ほっとく
性格的な偏狭さ、私の欠点。加えて短気で怒りっぽい。
友達も、そのときそのときで途切れはしなかった。独りぼっちではないのだが、なぜか長期的にずっとというわけではない。いまご隠居さんで、いろいろ反省や回顧すると、性格は別として、偏狭と怒るが原因だろう。
以前は、それを反省もしなかった。今更、反省しても仕方ないのと、それも身のうち、欠点も自分だと傲慢不遜な思い込み、それも長所、年齢が上がってきて、職場で家庭で、存在価値が薄れてきたり、情勢の変化がある。
それを生き抜くのもサバイバル、文字通り。
欠点として挙げた事項で、特に目立つこと。組織を離れ、一兵卒、何の権限も力もないたった一人のおっさん、あるいはおじいさんになると、世間は、別に差別する気はなくても、いてもいなくても同じ存在、むしろいない方がいい存在に、ほとんどの人はなる。
一握りの人間だけ、大きな顔をして社会で偉そうにしている。あの森喜朗さん、二階俊博さんみたいな。そうみたいな人がたくさんいるが、現役の人にとっては、迷惑・邪魔な存在、いない方が、スムーズにいくこと、本人もよく理解しているが、なにかにすがりたい、それしかない。
ご隠居になって、地域デビューして自治会活動、これも引退したが、地域生活のマナーの悪さに閉口、出さんでもいい口を出す、それで揉める。警察を読んだり、実力行使一歩手前まで行ったこともある。
ある本からヒント、”放っとく力”、なるほど。
すべてを理解しつつ、解決に向けての努力はする。しかし、自分の欠点である上記の怒りや正義感は前面に出さないことにした。
超然とすること。
犬連れが犬に壁や道路に糞を垂れさせ放置しようと壁に小便かけて平然、たばこのポイ捨て、等々、いままで一一怒っていた。
それがどうした
それが、そういうことをする人の論理
無視、軽視、避けよう、どうにもならないこと
諦めること
神に祈ろう、仏にすがろう 鬼神乱神敬して遠ざける
きっと何かがある
そう信じよう
心の平安を求めて
ほっとく
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