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樹々が高い、これでも住宅街

 一地方都市ではある。それでも、人の身長を遥かに越して、10メートルはあろうかと思われる高さ。狭い猫の額ほどの個人住宅が立ち並ぶ日本の住宅街では、こんな鬱蒼とした森まがいの場所は、神社ぐらいしかない。

 この鳥羽新田八幡神社は、17世紀なかば江戸時代も、落ち着いた頃、広大な荒地を当時の藩主自ら率先して農地に開墾したと神社の表札には書いてある。もっと北へ行けば、見渡す限りの荒地、なんにも農地、工場、住宅何にもなしの土地がある。貸農園が固まってあるだけだ。なぜだろうと思う。なにか曰く因縁があるのかなと。

 関ヶ原の合戦が行われた場所も、こんな感じを持った。広い平坦な場所なのに、田や畑はあるにはあるが、という雰囲気。大きな合戦があって、死体がゴロゴロとあった土地でも、何年何十年たてば、ただの土地だろうにとよそ者は思う。

 そんな中で、神社の境内、数百年にわたり、整然と樹木が植えられ、静かに神様が鎮座されている。地域の高齢化で、神社の諸活動もできないらしく、祭礼は規模縮小されている。ただのコロナだけではない。

 公園や道路など公共施設は、ごみや落書きで荒らされている。神社は、犯罪者予備軍でも、やはり一目置くようだ。たまに賽銭泥棒のニュースも聞くが、この神社には、賽銭の量さえ、たかがしれている。

 まだ日本人の心のなかに、神仏を畏れる気持ちがあるのだろう。

 やりたい放題の日本人、地域の荒廃は、つぎは人のこころの荒廃です。

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