等で、生得の権利への要求は、ときとして狂信的な差別のイデオロギーの発達を刺激した。共感的な理解を獲得する新しい様式は、暴力にかんする扇情主義に道をひらいた(229-230)」という。

この本を読んだ動機はかなり素朴で、排外的な言説や最悪な法改正を目の当たりにして狼狽えたからで、同時に自分はそもそも「人権」という言葉を使うことに自信が持ててないと思ったからだった。ただ実際に読んでみると、(多くの歴史研究がそうであるように)どちらかというと人権概念の存立根拠を揺さぶるもので困ったっちゃ困った。そもそも、例えば『人権と国家』という新書で筒井清輝が書いていた通り、人権概念は内政干渉すら許容するような強い概念であり、国家にとって不都合なものであるのには違いないだろうし、常に潰されようとしている気もするし、我々が手放さずに死守するのはかなりタフだろうとは思う。ただし著者のスタンスは明確である。いわく、「市民権はたんに権力当局によって承認されるものではなく、自分でつかみ取るべきものなのだ。道徳的自律のひとつの基準は、議論し、主張する能力、そしてある人びとにとっては、闘う能力なのである(185)」。

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