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“美味しい”を増やす食いしん坊/食とまなびのブログ

壁の薄いアパートで独り暮らしをしていた時。
隣人の咳払いで隣人の存在に気づくことがある。
咳払いを聞くその瞬間までは私の中に隣人は存在していなかった。
咳払いの瞬間から数秒間だけ隣人は私の中に現れた。
他にも、歯磨きの時に毎回えずくおじさんやタバコの煙とともに現れるご近所さんもいた。
もちろん、私が意識しようがしまいが隣人は存在し、隣人なりの人生を一生懸命歩んでいる。しかし、薄い壁を一枚隔てた先の、世界で一番私に近い場所にいる隣人は私の人生の中にはほとんど存在しない。

そう。
隣人が実在しないという可能性だってあり得るわけだ。

この感覚は私が子どもの頃からあった。
校庭でおもいっきり遊んだあと、夕焼けに照らされた校舎と進太郎君に向かってバイバイを言った。今日のごはんは何だろな?と家まで走って帰っている途中にふと思った。
あれ?進太郎君の家でもお母さんが待っていて、お父さんが帰ってくるんだなぁ。その進太郎君は見たことがないなぁ。不思議だなぁ。今すれ違ったお兄ちゃんやお姉ちゃんにも、世の中にたくさんいる人たちはみんなそれぞれに家があるんだよなぁ。本当にみんなそれぞれの家ってあるのかなぁ。僕は全く知らないけど、僕の知らない時間を過ごしているなんて不思議だなぁと思っていた。
この感覚は実はその後もずーっと私の中にある。
たまにこの話を説明したりするのだが、あまりピンとこないようでちょっと残念な気持ちになる。

人間が進化し発展した要因は複数あるらしいが、想像力もその一つらしい。
例えば、1万円札は単なる紙であり1万円分の価値はないが、みんなでこれを1万円の価値があると信じることによって取引が成立するなどなど。
ツチノコだってネッシーだって幽霊だって宇宙人だって本当はどこかに存在するのかもしれないし、存在しないのかもしれない。

この世の中に実在しないのに感じたり信じたり、強く影響を受けたりしているものは意外にも多い。
まぁ、根本的には言葉自体が人間が作り出したもので存在していないのだが、それを言ってしまうと話が出来なくなるので一旦置いておく。

例えば、好きだとか嫌いだとか、恐怖とか、家族とか、美しいとか、夏の終わりとか。
この世の中には全く実在していない。

しかし、
好きと思った瞬間に私の中に好きは存在し、
好きと聞いた瞬間にあなたの中に好きが現れる。

私は夏の終わりが好きです。
夏も、夏の終わりも、好きも、実在しないのに大好きです。
なので夏の終わりにはついつい夏の終わりの発信をしてしまいます。

あなたは世の中に何を増やしていきたいですか?

私はですねぇ・・・・。
“美味しい”を増やしたいんです。
食いしん坊ですからwww
だって美味しいと感じると幸せでしょ。
笑顔になるでしょ。
争いなくなるでしょ。
だから、美味しいものに出会ったら迷わず美味しい!って言うんです。
まぁ、本当は思わず言っちゃってるだけなんですけどw

ちなみに“旨い!”じゃなくて“美味しい”を増やしたいんです。
美しい味なんです。
人は美意識で生きています。

あなたは世の中に何を増やしていきたいですか?

感謝します。

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工藤昌幸
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