「大日本病」の処方箋 (上)~ 再び戦争の惨禍が起こることのないように ~
マグロ零戦の教訓
震災前、漁協の応接室に零戦(零式艦上戦闘機)の大きな写真が飾られていた。あの大津波で漁協の建物とともにこの写真も流されてしまった。
写真の上部には「昭和18年200K位大まぐろ5000本(1000t)大漁・海軍省へ艦上戦闘機大谷水産号献納」とある。
右下には、この時の献納式典に参列した軍人や漁協関係者の写真が添えられている。この写真の中に私の祖父もいる。この時に祖父は漁協の会計をしていた。祖父はまた、在郷軍人会の会長でもあり、「お国」のために懸命に尽くしていたであろう姿が写っている。
それにしても、200k級のマグロが5000本の大漁というのだから驚く。不振を極めている今のマグロ漁業の関係者が聞いたら、口から涎が滝のように垂れるかもしれない。現在の価格に換算するとどれほどになるのだろう。一本200kのマグロを100万円としても50億円だ。かつての大谷の海の豊かさを、このマグロ零戦(大谷水産号)が、皮肉にも、象徴している。
だが、このマグロ零戦の存在を過去のこととして歴史の中に閉じこめてよいのだろうか。マグロ零戦には、もっと深く重い教訓がある。その教訓を私たちは学ばなければならないはずだ。
「国家」の危うさ
当時、海軍に戦闘機を献納できるほどに豊かな海を、祖父たちは誇りとしていたことだろう。そして、戦闘機というものの本質が殺人と破壊のための道具であり、その道具のために豊かな海の恵を売り渡してしまったことに、祖父たちは思いをめぐらすこともなかっただろう。
しかし、懸命にお国のために尽くしたその結果はどうだったか。戦後、祖父は戦争協力者としてB級戦犯の烙印を押され、20年もの間公職から追放されてしまったのだ。その理不尽に対する無念を、残念ながら、祖父が生きている時に聞くことはできなかった。
マ グロ零戦はその後どうなったのだろう。あの戦争で失われた多くの戦闘機と同じように、海の藻屑と消え去ったのかもしれない。それはまた、200kのマグロ5000本が一瞬のうちに消えたことを意味する。
マグロ零戦は、「国家」というものがいかに理不尽で、危うい存在であるかをはっきりと物語っている。この教訓を、私たちはもう一度学び直し、次の世代へと引き継いでいく必要がある。
戦争へと向かう病
では、何がこの国を戦争の泥沼に引きずり込み、滅亡の淵にまで追い込んだのだろうか。戦史研究家の山崎雅弘さんは『戦前回帰』(学研)の中で、それを「大日本病」と名付けている。
先の戦争の原因を「軍国主義」や「軍人の暴走」と語られることが多い。だが、軍人だけではなく、国民の多くが進んでその道を選んでいたことは、マグロ零戦を献納した祖父たちの事例からも明らかだ。
祖父たちは、「天皇を頂点とする日本の国家体制」こそが「世界に類を見ない神聖で崇高な国のあり方」であり、その国家体制(国体)のために「献身と犠牲をいとわないのが国民の務めである」という熱病に取りつかれていた。
このような考えは、建国神話に基づく歴史教育や「一旦緩急あれば義勇公に奉じ以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」(危急のことがあれば、国民は公に奉仕し、永遠に続く皇室を助け支えよ)とする教育勅語などによって、徹底的に刷り込まれていたのだ。
自国を独善的かつ排外的に偉大な国として、他国や他者に不寛容になり、個人主義や人権を軽視する状況が作られ、ついには国民や兵士の命を軽視した戦争へと向かう熱病「大日本病」へと昂じていくことになる