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昨日の山登り断念の言い訳
昨日、思い立って兵庫県赤穂郡佐用町にある白旗山城山頂へ登ろうとした。しばらくしてやめた。それについて昨日は昨日の思いを書いた。
要は、行ってもつまらんだろうということ。
人生、そんなものである。いつかは、みんな100パーセント死ぬ。
大統領だろうが、スターだろうが、なんにもなしの、私のような一庶民であろうが、最後は、同じく死ぬ。死に方も、身分にかかわりなく多種多様な死に方で死ぬ。かっこいい死に方なんて、ほんとうはない。
あのサルトルでさえ、真偽も詳細もしらないが、”褥瘡”になったと。まともな介護や療養はなかったのではないか、ボボアールは、どうしたのかなって、思うだけ。所詮、他人事。どうでもいいんだ、そうなんで、御仕舞い。
行っても誰もいないとか、山だらけ、多少、行政や学者さんが整備はしているものの、なんいもない、盛況だったころの面影はないのが落ち。
行くのに時間がかかる、当たり前、JRでなんやかやで2時間、出発して頂上到着2時間、往復入れて休憩や食事などして夜になる。天気予報を見て、雨模様、今日朝起きると、やっぱり夜中は雨。
なんか、そんな感じがした。結局は、行く気がなかった、もっと怖いのは、フレイル、私自身の持つ引きこもり要素、これが怖い。外で出なくなるのではないかと。これから晩秋から冬へ向かう。
母親が、よく親類の寄り合いで言っていた、友達がいないと。学校時代は、毎日顔を会す遊び友達は、当然数人はいた。クラス替えや学校が違うと、会うことも少なくなる、大学進学や就職すると、全く合わずに数十年というはざら。仕方ないこと、お互いの状況は、ものすごく変わる。そのときそのときの仕事や家庭が中心、何言っているんって感じ、一か所で住んで、毎日、数十年、半世紀以上、同じことを繰り返しているお人とは、考え方は異なって来る。
3年に及ぶ私自身の引きこもりも、影響している。従来の性格に加えて、なおのことマイペース、自信過剰、一匹オオカミがさらに醸成されていった。
それやこれやで、古城登山を断念した。
誰もいない古い城跡へ、山道をかきわけ、かきわけ登り詰め、そして何もない誰もいない場所で、ああ景色がいい、なんて思わない。
かつてはオールジャパンをめざし、天皇陛下を担ぎ上げて、一発勝負と思った武将、赤松円心の想い、おそらく、どこにも、その思いは感じられない。
関ヶ原の松尾山山上で、つくづく思った。
小早川秀秋、どう、なにを考えたか、もうそれはわからない。
その雰囲気は、なには感じられない。
すべては、終わる。
その寂しさが怖い。
人生は、いつか終わる。そんなこと、痛切に思うことがある。
あと残り少ない人生、取り乱さないよう粛々と愉しみたい。
小早川秀秋、関ヶ原の合戦後、徳川家康に褒めらた。
しかし、褒美として合戦の相手方、宇喜田秀家の領地を与えられ、養父の小早川隆景の部下にいいようにされ、酒と女が原因かどうかはしらないが、21歳で病死した。
そんなことも思う。
歴史は、面白い、しかし関係者一人ひとり惨いものがある。
白旗山城はともかく、山中鹿之助の上月城も行ってみたいと思う。
同じだろうけど。夢想しているうちが華なのだ。