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精神疾患リハビリ、居宅介護支援ありがたい

 私の四女、もう三十歳を過ぎて数年、ちょうどその頃、私は定年後の雇用延長である公務員の再任用を辞め、特例の雇用保険を貰いながら求職活動やアルバイトしていた。
 徳島から明石に転校して、いじめが原因かどうか、いろいろなところで揉めているが、私の娘も、学校での苛めを含めた環境の激変で、こころを病んでしまった。
 最初は、「心因反応」、主治医によれば、「精神分裂症(今は、統合失調症)」では、世間の偏見・差別がありうるとのご配慮。元県立病院長だった医師である。人間的にも、なかなかのお方だった。
 当初は障碍者1級認定、しばらくして2級になった。症状が落ち着いたのかもしれない。急性期は、酷かった。単身赴任をしていただけに、家族の生活は滅茶滅茶になっていった。上司のご配慮を得て、翌年、近くの勤務地に変更してもらった。特段のご配慮であったが、これも多くの嫌がらせやこころない言動が多々あった。人間とは、惨いものである。
 当時のT長、「いいのか、間に合わなくても。」、はっきり「辞めろ。」って言えんのか」と思った。そこまで言うと、それなりの抵抗がある。のちに、その上司の甥と勤務場所が同じになった。狭い職場、元上司は、とっくに定年退職、たまたま、その上司の郷里の職場で勤務した。甥には、関係のないことだが、ここでも単身赴任だった。娘の症状は、一進一退がずっと続いていた。小学校、中学校、高等学校、専門学校、いずれも通学はしたけれどの状態。専門学校は、簿記三級を取らせてくれた。しかし、就職や実用には、つながらなかった。
 そんな状態が続いて、私は、はじめに書いた状態、無職で年金生活者。蒸娘の症状や生活の様子をずっと観続けた。
 ただ食ったり飲んだり、ものすどい量、水病とでもいうか、こーら1リットル一気飲み、私にはできない、お茶もお菓子も、すべて全部平らげる、病気のなせる業、冷たい雨の中、Tシャツ一枚で裸足で外出する。
 ただただ胸が潰れる思い。
 自宅で家族による見守りは無理、なんの改善もない。それが結論。
 医師に相談、入院を決意、妻、本人と話し合い、了解を得る。
 もうおとうさん、おかあさんでは、どうにもならない。入院しよう。
 それから長い月日が経った。
 3カ月入院、3年ディケア通所、その後、B型作業所へ入所した。
 病院の家族会で知り合った方との意見交換で、少しづつでも社会参加
 病院医師は、堅実だが、治癒はないとの方針、それはそうだけれども。
 一歩でも前へ。
 神戸新聞社説で、精神病院入院で本人の了解なしを批判していた、実態がなにもわからない、ただ恰好だけ、中央紙や偏見で凝り固まって、精神病院が儲け主義だけのことから、入院患者数の確保だけで入院させているとの内容。おろかな書きぶりだった。阿呆!
 本人や家族が、どれほど苦しんでいるか、まったく理解も取材もしない。ただただ思い付き。天下の正義は我にあり。
 世の中、多くの精神疾患、まだ私の娘は軽いほう、等級1級から2級への変更は理解できる。1級は、一人では、なんいもできない、例えば着替えや大小便、こまごまな生活、それに支障がある人、私の娘は、それなりに生活している。他の人は、そうでない厳しい症状の人が多くいる。
 いあm居宅介護支援で、ヘルパーさんが来てくれて、いまは調理指導や自室の整理整頓を指導してくれている、娘も、なんとか指導について行っている。親子では、無理。甘えや感情が入る。
 願わくば、娘が元気なうちは、私が観ていたい。
 消費税、天下の悪法みたいに、立民・共産・れいわが言っている。これらの支援は、消費税あてのこと。行政をになう厚生労働省、地方自治体、医療関係者、福祉関係者の努力があって実を結んでいる。
 なんでもかんでも、政府のやることは悪いというのはおかしい。

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