「うけたもう」
「うけたもう」
『中島デコのサステナブルライフ』の最終章(Scene 7 これからの生と死)の末尾を、中島さんは「うけたもう」という言葉で締めくくっている。
「うけたもう」というのは「受け賜る」ということ。山伏が修行中に唯一発することを許された言葉で、どんな無理難題でも、修行者はすべて「うけたもう」と答えなければならない。何が起きても、すべてを受け入れる。
中島さんはこの言葉について、
「 辛いことも大変なことも、できそうにないことも、「うけたもう」してみたら、きっと乗り越えられるに違いない。楽しいこともありがたいことも、「うけたもう」してみたら、自分にはそれを受け取る価値があることを認めることができる。
自分に巡ってきたものを「うけたもう」と素直に受け止めたら、ずっと生きやすくなる。
「うけたもう」って言ってみて。背筋が伸びて腰が入り、丹田に力が入る。むしろそうでなければ「うけたもう」って言えない。おもしろいね。
大いなるものを真摯に承る感じ。上から目線でも、卑屈でもない。
とりあえず、「うけたもう」と言ってみると、そこから力が湧く。やるしかないからできていく。」
「先日、屋久島に言ってきた。(中略)屋久杉にまで行かずとも、森に入ると樹齢千年を超える屋久杉たちに出会うことができる。森はたっぷりと水分を含み、霧の中に木々と苔の緑がどこまでも続き幻想的だった。
島の栄養の少ない岩に根づいた屋久杉は成長が遅く、年輪が緻密で樹脂分が多いので、腐りにくいから寿命が長いと言われている。あちことに倒木した杉の木も苔に覆われ、苔たちの間に無数の木の赤ちゃんが芽を出し、成長していた。樹木たちは、新しい木々が育つ場所として自らを捧げて、ゆっくりゆっくり何百年もかけて朽ちていっている。
その荘厳な美しさに、心うたれてハラハラと涙した。これこそ、まさに「うけたもう」の姿だった。
この世にひとつだけの真理があるとしたら、「すべては必ず変わりゆく。永遠に不変のものはない」。つまりは、諸行無常なんだってことが、この大自然の中で腑に落ちた。
だとしたら、私はこの倒木のように生きよう。大いなる自然の循環のなかで、すべてを「うけたもう」し、静かにゆっくりと次世代のために心血を注いで、最後の日まで楽しんで生きていけたとしたら、本当にありがたい……。
ありがとう。」