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熱い暑い夏の太陽、焼け付くような日差し。また野球観戦、それも姫路まで。あの神戸震災のときいた住んでいた思い出きつい街、明石清水と東洋大姫路、投手戦というか貧打で静かな試合だった。
この両チームも、守備もいい、エラーもなく、投手は乱れず、いい球、いい配球、すごみはないけれど、いいチームだ。ただ豪快なバッティングや派手さはない。それだけに静かな試合、見ている者にとっては、試合進行が早く、はっきりいえば、山のないあんまりおもしろくもなかった。
それはそれでいい。結果は、決まった。
この姫路手柄山ウインク球場、かつて姫路に住んでいた頃、東洋大姫路も強かったが、その頃、姫路工業が強く、甲子園で準優勝した。すごい!
最近は、パッとしない。すべて記憶なので、誤りかもしれない、そういうイメージです。
姫路は、懐かしい半面、よく知りすぎていて、姫路城や考古園、書写山へは、お客さん案内で飽きている。お城改装も住んでから、行って、すこし感じが変わっている。
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JRから山陽電車への乗り換え、昔は、ヤマトヤシキって百貨店があった。人通りは、平日だからか少ない。暑いし、そんなものか。
姫路駅から徒歩で数分だけど、駅構内もがらがら。最近では、もう4,5年も前に、四国遍路で乗り換えした際、人だらけだった。まだコロナの影響かな。まだマスクしている人がいる。
センチメンタル・ジャーニーかな。
あの頃の同僚は、みんな定年しているだろう。もう30年過ぎている。
振り向けば、ただ風が吹いているだけ。
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観客は少ない。東洋大姫路は応援団がいて、賑やか、そしてチア・リーダー、もちろん女子だ。懐かしい、コロナ前は、どこでもいた。
なんせ暑い。
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こんどは、わが明石清水勢、私が頼りにしている大病院の近くにある。孫が住んでいるそぐ傍、いずれこのチームに入るかもしれない。できればレギュラーになってほしいものだ。小柄なので、なかなか難しいだろうけど、おおきくなって是非、試合に出て欲しい。
私は、その頃、70歳台の最後の方、後期高齢者のハイレベルだ。元気に気合いを入れて、生きなくちゃ。
お陰で、今日は、14,678歩も歩きました。
とりあえず元気です。