続・次の一万年を生きる人々のために 3-3 磯浜を復元した住民の強い想い
磯浜復元ー青森県大畑町の挑戦
二〇〇五年に放映されたETV特集「長ぐつの旅・菅原文太~もう一つの日本は可能か~」で、 青森県むつ市大畑町の磯浜復元の取り組みが紹介されていました。
イカ漁が盛んな下北半島随一の漁師町も、ご多分にもれず、量を求めて大型船を次々と導入し、その係留のために、豊かな海の幸をもたらしてくれた磯浜をつぶしてコンクリートで固めてしまいます。
ところが皮肉にも、漁港が整備されるにつれて、乱獲からイカの漁獲量も激減してしまい、町が立ち行かなくなるという、いまや日本のいたるところで見られる状況に大畑町も陥ってしまいました。
そんな当てにならない漁業はもう止めよう、昔のように身近な海で町の皆がきちんと飯が食えればそれでいいではないか。かつての磯浜を取り戻そうと町の人たちは一丸となって立ち上がり、ついに行政を動かして磯浜を復活させる事業が実現したのです。そして、ノリやコンブも採れるようになり、浜には町の人たちの姿が戻っていました。
写真は整備前(上)と整備後(下)を写したものです。青森県のHPに「心と体をいやす海辺空間整備事業」として紹介されています。
漁港整備や護岸工事は補助金による設置であるため、これを壊すことは法的な問題が生じます。しかしその法的な問題も、住民の地元に寄せる強い想いがあれば、クリアすることはそれほど難しいことでありません。自分の住む町をどんな町にしたいのか、当事者である住民がはっきりとした意思を示すことで変革はできる。大畑町の磯浜復元の取り組みは、そのことを示しているのです。
国道の奇妙な起伏
嬉しいことに、「大谷海岸の砂浜再生まちづくり事業」が国土交通省のグリーンインフラ大賞の防災・減災部門で最高の国土交通大臣賞に選ばれました。
震災後の防潮堤計画を、地域住民の思いと行政の協力で大きく変更し、砂浜の保全・再生などに努めた活動が評価されたのです。これも大畑町と同じように住民がその意思をはっきりと示すことで実現した事例です。
道の駅も再建され、国道から海が一望できることもあって多くの観光客でにぎわいを見せています。
ところがこの国道が大谷海岸を過ぎると一度下ってまた上るという奇妙な起伏をしています。なぜ同じ高さにしなかったのか。その理由が、沼尻海岸に堤防があり、国道を嵩上げすると二重堤防になるというのです。
唖然としてしまいました。住民の想いは「大谷海岸の砂浜再生まちづくり事業」で示されています。沼尻に堤防を作るのは住民の総意ではない。なにより、市職員の不作為さえなければ、「大谷海岸の再生事業」に沼尻も組み入れることができて、国道が奇妙な起伏になることもなかったのです。
磯浜の再生に向けて
大畑町の磯浜復元に使われたのは、堤防に使われたコンクリートだそうです。沼尻は震災で地盤沈下を起こして磯浜全面が低くなってしまいました。沼尻の磯浜の復元には、堤防に使われたコンクリートでも足りないくらいかもしれません。
下のイラストは里浜貝塚(奥松島)のパンフレットに描かれています。自然に寄り添うことで縄文時代の暮らしは一万年も続きました。砂浜や磯浜に余計な手出しをしなければ、海は豊かな恵みをもたらしてくれるのです。この海を、次の一万年を生きる人たちのために残すこと、それこそが私たちの責務であるはずです。
(『三陸新報』2022年4月21日掲載)