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福島原発「汚染水」を海に流すな(中)  ~ この国を滅ぼす無責任の連鎖 ~ 

トリチウムを流すは誰か
 トリチウムの人体への影響をめぐって、二つの相反する主張が交錯している。図上は経産省、図下は国際環NGOグリーンピースである。

 どちらが正しいか。これを判断するのは、実は簡単である。「科学的」な論争に巻き込まれないこと。そして重視すべきは「誰がトリチウムを流そうとしているか」だ。
 前回示したように、「汚染水」を流そうとしているのは、汚染水処理に金をかけたくない東電と責任を取りたくない政府、そして再処理工場を動かしたい「亡者」たちである。
 「汚染水」を海に流したい彼らにとって、「処理」できない放射能トリチウムは邪魔でしかない。であれば、そのまま流してしまえ、というわけだ。「安全だから海に流す」のではない、「海に流したいから安全」と詭弁を弄しているだけにすぎない。そして「安全」を洗脳するためにさまざまな詐術を繰り出している。 

原子力ムラの詭弁と詐術
 この詭弁と詐術は、原発を推し進めてきた原子力ムラ(原子力マフィア)の常套手段である。原発は安全と喧伝し国民を洗脳してきた。だが、事故は起きてしまった。
 彼らは「想定外」という言葉を持ち出して責任を逃れようとしている。だが、実は地震や津波で原発が壊れることは想定されていた。その想定を無視して対策をとらなかった。
 「想定外」なのではい。「想定したくなかった」だけである。そこには明確な選択がある。その選択の責任と罪は重い。だが、その罪をいまだに誰も問われてはないのだ。
 「汚染水は安全」は「想定外」と同じ詭弁だということがこれでお分かりだろう。原子力ムラの「言葉」など信じるに値しないのである。
 原子力ムラは、汚染水を海に流すことで原発を推進した責任と罪も流したいのだろう。
 原発事故は、その周辺に住む人たちから、生まれ育った故郷を奪ってしまった。帰ることも住むことさえもできない。原子力ムラにはその罪を償う義務と責任がある。彼らを断罪し、その罪を償わせるためにも、汚染水を海に流すことを許してはならないのである。

IAEAの正体
 原子力ムラは、汚染水の海洋投棄ためにIAEA(国際原子力機関)から「お墨付き」をもらった。IAEAとはどのような組織なのかは、その歴史が示している。
 広島と長崎に原爆が落とされた直後に、日本はこれを「国際法違反の非人道的兵器」と抗議した。この抗議は、当時日本も米国も調印していた戦時国際法であるハーグ陸戦条約に基づいた正当なものだ。
 だが、アメリカにとって「国際法違反の非人道的兵器」であることは表沙汰にできない。原爆投下の大義(戦争終結)が虚構にすぎず、原爆を開発し使用した罪を問われることにからだ。
 アメリカは戦後ABCC(原爆傷害調査委員会)を設置したが、被爆者のデータを収集するだけで治療はしなかった。放射線の人体への影響、とくに内部被曝による疾患が明らかになれば、原爆が毒ガス以上に残虐な化学兵器であり、明白な戦争犯罪となる。この事実を隠すことがABCCの目的だった。
 ABCCのこの隠蔽工作と体質を引き継いでいるのがIAEAである。原発事故後には被曝の隠蔽に暗躍しており、それは汚染水の海洋投棄へと続いている。

無責任の連鎖
 IAEAの報告は、海洋放出を「国際的な安全基準に整合的」で「影響は無視できる」としながら、「推奨するものでも承認するものでもない」と断りを入れている。
 これは、原子力規制委員会の「基準を策定するが、安全性を確保するものではない」と同じである。責任を取りたくないというわけだ。御用学者の本性がここに現れている。
 原発事故が明らかにしたのは、原子力ムラの無責任さだ。「原発は安全」といって推進してきた原子力ムラの顔ぶれを思い出してみよう。政治家、官僚、電力会社、マスコミ、裁判所、御用学者などなど。誰もその責任をとらず、罪に問われずにいる。
 事故から10年が過ぎて、原子力ムラの面々は、ほとぼりがさめたかのように原発の再稼働にうごめき、海に流そうと画策している。責任を問われないと高を括っているのだろう。
 原発をめぐる無責任の連鎖。これを許している限り、この国の滅亡は避けられないだろう。

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