四女の診察立ち会い、コロナ前のメンバーに戻ったような顔ぶれ。そして消防署へご挨拶、救急車乗車のことで。
四女の診察立ち会いは、時にふれ、状況にふれ、われら夫婦で一緒に行ったり、どっちが一方付き添いで行ったりしていた。
母親は、甘い。できないから、しないからと云っては、代わりにしてやる。母親の性格や考えもあろう。本人にやらせなくては、成長と自立性がない、いつまでも頼り切り、自分のこととして考えない。
親は、もう高齢者。わたしなど、あと3年で後期高齢者になってしまう、確実、生きておれば。
運転免許証のゴールド復帰をめざし、徹底的な安全運転をこころがけ、そして極力、歩くことに徹している。走行距離で保険料が決まる自動車保険に切り換え、義母の葬儀以外は、市内だけ。ETCカードの高速料金引き落としがないので、少し懸念していた、やっと。ほとんど使わないから。
昔は、よく走ったものだ。東は、東京や長野、西は、萩や下関まで。
単身赴任で広島に行ったときも、幸い当時の距離一律千円時代、助かった。
ゲートで日が変わるのを待ったこと、しばしば。
いいのか悪いのか、昔の思い出。
診察は、午後2時予約、午後Ⅰ時半に着いて、待ち時間に周辺散策、田んぼばかりだけど、ここにも耕作放棄地がたくさん、それでもそろそろ稲刈り、病院の北側の大きな池をぐるっと回るつもりだった。しかし、マムシ注意、責任持ちませんなんて看板、マムシはいやだなぁって直感的に。
通りがかりの農業従事者、自動車で細い道を走っていた、降りてきたので、道を聞いたら、そんなの心配ない、もし万が一、よその人がマムシに噛まれたら批判されるので、看板で注意喚起しているだけ、ほとんど大丈夫って。あんしんして池の周りを回った。マムシは注意深い、ガサゴソ音を立てていると、マムシはよける。そうでないのに会ったら、お仕舞い。
広島といっても、少し山に入ると、マムシは多い。広島でも、そういっていた。どこでも百姓は強い、徳島では、マムシ酒を飾っていた、怖そう。
なんやかやで四女の診察は終わった。膝の手術のこと、薬のこと、四女から幻聴のこと、医者は慣れている。いろいろと指導があった。
救急車の話もあったので、帰りに消防署へ寄って、感謝とお詫びしてきた。消防本部では、そういう場合でも状況により救急車利用して差し支えないとのお言葉、救急車には医療の専門家を配置しているから、必要とあれば、適切と思われる措置を執るから懸念の必要はないとの温かいお言葉だった。
いろいろ苦労もする、わが娘ではある。これも運命、神の思し召しだ。