また新しい週がはじまった、さぁどうする。
どうしようもない。
人生五十年といっていた時代もあった、いまは、人生七十五年か。
いま私は、七十一、もうすぐ七十二歳になる。
振り返ってみれば、様々な評価基準はある。いまさら考えてみたって,しょうがない。それぞれの地位や収入など、人生終わりに近づいてみれば、ほとんど価値はない。負け惜しみではない。
人生、どう愉しんだか、どう思い切りやりたいことをやったか、だろうか。とりあえずは。
それもまた、死という厳然たる、極限の平等の前にあっては無意味である。みな均しく死ぬ。
メメント・モリなのだ。
年寄りでも、新しい週がくる。何の意味がなくても、どう充実して、どう愉しむか、自分で決め、自分で納得すること、それしかない。
先週の過ぎ去りし日々を顧りみて、新しい週をより貴重なものとして生きる。それしかないのだから。
さぁどうする。
あれもしたい、これもしたいといいながら、漫然と過ごすか。
月曜も,半分済んだ。
どっちにしても時は過ぎゆく。