暴力団トップ、死刑判決。勇気ある、そして当然の司法への信頼
福岡での工藤会トップ死刑判決、さすがは裁判所、お見事。正義は勝つ、永らく暴力団対策法施行とか、さまざまな面で暴力団の壊滅に向けて、警察、検察そして裁判所で、永い期間、闘ってこられたこと。国家権力という最強の権限があるとはいえ、判決後の工藤会トップの発言、裁判長を脅す最悪の言動、いかに破廉恥、やけくそとはいえ、これまでの人間性を最大限に表すものでしかない。
ヤクザ、任侠とかいい、知る限り、清水次郎長や大前田栄五郎など、庶民の味方を装いながら、実際は、陰の裏の、汚い儲け、ゴミのような存在、悪の人間である。昔は、貴族だ、武士だといっても、一枚皮をめくれば、強盗、殺人など諸悪の犯罪者と変わらず、治安が安定した江戸時代などは、かえって裏の社会での必要悪みたいなものだった。
戦後、社会の混乱のなかで、企業の汚い場面で協力関係を持ったり、飲食業や売春、金融・不動産なども、暴力団が強い勢力を持っていた。それは、アメリカのギャング、イタリアのマフィアと同じような存在理由だろう。行政も司法も立ち入ることのできない怖い存在だった。
いま、その武闘派、平気で人を殺傷したり、金品を非合法に取り上げたりする存在として非難され、勇気ある市民により、みかじめ料などということも減ったとは思われる。
暴力が前面に出る社会、断じて戻してはいけない。不良や犯罪者、国家権力が取り締まる、まずスタート。警察官、頼りにしています。検察官、法の番人、悪者を徹底的に懲らしめてください。刑務官、死刑執行、嫌だろうけど我慢して国民を代表して執行してください。裁判官、国民の声に基づく適正な法の判断、脅されたから言って怯むことなく、裁判官侮辱で法的に裁いてください。日本の司法は、よその国とは違う、みんな信頼しています。
交通違反やトラブル、警察官に期待しています。
やりたい放題の悪しき人権の前に、平穏な生活を望みます。
突然、硫酸をかけられない社会に!