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センチメンタル・ジャーニー姫路その4わんことの思い出
昨日まで、センチメンタル・ジャニーと題して、姫路文学館へ小説家であある山田風太郎展へ行った際、姫路での3年間、縷々、思い出を綴った。
こと仕事に関しては、みなそれぞれに思いがある。家族を養うための収入を得ることが一番、それも多いように。次に、仕事上、愉しいこと、嬉しいこと。しかしながら、私にとって仕事とは、収入と存在意義がすべてであった。
姫路に来るまでは、私は、管理職候補生で、気楽に、やりたい放題だった。小たりといえど、独立した組織となると、その一端を担う幹部は、非常に重責で、荷は重かった。性格的に、カリスマ性や人望らしきものはなく、しかも若くはないが、年長者ではない39歳。
人に使われるというより、他人の言うまましかできない、しない、してはいけない。それが職務、組織が、全国的になるほど、その傾向は、強い。
精神的な重圧が日々、重かった。でも、がんばった。
まだ若いゆえの気力、体力、そして使命感。
妻や娘たち、心の支えもあった。
組織を代表して、外部と折衝、詳細までトップから指示を得ることはない。よきにはからえ、結果オーライ、うまくやって当然、やれないのは、能力・資質、意欲に欠けることになる。仕事は、厳しい。
それを痛感したのが、姫路の3年間だった。
様々な思いである。
犬との心のふれあいもあった。
職員宿舎、地域の自治会とは、密接な関係がある。
あるとき、自治会長が入院した。そして、頼まれた、「犬を散歩してくれ。」、「わかりました。」と軽く返事し実行した。
それだけのこと。
毎朝仕事の前の30分、帰宅してから30分くらい。
白い柴犬、賢い犬だった。人間より賢いと思ったこともあった。
自治会長の裏庭から入るや、すべてをわかっているかのように、尻尾を振り、喜んで飛びついてくる。「待て!」と言うと、すぐ座って、指示を待つ。これ、人間出来るだろうか?
近くの公園を犬連れの散歩する。家内が後ろから、糞や尿の処理するために後からついてくる。少し遅れると、後ろを振り向いて、ジッと動かない。
自治会長が退院して、お役御免となった翌朝、私が出勤する姿を見ると、大きく吠える、「もう、ご主人代理じゃないんだ。」と視線で伝えると、それからは、見ているだけになった。そして、その犬との付き合いは終わった。
とても清々しい関係だった。
私が、転勤して翌年、自治科長は亡くなった。
姫路では、いろいろあった。
仕事は、つらかった。
それ以外の様々なことが、いい思い出だった。
今日、暖かな一日、公園でツツジが咲いていた。