日が暮れるまで怒ったままではいけません
今日は、つい怒ってしまった。
風呂の清掃、入浴準備は私の仕事、いつも一番に入るので、自然にそうなった。現役の時から、そういうこと。いまは、娘たちが仕事や作業所から帰って来るのにあわせて、私は、早々に入浴する。午後5時に。
いまは、それでちょうどいい。株式市場が終了して、損得勘定や振り返りを簡単にすませて、夕方の散歩、コンパクトデジタルカメラを持って、沈みゆく夕陽を写真に撮るのも好きだ。朝陽も月も、自分の家の花や樹、路傍の花も。他人によってはお怒りになる方もおられようから、まったくの自然の花だけ撮る。余計なトラブルは避ける。
ちょっとだけよ、それはダメな時もある。
年寄りは、怒りっぽい。
私は、犬の小便、マーキングは大嫌い。それで揉めたこともあれば、警察官に来てもらったこともある。それは、我が家だけ。テレビ報道で言えば、領海内だけ、EEZまでは言わない。ジッと見るだけ。
それでも犬飼さんたちには、その目つきが気に入らないらしい。風の便りで、聞こえてくる。市の公園管理を手伝っていたとき、そこらじゅうション便だらけ、昔は、人間も当たり前に立ちション便していたけれど、いまは、人間のは観たことがない。犬のション便は、たくさん。
不思議なことに、公園に道ひとつ隔てて神社がある。ごくまれに、境内に犬を連れ込む犬飼さんも、見かけるが、小便させているのは観たことがない。ただ見たことがないのか、気がひけるのか、神罰を怖れるのかはしれない。やはり神社の境内は、神域である。
神社の氏子も、高齢化して、いままでの年中行事は、しないとのこと。s寂しい限り、正月元旦のみとのこと。
目下、国会でも、山上哲也容疑者の安部元総理狙撃暗殺事件から派生した統一教会の高額寄付のことで、日々あれやこれやしている。
宗教って、どうなんだろう。私は、浄土真宗。妻も、重大な関係者も同じ。でも、総じて熱狂的な宗教信者の気配は、私にもない。親鸞、蓮如って言っても、ごくごく一般的なことしか知らないし、興味はない。
まだ真言宗空海さま、弘法大師のほうが、その思想を勉強したいくらい。が、とても漢文自体、難しい。全然追っつかないのが現状、これだけの漢文を文章にしているのが、尊敬以上の遙かな存在なのだ。
あと父に言われて成長の家、お経のようなものを並んで読んだ記憶がある。これも遥か忘却の彼方、高校時代、友人が創価学会、いろいろ話を聴かされた。それだけのこと。勤めてからも、何人かその宗教の方に勧められはしたが、それまで、特に選挙。「はい、わかりました。」って。
自分から行ったこと、単身赴任して、いろいろ悩み事があった。キリスト教会の掲示板に、「怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままではいけません。」と墨書してあった。
自分の悩み事をストレートに衝かれたような気がした。
その土地でいるときは、週一で会合に出席した。
牧師さんも信者さんも、立派な誠実ないい人たちだった。
残念ながら、転勤して、その道は途絶えた。
しかし、いつも心に肝に銘じている。
怒りは、なるべく早く収める。特に、家族には。
仕事上での恨み、辛みは、いまでも、しっかり心と脳に残っている。
それは仕方がない。
神ならぬ身、自分を否定することはしない。
宗教が、人の心を安らがせる以上、いくら法律を作っても、罰しても、弾圧はできない。
難しい問題である。個々の判断、政治が介入する話ではない。
それが原因で、安部さん、殺された。なんとも哀しみに耐えない。
おやすみなさい。また、明日がんばろう。