標準語とか方言とか、もう意識しなくなった
四国香川県から故郷を捨て、全国転々。大阪の女性と結婚、四人の娘は、加古川、舞鶴、堺、大阪と、それぞれ出生地が違う。小学校も、長女と次女は、大阪で一番生徒数が多く、運動会は、家族などあわせて、ものすごい人の数えで,分校まであった。
妻は大阪弁のばりばり、あまり物事に気にしない性質なので、いまだに言葉は変わらない。私は、郷里以外に出た後は、それなりに気を遣ったと自認はしているけれど、親しい友人に言わせると、「讃岐弁一本主義」だそうだ。それでも偏見や差別も感じなかった。気は使ったつもりなのだが。
標準語というより、変な東京弁もどき。気色悪い、仕事上の同期で年上の人、そんな人がいた。転勤族が永くても、全然、変わらない。東京での本省やその他関係者でも、あまり標準語とか意識しなかった。ごく普通に、大阪近辺と同じだった。大阪に7年いたが、周りには、大阪のお笑い芸人みたいに、大阪弁・関西弁まるまる、喋る訳ではないし、発音やイントネーションも、気にならない。
むしろ広島にいたとき、以前の怖い人が私と似たような関西弁もどきで、変に怖がられた。トラウマらしい。
この年になると、たまに郷里へ帰っても、全然、讃岐言葉が気にならない。そこそこ年取ってくると、相手方もみんな標準語もどきに慣れ切っている。他人い通じない言葉や、言葉じりは使わない。田舎の都市部という人口移動の激しい地域である。
娘たちは、幼稚園、小学生の頃は、言葉の違いで苦労はしたようだ。
特に、精神疾患を患った四女は、徳島から兵庫への移動が精神的に応えたようである。こどもは、惨いから。遠慮会釈なく、変然と悪いことをする。
徳島が良すぎたのである。
徳島から離れるとき、この四女、友人の家に挨拶に行きたいというので、車で回った。少しだけ山間部だった、自然の多い、いいところだった。結構、いろいろなところから移動してきていた。
犬が教室に常駐する穏やかなところ
ひとつのいい思い出である。
孫たちは、幼稚園も小学校も同じ
学校という集団で、いろいろな思いをしながら成長している。
がんばってな。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?